第二章 進級試験

1 おかしな一日目

 朝の空は、まぶしい青色だった。雲ひとつない天を、冬のおぼろげな太陽が、白々と照らしていた。空気はよく冷え、昨夜の雨の名残なごりは凍りつき、水たまりはてらてらと光る。

 そして、そんな朝の寒さが落ちついた頃。学びのみちと呼ばれる学生街、その奥にある学院に、学徒たちが詰めかけていた。教師にうながされるまま、それぞれの部屋へ向かう彼らは、誰もかれも、こわばった顔をしている。

 きびきびと歩く人。背を丸めて進む人。緊張で足もとがおぼつかない人。さまざまな学徒たちを吸いこんで、重々しい扉が閉じられる。教師の号令のあとには、ただ、静けさだけが残る。

 ヴェローネル学院、進級試験当日の朝。その、一幕だった。

 

 武術を多くとり入れている戦士科にも、座学はある。なので当然、筆記試験もある。

 いつもより少し早めに寮を出て、いつもの席を陣取ったアニーは、ひとり気合いを入れていた。ぺちぺち頬を叩いていると、扉の閉じられる音がする。音の余韻が消え去ると、はりつめた沈黙だけが後に残った。ふだんは問題児と呼ばれてばかりの少女も、このときは自然、姿勢を正した。

 筆記試験を監督する先生から、試験の説明をされる。中身は去年と変わらないので、アニーは半分ほど聞き流していた。問題が配られると、ざっと目を通す。そして間もなく、眉をひそめた。自分なりに勉強してきたつもりだったけれど、その「つもり」が、いったいどこまで通用するものか。さすが名門、と、今までにない感想を抱いて、少女は文字の羅列と向かいあう。

 女性教師が淡々と、試験の始まりを告げた。瞬間、生徒たちは一斉にペンをとる。アニー・ロズヴェルトもまた、木版と羊皮紙にかじりついた。ヴェローネル学院での六年の中で、特別課題の次に真剣になった時だった。

 それからは、眠気や混乱との戦いだった。ロトやフェイの、教えのおかげもあるだろう。いつもよりは問題が解ける。考え方がわかる。少なくとも、見た瞬間に投げ出したくなる問題は、少ない。試験中だというのに、胸が弾んでくるときさえ、あった。それでも入れ替わるように、睡魔や心のくもりは襲ってくる。アニーは、幼馴染の顔や、便利屋のからかい文句を思い出して、自分に活を入れていた。

 何が起きるはずもない、試験の時間。そこにささやかな波が立ったのは、試験時間の四分の一が過ぎた頃だった。アニーは、ふっと手を止めた。うなじのあたりが、ちりりとしびれる。無意識のうちに顔を上げ、窓の外を見る。けれど、いつもの冬空しか見えなかった。

 気のせいだろうか。首をかしげ、視線を問題に戻したとき。視界の隅で、一人の生徒が手をあげた。質問がある、もしくは問題に不備がある。そのようなときは黙って手をあげろと教えられる。しかし、その生徒はどちらでもなかった。青い顔を先生に向けて、小声でなにか言った。女性教師は、生徒の問題行動を見たときのように眉をひそめたあと、その生徒を立たせた。間もなく、その生徒は、駆けつけた医務室の先生に引きとられて、部屋を出ていった。

 アニーはそのとき、緊張で体を悪くしたのかな、と、軽く考えていた。おかしなことに気づいたのは、試験時間が半分を切った頃。それまでに、何度も何度も生徒たちが手をあげた。そして先生たちに連れ出された。生徒たちが、具合の悪そうな顔をする少し前に、必ず、アニーは殺気に似たなにかを感じた。

 よくわからない、言葉では説明できない、おかしな事態が起きている。

 しかし、それがなんなのかわからないまま、試験の時間は終わってしまった。戦士科のいち会場だけでも、七人ほどが脱落してしまった。ただ、絶えずなにかを感じ続けたアニーは、体に違和感をおぼえることもなく、長い戦いを乗り切ったのである。



     ※



「え? それじゃ、文化学科でも同じことが起きてた、ってこと?」

「……たぶん」

 丸い卓をはさんで、アニーは友人の方に身を乗り出す。エルフリーデは、心細げに目をふせて、うなずいた。

 二人がいるのは、女子寮の広間の隅だ。ひとまず試験から解放された少女たちが、思い思いに羽を伸ばしている。そんななかで、アニーは、唯一の女友達から奇妙な話を聞いた。文化学科の試験会場になった講堂でも、五人ほどが体調不良で連れ出されたのだという。

「先生たちは、集団感染か食中毒か……って言ってたけど、みんな、体には問題ないんだって」

「うーん。たぶん、病気じゃないと思うなあ」

 アニーは長椅子にもたれかかる。天井をなぞる碧眼は天井をそのまま映しているが、彼女自身の心は、試験中のあの時間に飛んでいた。たびたび感じた、うなじのひりつき。あれは、今までにいろいろな事件に関わってしまったなかで馴染みきった感覚に、違いなかった。

 そのようなことを、彼女が口に出そうとしたとき。首を縦に振ったエルフリーデが、思いもよらない言葉を口にした。

「わたしは……あれ、魔力だと思うの」

「えっ?」

 アニーは、飛び起きた。「本当!?」と詰めよれば、エルフリーデは今にも泣きそうな顔で、膝を覆う布をにぎりしめる。

「試験中、ずっと、妙な魔力を感じたの。知ってる誰かのものじゃない、ロトさんの呪いの気配でも、もちろんない。でも、なんだかすごく気持ち悪くて怖い魔力だったの。わたしは、そんなに具合が悪くなりはしなかったけど、全然集中できなくて。試験、大丈夫かなあ」

 ほう、とため息をもらす少女を、アニーは愕然として見やる。アニーは「魔力持ち」のエルフリーデと違って、魔力と呼ばれる魔術の源を、正確に感じることはできない。だからこそ、殺気に似た違和感の正体がわからないままだった。

「なんか、新年早々物騒だねえ。嫌な事件も起きてるみたいだし」

 少女二人の視線は、自然、広間の奥に集まる。寮の部屋がある二階。そこへつながる階段のそばの壁には、掲示板がある。掲示板のすぐ下の机には必ず、その日の新聞が一部、飾られる。今日の新聞の一面を飾っていたのは、王国の西部で起きた、殺人事件についての記事だった。殺人事件じたいは、それほど珍しいことではなくなってしまっているが、この記事は彼女ら二人の感心をひいていた。

 記事のなかに、「魔術師部隊」の文字があったからだ。

「魔術師部隊……『白翼はくよくの隊』が動くってことは、魔術がらみで間違いないってことだよね? 怖い、怖い。私、ロトと違って魔術は苦手だよ」

 人材がたりないので、警察には魔術犯罪が得意な集団、というものがない。なので、自然、軍のいち部隊である『白翼の隊』が動くことになるわけだが――彼らが動くのは、本当に魔術が関わっているとわかったときなのだという。それだけ、深刻な事件ということなのだろう。

「その魔力も、事件と関係あったりして」

「どうなんだろうね。ヴェローネルやポルティエのあたりは、今のところなんにも起きてないけど。寮の子たちのなかには、知り合いが事件があったあたりにいて、連絡が取れてないっていう人もいたし……」

 エルフリーデは、きゅっと眉を寄せると、「怖くなってきた」と呟いた。魔術師の卵だからこその、不安であり、恐れだ。アニーは軽く唇をかんだあと、わざと、強く彼女の肩を叩いた。

「ま、ここで私たちが悩んでもしょうがないじゃん。私たちは、できることをやるしかないよ。さしあたっては、明日の準備!」

 彼女の幼馴染がこの場にいたならば、「アニーが珍しくまともなことを言ってる!」と、感激しつつも体調不良を疑うところだ。しかし、不安に瞳をうるませていたエルフリーデは、ほっと表情をほころばせる。

「そういえば、そろそろクレマンくんと約束した時間だったね」

「うん。だから、行こう! エルフィーも一緒に行こう! 気分転換になるし、あいつも喜ぶし」

 少女たちは、うなずきあって、立ち上がる。好奇の視線を向けてくる女子たちを気にもせず、広間を軽やかにかけていった。



     ※



 石造りの建物は、きれいな直方体をつくっている。ほんの六、七十年前に建てられて、早くも廃屋となってしまったそこには、今では人の一人もよりつかない。さびしい平和が約束されているはずの、古びた建物。けれど、今、その中は血臭に満ちていた。

 黒い革靴が、軽やかに踊って血だまりを踏む。ぴしゃん、と音を立て、赤いしぶきが散った。薄闇の中でもわかるほど、濃い血の色と、男の黒。彼は、死体と血が築く山河のなかで、楽しげな笑みを浮かべていた。

 それまで沈黙のなかで、ただ屍を見つめ、血だまりを歩いていた彼。その黒い瞳が、ふいに建物の奥を向く。

「ルナティア」

 薄い唇から漏れた音は、古い女神の名を紡ぐ。それは、神の名であって人の名だ。少なくとも、今は。

 いらえは、すぐにあった。「終わったわ」と、甘い声がうたった。男は、オルトゥーズは、薄く笑う。

「やれやれ。おまえも、やっと、俺を暴れさせてくれる気になったか」

「私は、あなたにそれほど我慢を強いているつもりはなかったけれどね」

「基準なんて人それぞれさ」

「確かにそのとおり」

 調子のいいやり取りの後、暗闇の中から、人の影が現れる。銀髪は、ぞっとするほど浮き立って、輝いていた。まがまがしいなにかを感じる。王都で、魔女の《爪》に似せた竜を生み出したときでさえ、これほどの寒気はなかった。オルトゥーズは、彼女のやったことが邪法なのだと改めて思い知った。だが、それ以上の感情はわいてこない。どのみち、その邪法を行う女性に手を貸したのは、彼自身なのだ。

「だいたいの魔力は集まったわ」

 ルナティアは、そう言った。独り言のつもりだろう。いつになく、声音が明るい。

「だいぶ魔術師を殺した。『白翼の隊』もすでに動いている」

 言わなくても、彼女はわかっているだろうが。

「あの少将は勘がいい。俺たちが関わっていることに、すでに気づいていてもおかしくない。奴に接触するつもりなら、今が最後の機会だと思え」

 一度だけ、まみえた軍人を思い出す。とび色の瞳は、獲物を狙うたかを思わせた。

 オルトゥーズは、つやめく鞘に手をのばす。知らないうちに、喉が鳴った。緊張している。あたりまえだ。

――今から彼らは、その鷹が大事に大事にはぐくんだ命を、けがしにいくのだから。

 その意味を知らぬルナティアではない。それまで上機嫌だった目に、いくらか真剣な光が宿る。

「大丈夫。今なら、うまくできるわ。うまく、やらなければならない」

 あかい唇がほほ笑みをつくる。いつもの表情は、いつもよりも冷たくて、悲しそうだった。

「行きましょ、オルトゥーズ。『魔女の人形』に、最期さいごの仕事をしてもらわなきゃ」

 オルトゥーズは、淡白に答え、建物を出る彼女の後ろにつく。

 そのとき、ふいに浮かび上がった問いは、むりやり胸の奥へと押しこんだ。

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