5 答えを探して

 アニーは呆然としていた。

 まわりの景色は何も変わらない。空も、草木も、遠くに転がる剣も。すぐそばで光る銀色の刃や、動けないという状況まで。けれど、何かが変わった気がしたのだ。ついさっき、少しだけ空気が揺らいだあのときに。なんだろう、とぼんやり考えていたアニーの耳に、男の舌打ちが届く。

「方陣が消されたか」

 淡々とした声からは、なんの感情も読みとれない。目を細めてため息をついている姿は、面倒くさがっているようにも思えた。アニーがぼんやりしているうちに、男は剣を持ちなおした。その瞬間、心臓がきゅうっとひきしまる。今度こそ死ぬ、と身構えたが、予感したとおりにはならなかった。何かに気づいた男が、剣をアニーからそらす。大きく薙いだ剣は、飛んできた、硝子玉に似た何かに当たる。それは砕けると同時に、雷撃を弾けさせた。男が目をみはる。押さえつけてくる靴の力がゆるんだと気づいたアニーは、跳ね起きるなり彼の鳩尾みぞおちのあたりに頭突きをかました。強烈な不意打ちに、さしもの男もよろめく。少女はなんとか立ち上がると、光を感じて男のむこう側を見た。

 立っているのは、黒衣の女性。彼女は、左手で生み出した方陣を弾けさせて敵の術を打ち消しながら、さらに右手を男の方へ向けていた。それに気づいた黒い男が、顔をゆがめて彼女をにらむ。

「方陣ふたつを同時に扱うだと? むちゃくちゃなやつだ」

「むちゃくちゃどころか、あたしたちの故郷では標準的な技術だけど?」

 薄笑いを浮かべて、『ポルティエの魔女』は、勝ち誇ったように言う。彼らを見ていたアニーはけれど、鋭く自分の名前を呼ぶ声に、振り返った。同時に、足にかたいものが当たる。鈍い金色のつばを蹴ってしまった彼女は、驚いたが、剣を拾っていったん鞘におさめた。声のした方を見れば、ロトがほんのわずか、身をかがめて立っている。

「ありがと、ロト」

「用心しろ。さっきのは危なかったぞ」

「……ごめんなさい」

 本気で顔をしかめたロトの小言に、アニーはしゅんとうなだれる。ちょうどそこへ、フェイやエルフリーデも駆けつけてきた。一方、ロトはというと、その場に立ったまま自分の幼馴染へと視線を移す。

「あとマリオン、世の魔術師の首をしめるようなことを言うな。俺の知る限りでは、そんなまねができるのはおまえと俺と先生たちくらいだろ」

「石頭ー。このくらいの冗談、付き合ってくれてもいいじゃない」

「場面を選べ場面を」

 戦いのさなかだというのに、二人のやり取りはどこまでも軽い。しかし、二人とも、まったく油断はしていなかった。幼馴染どうしに意識が向いているように見えて、彼らの視線は常に、白銀と漆黒の男女をとらえていた。そのことに気づいたアニーは、我知らず息をのむ。

 グランドル王国の一般人、とくくるには、あまりにも場慣れしすぎている。何者なんだろう、という疑問が、再びアニーの頭をもたげた。だが、彼女が疑問を口に出す前に、戦いの音がやみ、かわりに声が聞こえてくる。

「あらまあ、方陣を消されてしまったわ」

「おまえの失態だぞ、ルナティア」

「しかたがないわね」

 淡々としている黒い男にほほ笑みかけて、銀髪の女性は頬を指でなぞる。その指をつい、と虚空にすべらせて、円を四つ重ねて描いた。マリオンが顔をこわばらせ、くうに手を添える。そのときにはもう、四つの円はまばゆい光を放っていた。

 アニーを含め、子どもたちは悲鳴を上げて目を覆う。殺意をまとった気配が遠ざかるのを感じながらも、アニーは動けずにいた。

 光はしばらくして消えた。少女はようやく薄目を開ける。ちかちかと星が瞬く視界の中、最高に怖くて腹立たしい二人組は、もう、どこにもいなかった。

「あ、あれ」

 エルフリーデが、おろおろとあたりを見回している。フェイは、長々と息をついていた。重苦しい空気を漂わせる子どもたちのもとへ、魔術師たちが近づいてくる。

「ごめん。しくじった」

 苦々しく、鋭利な言葉を放ったのは、マリオンだ。下草をにらみつける彼女に、ロトがふだんと変わらない、静かなまなざしを向ける。

「深追いしてたらこっちがやばかったかもしれないだろ。方陣が消せただけ、よしとしよう」

 ええともまあともつかない声を上げた女魔術師が、青年を見上げて笑う。

「にしても、本当にあの短時間でやっちゃうとはねえ」

「俺ひとりでやってたら、もう少しかかってた。そうしたらアニーが危なかったな」

 言いながら、ロトはいきなりアニーの頭をぽんぽんとなでた。ちょっと、と本人が声を上げても、彼は珍しく手を離さない。安心している自分に気づいたアニーは、しょうがなく肩を落として、青年の気が済むまでさせることにした。

「あ、あの……わたしたち、役に立てたでしょうか」

 エルフリーデが、ロトたちへと不安げな目を向ける。彼ら二人は、迷いなくうなずいた。

「もちろんよ。最大の功労者の一人ね」

「おかげで、いつもの仕事よりだいぶ楽だった」

 吐息まじりの青年の言葉に、誰からともなく笑いをこぼす。ようやく、空気は穏やかになった。

 五人で健闘をたたえあったあと、マリオンが手を叩く。

「さて。あとひとつ、残った方陣も消しにいかなきゃね。みんな、大丈夫?」

 はきはきとした女性の問いかけに、五人ともが、迷いなくうなずいた。

 

 方陣の、最後のひとつを消す作業は、それほど手間取らなかった。何しろ今度はマリオンもいたのだ。手間取りようがなかった。そうして無事、五芒星の結界を解くことに成功した三人は、意気揚々と町へ戻る。三人が先に家へと帰り、マリオンは一人でどこかへ出かけていった。「依頼主」に報告をしに行くのだろうと、ロトは言っていた。

 そして夕方には少しばかり早い時間。アニーたちは、ポルティエ行きの馬車に乗りこむことにしたのである。

「それじゃ、また様子を見にいくから。それまで無茶しないでよ」

 馬車乗り場まで見送りにきたマリオンが、ほんの少しの疑いを視線に乗せてロトを見た。彼はいつもどおり無愛想に、わかったよ、と言っている。子どもたちはその様子に、思わずほほ笑んでいた。そのうちに、瑠璃色の瞳が彼らを見る。

「また、いつでも遊びにきてね。学校があるから難しいかもしれないけど」

「うん。またロトに連れてきてもらう」

 アニーはきっぱり言った。青年に額を小突かれる。

「おい、こら。そのときは馬車代、自分で払えよ」

「えー! 横暴!」

「知るか。というか、どこで覚えた、そんな言葉」

 ロトが呆れかえった様子でため息をこぼす。アニーが、むう、と唇をとがらせた。

 そのとき。町の方から、彼らを呼ばわる声がした。振り返ると、見覚えのある二人がやってくる。必死で走っているのは、若者だった。前に馬車で一緒になった人だと、アニーはすぐ気づいた。ほかの人たちも同じだったらしく、意外そうに目をあわせている。

「ああ、よかった。間にあった」

「お兄さんたちも、同じので帰るの?」

「いや。もう少しポルティエにとどまる予定なんだけど」

 息を切らしながらそう言った若者は、背後の男性をちらりと見たあと、深く頭を下げた。

「この間は、どうもすみませんでした!」

 アニーたちとマリオンが唖然としている間に、若者がまた言葉を続ける。

「うちの親父、このとおりの魔術師嫌いで……。俺、いつも、そういうことを人前で言うなってなだめてたんですけど、俺もそういえばあまり真剣に考えたことがなかったって、あなたたちのことで実感したんです。それに、ほら、例の不思議な現象が起きないように、してくれたんですよね。そのことで、お礼も言わなくちゃって思ったんで。本当、ありがとうございました」

「え、ちょ、誰から聞いたの? それ」

 マリオンが、わたわたと顔の前で両手を振り、若者の言葉をさえぎった。彼から「町のおじいさんから……」という答えが返ってくると、彼女はため息をつく。そのあとも、さらにすみませんでしたと言い、若者がさらに何か、続けようとしたが――

「その辺にしとけ。あんまり頭を下げすぎると、地面にのめりこむぞ、おまえ」

 のん気な言葉がそれを止めた。若者が、ぽかんとして青年を見る。彼は腕をくんで親子を見たまま口を開いた。

「俺は別に、気にしてねえよ。あのくらいのことはよくあるし、今回の件に関しては、俺たちがうかつだったせいで、乗客の恐怖をあおっちまった部分もある。……ま、しいていうなら、そこのお嬢さんにはきちんと詫びてやってくれ」

「え!? わ、わたしも大丈夫ですよ! というか、だいたいわたしのせいじゃないですか、今回のことって」

 話を向けられたエルフリーデが、ぶんぶんと首を振る。あまりに激しかったので、アニーはつい「頭とれるよ」と口出ししてしまった。ロトやマリオンも、声を立てて笑う。

「あんまりそうやって、自分を貶めちゃだめよ。癖になっちゃう」

 そう言ったのはマリオンだった。彼女は優しく、エルフリーデの頭を叩く。

「今回は、みんなを守るために踏み出せた。だめだった部分はこれから直していく。それでいいの。ね?」

「……はい」

 エルフリーデが、頬を染めて返事をした、そのとき。やかましい音を立てて、馬車がやってくる。「行くか」という、ロトの言葉に、子どもたちはうなずいた。

 手を振るマリオンと、また頭を下げている若者と、気まずげなその父親に見送られて、彼らは馬車に乗りこんだ。やはり、行きと同じようにぎゅうぎゅうになった馬車は、やがて御者の爽やかなかけ声と馬のいななきを合図に、ゆっくりと動き出す。

 しばらく流れる景色を見ていたアニーは、ふと、車内を振り返って首をかしげた。隣に座っているフェイが、真剣な目をして膝をにらんでいることに気がついたのだった。

「どうしたの? また難しい顔、してるよ」

「え?……あ」

 フェイは、ぱっと顔を上げたあと、頬をかいた。

「ごめん。考えごと、してたんだ。論文で何を書くか、決まってきたから」

「そうなの? よかった」

 目を丸くしたアニーは、車窓に向けて乗りだしていた体を、少年の方に反転させる。顔を突きだし、「書けたら見せてよ」と彼女が元気よく言うと、フェイはためらいがちにうなずいた。くすくすと笑い声がして振り返ると、エルフリーデが楽しそうに目を細めていた。

「論文かあ。いいなあ、楽しそう」

「……おまえもけっこう、変なやつだよな」

 うきうきと声を弾ませるエルフリーデを、ロトがすがめた目で見やる。アニーもフェイも、思わず吹き出してしまった。

 車内の一角に弾けた笑い声と明るい空気は、少しずつ、馬車全体に広がってゆく。人々がなごやかに談笑するなか、少しずつ茜色に染まってゆく空の下を、馬車はゆっくりと進んでいた。

 

 

     ※

     

     

 四角く切り取られた窓の外から、空を見る。今夜は星が見えにくい。明日は天気が悪いかもしれないと、彼は考えた。つかのま漂った思考は、あっさりと消える。すぐ近くで上機嫌な歌声が聞こえてきて、彼は顔をしかめた。

「今日は、ずいぶんと楽しそうだな。ルナティア」

 暗い部屋の中に声をかけると、歌がやんだ。かわりに、弾んだ声が返ってくる。「ええ、とても」と笑う女の影を、闇の中に見出した。

「かかった獲物は、おまえにとって、そこまで大きいのか」

 ルナティアは、わかっているじゃない、と答えて窓辺に歩み寄る。わずかな月光に照らされて、白銀が浮かびあがった。

「まさかこの大陸で、あの魔女が選んだ『人形』に出会えるとは、思っていなかったもの。最初はね。やっぱり、ヴェローネルのまわりでいろいろと事を起こしてみて、正解だったわ」

「今回、結界は解かれてしまっただろう。あれはいいのか」

「あんなのは、使い捨てよ。彼に目印をつけられたんだから、しかけた甲斐は、あったわ」

 女はほほ笑んだ。愉悦にひたった彼女の顔を見ていると、今にも踊りだしそうだ、などと考えてしまう。彼は視線をそらし、再び、窓の外を見た。町はすっかり、夜の静寂と闇の中に沈んでいる。

「ならいい。好きにやれ。暴れるときは、俺も一緒に行く」

「期待しているわ、オルトゥーズ」

 彼女がここまで機嫌がいいのは珍しい。なんとなくおもしろくなくて、彼は「『白翼』の連中に気取られないようにしろよ」と水をさすような忠告をしてみたのだが、彼女は笑うばかりで取り合わない。しかたがないので、からかうことをあきらめて、石壁に背中を預けて目を閉じた。

「さあ、色をもつ魔女たち。私に答えを、教えてちょうだい」

 聞こえた彼女の呟きは、ほんの少し、影を帯びていた。

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