終章

彼らの日々

 ヴェローネル学院には、いくつか「大講堂」と呼ばれる大きな部屋がある。そのうち、五回生や六回生が使うのが、西館にある第三大講堂だ。今も、分厚い扉の向こうから、低い女性教師の声が、朗々と響いてきている。そして、訓練を終えた戦士科の生徒たちが、興味本位で講堂の前に集い、聞き耳を立てていた。アニー・ロズヴェルトもその集団のなかの一人である。ただ、彼女は、ほかの生徒よりもずっと真剣な顔で、届く声のひとつひとつに耳を傾けていた。

 やがて、その耳がひとつの音をとらえて、ぴくりと動いた。

『では、フェイ・グリュースター。あなたの考えを聞かせてください』

 女性教師の冷たい声に指名されて、椅子の動く音がした。続けて、少年の声が響いてくる。少女にとってなじみ深いその声は、ときどきつっかえながらも、しっかりと自分の意見を述べていた。アニーの知る彼のとは違う、凛とした言葉の数々に、思わず聞き惚れてしまったほどだ。

 やがて、一人の発言が終わり――しばらくすると、『研究科』の授業そのものが終わった。大講堂から生徒たちが出てくるなか、戦士科生もほとんどが蜘蛛の子を散らすように去ってゆく。その場に残ったのは、出てきた生徒の中に知り合いがいる人びとだけだ。アニーは、人の群の中からすぐさまフェイを探しだし、飛びついた。彼のまわりにはすでに小さな人だかりができていたが、アニーの姿を見つけた生徒たちは、少しだけ距離を置く。

「フェイ! おつかれ!」

「……て、アニー!? 聞いてたの!?」

「もちろん」

「何がもちろんなんだよ! ああもう、恥ずかしいなあ……!」

 二人のやり取りを聞いていた生徒たちが、さざ波のような笑い声を立てる。

「恥ずかしがることないだろ。今日のおまえ、すげー堂々としてたぜ」

 男子生徒の一人が、フェイの肩を思いっきり叩いた。何人かの生徒がその言葉におされるようにして、同意の声を上げる。耳までまっ赤になったフェイが、困ったふうに頬をかいた。そのまま二人は、なごやかな雰囲気の大講堂前を去ろうとする。その際、アニーは集団の中の、がたいのいい男子と目があったが、特に目立った反応はしなかった。軽く練習用の剣を鳴らしてから通りすぎる。

 が、そのとき。

「おいおい、なんで『暴れん坊』のアニーさんがここにいるんだ?」

 いやみなほどに大きな声が響き渡る。アニーは顔をしかめ、フェイは縮みあがった。集まっていた生徒たちも――あの、クレマン・ウォードでさえ――迷惑そうに顔をしかめる。アニーは、自分の進路をふさぐように仁王立ちする数人の生徒に「何よ」とぞんざいな声を投げた。先程の一声は、ちょうどアニーのむかいに立っている男子生徒のものだろう。生徒たちの雰囲気を見る限り、お高くとまっている『研究科』の生徒が、アニーをよく知る『戦士科』の取り巻きを連れている、といった構図だった。

「ここは君みたいな人がいていいところじゃないよ」

「何それ。別に、私がどこの廊下を歩いていようが勝手でしょ」

「違う違う」と男子生徒は指を振った。

「廊下とかそういう問題じゃなくて――この学院が、君のいるべきところじゃないって言ってるんだ。この間だって、問題を起こしたそうじゃないか。よく停学にならなかったね」

 アニーの眉が跳ねた。だが、表情は変わらない。誰かが、ちょっと、やめてよ、と嫌そうにささやく。不穏な空気が流れる中、一歩を踏み出したのは意外にも、フェイ・グリュースターだった。

「そんな言い方ないだろ。アニーだってちゃんと学院側に認められて在籍してるんだ。この間の件だって、アニーはきちんと反省したし、先生たちもそれを受け入れてくれたんだよ。終わったことをしつこく蒸し返すのはよくないんじゃないかな」

「フェイ……?」

 アニーは驚いて幼馴染を見た。今までならば彼は、こんなふうに反論しなかったからだ。まわりの生徒たちも彼のふだんを知っているだけに、少し戸惑っている。中には「いいぞー」とわざとらしくはやし立てている少年たちもいた。だが、アニーは気づいた。言い返した少年の手が、細かく震えている。

 言い返された男子生徒は、ふん、とわざとらしく鼻を鳴らした。

「少し見ない間にずいぶんおしゃべりさんになったんだな、フェイ・グリュースター。その舌と頭を少しは授業で活かしたらどうだい。さっきの授業もそうだよ、あれじゃ、素人とそう変わらない」

 あの、意見を求められたときのことだとアニーはすぐ察した。難しい言葉が飛び交っていたために、アニーにはどういう内容だったのか半分も理解できなかったが、女性教師から発される質問にもいつもよりしっかり答えていたことには驚いていたところである。あれがフェイにとってそうとう勇気のいることだったというのを、彼女は知っていたから、すなおに「すごいな」と思った。

 だからこそ、男子生徒の言葉におそろしく腹が立った。なんとかこらえようとしたが、後ずさりして唇をわななかせている少年を見た瞬間、アニーの中で何かが音を立てて切れた。

 おぼえのある感情が、ぐらり、と表に出てくる。彼女のまとう空気が変わったせいで、まわりの生徒たち、特に戦士科生たちががじりじりと後ずさりをはじめた。これはやばいやつだ、と何人かがささやく。二人にからんできていた生徒たちも、わずかに緊張したようだった。

「そ、その顔はなんだよ、アニー。やろうっていうのか? ひ、人を殴ったりしたら、停学じゃ済まないよ」

 ややひきつっている男子生徒の声を無視して、アニーは一歩を踏み出す。頭の中に音が満ちるのを感じた。まずい、と自分でも思って、そして恐ろしくなる。けれどそんなとき、彼女の脳裏に声が響いた。

――そのときは、俺でもフェイでもいいから、名前を叫べ。

 凛として鳴る、低い声。それは、彼女の中に満ちる音を、そっとなだめた。

「――フェイ!」

 アニーは鋭く叫ぶ。フェイが飛び上がった。

「は、はいっ! なんでしょう!」

「なんでもない! 呼んだだけ!」

「え、ええっ!?」

 フェイが裏返った声をあげ、生徒の中から笑いがもれる。アニーにとってはどちらもどうでもよかった。ただ、自分の現実を見失わずに済んだことに、ほっとする。そのまま男子生徒のすぐ目の前まで歩いた彼女は――

「えいっ」

 彼の広いおでこを思いっきり指で弾いた。日々鍛えているアニーがそれなりの力をこめたので、かなり痛いはずだ。実際、男子生徒は唖然とした後、額を押さえて悶絶した。取り巻きの生徒たちが困ったように顔を見合せる。

 涙目の男子生徒に顔を近づけ、アニーは鋭く言いきった。

「私のことはなんだって言ってくれていいわよ。問題起こしたのも本当だし、今さらそれを隠す気なんてない。けど、フェイを馬鹿にしないで。……勇気をふりしぼって頑張った人を馬鹿にしないで! 何も知らない、知ろうともしないあんたにそんな資格はない!」

「なっ……」

 男子生徒は、額の痛みも癒えないうちに次の衝撃を叩きこまれて、唖然としていた。目を開いたり閉じたり、顔を赤くしたり青くしたり忙しい。そんな彼が噴火する前に、アニーは「行こう!」とフェイの手を強引にひいて、その場を立ち去った。

 遠ざかる二人の生徒を、残された子どもたちは呆然と見送る。窓辺にもたれて一部始終をながめていたクレマン・ウォードが楽しげな目を彼らに向けた。

 

「――ていうことがあったのよ! どう思う、どう思う!?」

 アニーは机を拳でどんっと叩く。さし向かいで話を聞いていたロトが、おもしろそうに眉を上げた。

「なるほど。まあ、他人をいじめて反応を楽しむような奴がよくやることだ」

「しんっじられない! どうしてあそこでフェイを持ち出すわけ!?」

「俺としては、おまえらの言動の方が興味があるな。特にアニーのこれ」

 憤激する少女に向けて、青年は指を丸めて弾くしぐさをする。そばで聞いていたフェイが、小さく吹き出した。アニーはなんとなく恥ずかしくなって、顔をそむけた。

 彼女が今怒りをぶつけているのは、街の片隅にある、青い三角屋根の家――「便利屋」の主だ。遺跡の探索のあと、「勉強くらいは見てやってもいい」と彼が言ったので、二人はその言葉に甘えて、時折こうして課題片手に便利屋を訪ねている。『研究科』の生徒とひと悶着あったこの日も、もとから勉強を見てもらう約束をしていたのだった。

「しかしまあ、おまえも大胆になったな、フェイ」

「い、いえいえっ! あのときはもう、本当、ただただ夢中になっていたというか!」

 椅子にもたれかかってからかうロトに、フェイは慌てて手を振った。

「でも……。ぼくが誰かにいじめられるたびに怒ってくれてたアニーの気持ち、なんか、わかった気がします」

 そう呟いたフェイは、ほほ笑んでから、照れくさそうに頬をかいた。それを見てアニーもわずかに頬を赤らめる。

「それさ。本人の前で言う?」

「え、だめだった?」

「だめ、じゃないけど。なんかこう、こう……!」

 アニーはとりあえず、面と向かって言うな恥ずかしい、と言いたかったのだが、結局その言葉が出てこなかった。ぷるぷる震える少女を、幼馴染の少年が不思議そうに見る。そして、すっかり傍観を決め込んだ青年は、手元の資料を無造作にめくった。それに気づいたアニーは、すぐ話題を変える。

「あれ? そこに書いてあるのって、守護獣の話? そういえばあれ、結局どうなったの?」

 水を向けられたロトは、ん、と声を出したあと、資料とアニーを交互に見る。それからため息をついた。

「ああ、調査の結果、魔物の暴走は守護獣の放った魔力が連中を触発したせいだろうっていう結論になった。ただ、なんで今になって守護獣が目をさましたのかがはっきりしない。今後、ほかの遺跡の周辺で同じことが起きると困るからって、専門家が各地を調べてまわるらしい」

 だから俺の仕事はここで終わりだ、と投げやりに締めくくったロトを、アニーとフェイはしげしげと見やる。知らない間に、それなりの大事になっているようだが、便利屋の青年はまったく気にした様子はない。

「えー、っと。それでいいんですか?」

 フェイがおそるおそる尋ねると、ロトはつかのま口ごもって、本当に面倒くさそうな顔をした。

「いいってなんだよ。俺には関係ないし。しいて言うなら、もう二度とこの手の探索には加わりたくないね。腕輪がいくらあっても足りない。壊すたびに怒られるのも困るのも俺なんだよ」

 いらだったふうなロトを見つつ、二人の子どもは生返事をする。それから、アニーはふっと笑った。

「私はまた、あんな冒険がしてみたいな。別に、遺跡じゃなくてもいいから」

 彼女が笑顔で言うと、ロトとフェイは目を瞬いて、顔を見合わせる。それから、困ったふうに肩をすくめるのだった。

 

「ほら。それよりとっとと課題やれ課題」

「は、はいっ!」

「ねえ、ロト。この文章ぜんっぜんわかんないんだけど」

「少しは自分で考えろよ! あとフェイは、そろそろその敬語、どうにかならないのか?」

「え、え。それ今言うことですか!?」

――黄昏迫る、学術都市ヴェローネル。その片隅に青い三角屋根の家がある。

 春のある日以降、その家からは時折、少年少女と主である魔術師の、騒がしい声が響いているという。

 

 三人の物語は、まだ、始まったばかりだ。



(Ⅰ はじまりの冒険譚・終)

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