2 草木の狭間を巡る

 身支度を整えた五人は、すぐさま町を飛び出した。通りがかりの人が不思議そうにしていたが、今は彼らへ説明している時間はない。

 今日もほどよくいい天気で、青い空を細長い雲がのんきに泳いでいる。ポルティエとヴェローネルをつなぐはずの道は、とても静かだった。風が草葉を揺する音を聞いているだけで、心が安らぐ気がしてきて、アニーは足を止めかける。けれど、すぐに現状を思い出して、大人二人の後ろについた。

 馬車どころか人のひとりも通らない道を、マリオンの案内で進む。魔術師たちが先頭に立つのは、アニーたちがうっかり結界に入りこんでしまうのを防ぐためらしかった。アニーは、感心する一方で釈然としない気持ちになったが、文句は腹の底に押しこめて、黙々と歩く。まずは、「ポルティエのそばの方陣」を確かめるべく、途中で街道を横にそれた。

 まだ、ポルティエの入口がはっきり見える場所だ。ずんずん藪の中へ入ってゆく魔術師たちを、子どもたちは慌てて追った。エルフリーデが見ている地図を、アニーものぞきこみつつ、時折太陽も確かめる。今日が晴れでよかったと思った。そう思って前を確かめたとき、マリオンがロトに声をかけた。

「体調はどう?」

「何も変わらない。黒いのも、広がった気配はないな」

「そう。……そろそろ、方陣が見えるんだけどね」

 呟く彼女は、何かを考えているようでもあった。アニーはそれが不思議だったが、尋ねようとは思わなかった。考えなおすより早く、彼女の足が止まった。背伸びをして、目をこらせば、大人のむこうでうっすらと何かが光っているのが見える。

「ここだわ」とマリオンが言い、一歩を踏み出した。アニーたち三人も、早足で前へ出る。

「あ、これ!」

 フェイがうわずった声を上げる。アニーも、息をのんだ。

 踏み出した先にあったのは、確かに紙の上で見た方陣だ。時に強く、時に弱く光を発している緻密な図形は、見ているだけで寒気がしてくる。魔術師たちと、その卵である少女が、そろって顔をこわばらせたのを視界の端にとらえる。アニーは、自分の感覚がおかしいわけではないと、悟った。

「さてと、早いとこ解除しちゃいましょうか。……少し、記号の配置が変わってるみたいだけど」

「相手も馬鹿じゃないな」

 無愛想に呟いてから、ロトは方陣のそばにかがみこむ。マリオンも同じようにし、上半身を前に出してから、方陣にそっと手をつけた。二人がかりでの、方陣の解除が始まる。彼らのほっそりとした指が、記号や文字を弾いて消していく。弾かれた方陣の欠片たちは、光の粒となり、そのつど空へ吸い込まれた。不思議な美しさに、アニーは言葉を忘れて見とれてしまう。

「なんというか……すごく、慎重にやってるね」

 しばらく経って、方陣のほとんどが消えたとき。フェイが、感嘆のため息をこぼしつつ、そう呟いた。彼の声で意識が現実に戻ってきたアニーは、友達を振り返る。目をきらきら輝かせている少年を、エルフリーデがほほ笑みながら見た。

「慎重になるのはしかたないことだよ。だって、少しでも手順を間違えたら、ボカン、だもん」

 そう言いながら、彼女は右手を一度にぎって、ぱっと開く。爆発を思い浮かべたアニーは「おっかな」と肩をすくめた。鈴を振るような笑い声が返ってくる。

「でしょう? だから、方陣は描くときも消すときもゆっくり慎重にしなきゃだめだって、お父さんが言ってたわ」

 アニーとフェイは、同時に相槌を打つ。けれどそこで、フェイが首をひねった。アニーも小さな違和感を抱く。胸にほんの少しばかり浮かんだもやもやしたものが、形を持つよりも早く、方陣の解除にかかっていた魔術師たちが立ちあがった。

「さて、ここは終わりね」

 伸びをしたマリオンが、実にすがすがしくそう言った。ロトはいつものぶすっとした顔で、手をはたいている。子どもたちは、彼らのもとに駆け寄った。

「終わったんですか?」

「うん。いやあ、ロトが手伝ってくれたから早く済んだわ」

 女魔術師は、自分を見上げる少年に、笑顔で返していた。そのかたわらで、ロトが「こんなのたいしたことじゃねえよ」と、呟く。彼女は気を悪くするでもなく、豪快に彼の肩を叩いた。

「ふふふ。あんたのそういうところを見こんでお願いしたの。あたしの人選、完璧でしょ」

 自信満々な物言いに、何も返せなくなったロトがそっぽを向く。アニーたちですら、頬を緩めてしまった。得意になって胸を張っていた黒衣の魔術師が、気を取り直して地図をのぞきこむ。

「じゃあ、次行きましょう。ここからだと、北の茂みの方陣が近いから、そっちから回りましょう」

「はいはい」

「了解!」

 彼女の号令に、ある者はしぶしぶ、ある者は元気よく返事をした。

 

 こうして魔術師二人の力で、あらかじめ見つけていた三つの方陣は解除された。ときどきは、エルフリーデも手伝って、大人たちのわざを真剣になって学んでいた。その姿を見るのが、アニーは嬉しかった。けれど同時に、何も手を貸すことがないのが――少し、歯がゆかった。

「問題は次ね。これさえ消せば、結界は解けたようなもんだけど」

 遠くに川のせせらぎを聞きながら、マリオンが口を開く。五人はそろって地図をのぞきこみ、わずかな間考えた。残るふたつの、星の先端。西南西と東南東だというが、どちらから向かうのか。

「ここからだと、やっぱり……こっちがいいんでしょうか」

 フェイが、自信なさそうに指さしたのは、西南西の先端だ。そのあたりもまた、草木に囲まれていて、地図によれば先に崖があるらしい。誰からともなくうなずいた。

「急いで行きましょうか。もたもたしてると日が暮れそうだし」

 言って、マリオンが空をあおぐ。太陽がそろそろ中天を通りすぎようかという頃だ。アニーも白く輝く太陽を見上げてから、うなずいた。

 地図に沿ってある手いく。途中で、マリオンが、パンに干し肉と少しの野菜をはさんだものをくれたので、みんなで食べた。太陽がやや西に動いたとき、アニーの隣を歩いていたエルフリーデの眉が動く。アニーとフェイは、自然、視線を彼女から大人たちへと滑らせた。彼らも、無言で顎を動かした。あの先だ、とロトが指さしたのは、森の入口にも似た、黒い空間である。

 草木に分け入り、顔に当たりそうな枝をはらいのけて進むと、予想どおり、丈の長い草にまぎれて、ぼんやり光を放つ方陣があった。ロトとマリオンが慣れた足取りで、そちらへ近づいた。マリオンは、腰に手を当てて方陣を見おろす。

「さてと。ここからは『予習』してないからね。大変よ」

「任せとけ」

 わざわざ脅すような言い方をした幼馴染にひるみもせず、ロトが言葉を返す。「わたしも手伝います!」と、エルフリーデが二人のそばへ走り寄った。今までどおり、三人が方陣を取り囲み、解除を始めようと手をのばす。

 アニーは身を乗り出してそれを見ていた。エルフリーデが指示をもらって最初の記号に手をつけようとした。その瞬間、アニーは、うなじのあたりがしびれたのを感じて、剣に手をかけた。少しずつ研ぎ澄まされている感覚に従って、嫌な気配の方を見る。

 同時に、ロトが動いた。彼は無言で、そばにいたマリオンの腕を引いて、細い体を抱えこんだ。アニーがそれに気づいたのは、草と土の鳴る音を聞いたからだった。彼女が二人の方を振り返り、マリオンが短い悲鳴をあげたとき、二人のそばに、光る何かが飛来した。

「危な――」

 アニーが動こうとした直後、光るものは、花火を激しくしたような破裂音を立てて、弾ける。一瞬、光に目を奪われて、子どもたちはよろめいた。そんな中でもすばやく立ち直ったアニーは、慌てて二人の様子を見る。ロトもマリオンも、地面に伏せっていたが、無事ではあった。しかし、立ち上がろうとした彼らのそばで、いきなりバチバチと火花が爆ぜる。弾けた火花は連なり、糸状になって――信じられないことに、そばにいた青年へからみついた。変わらず小さく鳴る糸状のものは、静かに獲物を締めあげていく。草の上に転がったロトが、喉の奥からしぼりだす声を聞いた。

 名前を呼ぶ声が重なる。アニーはとうとう剣を抜いて走り出そうとしたが、それをマリオンが鋭く制した。

「来ちゃダメ! あんたまで巻き込まれる!」

「でも」

「大丈夫だから!」

 言うなりマリオンは、虚空に指をのばし、小さな円のなかに三角形をふたつ重ねて描く。アニーたちが知るよりも慎重に描き出された方陣は、間もなく緑色に輝いた。光はそのまま刃のようになって、火花の連なりからできた糸をすっぱり切る。すると、ロトの体にからみついていたものすべてが、ぱっと散って消えた。彼は、体を抱え込んで、荒い呼吸を繰り返す。息が落ちついてきたころに、深海色の目が女性を見上げた。

「助かった」

「ううん、あたしの方こそ。それより、大丈夫?」

「あちこちしびれてるけど、すぐ治るだろ」

 ロトはいびつに笑った。

 肩の力を抜いたマリオンが、ぱっと振り返り、光が飛んできた方向をねめつける。アニーたちの意識も自然とそちらへ向き――彼女の剣の切っ先が震えた瞬間、目の前に黒が躍り出た。ぞっと、背筋が寒くなる。アニーは本能に従って剣を振った。重さと衝撃と、響く高音。よろめきながらも、なんとかふんばり、少女は黒をにらみつける。漆黒の髪と衣をなびかせた男は、闇のような瞳を笑みの形にゆがめた。

「あんた……!」

 敵の正体に気づいたアニーは、苦くうめく。恐怖と怒りと衝撃が、すべてごちゃ混ぜになって表へ出てきた。目は自然と、きつく細る。強烈な眼光を真正面から受けたはずの男は、しばらくは無言だったが、五人を順繰りに見回してから口を開いた。

「昨日ぶりだな」

『黒い盗賊』、そう呼ばれる男は、言うなり静かに剣を構えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます