2 青年の調べ物

「――と、いうわけなんだけど」

「ほうほう。なるほどねえ」

 フェイに耳打ちされたアニーは、にやりと笑って横を見る。心配そうな幼馴染に向かい、ぐっと親指を立てた。

「いっちょやってやろうじゃないの。クレマンを手伝うのは面倒くさいけど、ヒューゴは私も気に食わないって思ってるし」

 彼女が言うと、フェイはひきつった笑みを見せた。

「面倒くさいって……」

 呆れたふうに呟いた彼が、「やっぱりすなおじゃないなあ」と続けたことを、アニーは知らない。クレマンがヒューゴたちから離れるための作戦を練るべく、早くも頭を動かしはじめていた。

 何気なくあたりを見回せば、ひとけのなかったはずの講堂に、たくましくむさくるしい男子たちが顔を見せはじめていた。アニーとフェイは軽く顔を見合わせたあと、「じゃあ、講義がんばろう」と、フェイが手を振って去っていった。アニーも笑顔でうなずいて振り返す。見慣れた後ろ姿が、人の流れにさからって消えたあと、あからさまなささやきが、背中にぶつかった。

「あの子さあ。フェイくんにはいい顔してるよね」

「しかたないでしょ。幼馴染、なんだし」

 アニーはむっと眉を寄せた。振り返らなくてもわかる。戦士科六回生で数少ない女子生徒のうちの、二人だ。言い返そうか無視しようか、無言でなにか意趣返しをしてやろうか……と、彼女がもんもんとしていたとき。別の声が、横から殴りかかってくる。

「おまえらなー。そういうのは、もっと堂々とやるか、うまく隠すかしろよ。へったくそ」

 大声を叩きつけられた女子二人は、にごった声を上げて、離れたようだ。嫌な気配が消えたところで、アニーはようやく振り返る。クレマンの、腹立たしい笑みがあった。

「よ、アニー。貸しひとつ」

「勝手に貸し借りしたことにしないでよね」

 舌を出したアニーは、けれど、思いかえしてほくそ笑んだ。ならばこれから、貸しも借りも帳消しにすればいい。

「フェイに聞いた」

 声をひそめてそう言えば、クレマンは今にも飛び上がりそな顔で固まった。くすくすと笑ったアニーは、それから先ほどと同じように、立てた親指を見せつける。

「手伝ってあげるよ。言っとくけど、おもにエルフィーのためだからね。あとは私のうっぷん晴らし」

「……へん。勝手にしろ」

 吐き捨てて、視線をそむけた少年をながめた後、アニーは上機嫌で席につく。少し離れたところに腰かけた彼が、昨日のやり取りを思い出していたことなど、知る由もなかった。



 クレマンのことも大事は大事である。けれど、学生であるアニーたちにとっては、何よりも試験が大事だ。問題児とまで呼ばれたアニーがそう思えるようになっただけ、かなりの成長なのだけれど、本人は無自覚である。

 ともかく。大事な試験の対策のため、子どもたちは放課後に街へ飛び出していた。目指す場所は決まっている。青い三角屋根の家。街でひっそりと『便利屋』を営む青年と、アニーとフェイは春に知りあった。勉強をみてもらうようになった。エルフリーデはその後まもなく、クレマンは先月に彼を知ったばかりだ。それぞれがそれぞれに、彼と打ちとけつつある。最初は警戒していたクレマンも、最近では大人しく彼の話に耳を傾けるようになった。もっとも、彼本人は、クレマン・ウォードを「アニーと同類のクソガキ」とみなしているようで、ひとくくりにされたアニーにとっては、それが数少ない不満なことではある。

 慣れた足取りで戸口に立つ。言われるでもなくアニーが進み出、呼び鈴のひもをにぎった。左右に振ると、涼やかな音色を奏でる。それから間もなく、扉が開かれた。

「いらっしゃい」

「ロトさん、今日はその、よろしくお願いします!」

『便利屋』の青年ことロトは、いつもの仏頂面で手を振る。頭を下げたエルフリーデは、それからぱっと、笑った。クレマンが眉をしかめている横で、フェイは苦笑し、アニーは楽しむ。

 彼の家に招き入れられるのも、春からの恒例行事となっている。ととのえられているはずなのに、雑然としている感じがぬぐえない居間に通されたとき、アニーは違和感をおぼえて目を瞬いた。

「あれ? いつもより、本がいっぱい」

 机の隅に積まれた分厚い本。それらはふだん、この家の書斎、本棚の中でひっそりと眠っているであろう代物や、どこかの図書館から借りたであろうものだ。アニーの視線に気づいたらしいロトが、ああ、とため息混じりの声を吐く。

「ちょっと、調べ物してたんだよ。片付けてくるから、問題でも広げて待ってろ」

「調べ物? なんの?」

 アニーが言うと同時、フェイが「え?」と不思議そうに首をかしげた。彼の視線を追いかけて、アニーは本の背表紙をなぞるように見ていく。

『エウレリア古代史』『大帝国の繁栄から滅亡まで』『エリザース帝国史』『帝国家名全集』――その他もろもろ。馴染みのない単語に首をかしげていると、フェイがロトを見上げた。

「ロトさん。なんでまた、エリザース帝国なんて調べてるの。歴史のお勉強?」

「歴史のお勉強は、王都にいた頃に嫌というほどした。そうじゃなくて、ちょっとわけがあってな」

「わけって……」

「おまえらにも関係がないとは言い切れない。勉強見終わったら話す」

 無愛想に言いきるなり、ロトは本の山を器用に抱え上げて、書斎の扉のむこうにひっこんでしまった。取り残された子どもたちは、しかたなしに、勉強道具を広げて待つ。椅子に座ったアニーは、誰にともなく尋ねた。「エリザース帝国って、グランドルができる前の国だよね?」と。

 いくら勉強が苦手といっても、大まかな歴史くらいは把握している。もちろん、博識なフェイがそばにいたおかげもあるだろうけれど。

 そう思っていると、当のフェイがうなずいた。

「うん。正確には、グランドルが起こる前の国だね。もとは小さな王国から始まったけど、力をつけて、まわりの国の領土をどんどん取り込んで、歴史上最大の帝国になったんだ」

「まわりの国って、その、前のグランドル王国も?」

 エルフリーデがこてんと頭をかたむけて言う。フェイは、小さくうなずいた。

「大陸の半分以上が帝国の領土だった時期もあるらしい。けど、だんだん偉い人たちが暴走したり、反乱があちこちで起きるようになって、二百年以上前に戦争に負けて滅んだんだ。それで、もともと帝国の領土だった場所でいろんな人が国を建てた。これが歴史の中でいう分裂ぶんれつ。で、その分裂期の最中にできたのが、今の、ルヴォー朝グランドル王国。それが二百四十年も続いてるから、すごいよね」

 少年のなめらかな解説が途切れるやいなや、クレマンが机に突っ伏した。

「ちょ、ま、そこまでにして……。俺、おまえが何言ってんのか半分もわかんなかった……」

 クレマンのうめき声に同調して、アニーも軽くかぶりを振る。フェイはとたんに、顔を赤らめた。

「あ、ごめん。ぼく、このへんの歴史が好きで、趣味でいろいろ勉強してたから。つい話しすぎちゃった」

 おたおたとあたりを見回す少年に、エルフリーデが微笑を向けた。

「フェイが勉強好きなのは知ってたけど、趣味まで勉強だとは思わなかったわ」

「まったくだ。学生でも、今の奴らはそこまで知らねえだろうに」

 エルフリーデの呟きに乗っかった声は、低かった。子どもたちが振り向くと、そこにはロトが立っていた。心なしか疲れているように見える。けれどもアニーが心配で口を開く前に、彼が天板に手を置いた。

「じゃ、そんな優等生も交えて始めるぞ。勉強会」

 とりあえず笑ったアニーだが、両方の頬がひきつるのを感じていた。深海色の瞳は、いつになく楽しげに光っている。

――進級試験のことは、少し前に話をした。きっと今日は、容赦してくれないだろう。



 結果を言うと、さんざんしぼられた。特に問題児二人は。

「つーかーれーたー」

 情けない声を上げながら、アニーは机に突っ伏した。隣ではクレマンがぐったりと椅子にもたれている。頭か口から煙が出ていそうだ。エルフリーデは伸びをして、あのフェイですらため息をついている。子ども四人を徹底的に追いこんだロトはといえば、平然として自分が広げた紙をまとめていた。

「おい、アニー、クレマン。そんなんで試験、大丈夫か?」

「うー腹立つー。絶対ロトを驚かせてやるんだからー」

 びした声でそう宣言したアニーは、しばらく天井をながめていた。なので、ロトが一度席を立って、すぐ戻ってきたことに気づかなかった。かさり、と紙の音がする。「それ、なんですか?」というエルフリーデの声に誘われて、アニーは視線を元に戻した。

 いつの間にか、ロトの手もとには数枚の紙と封筒と、それから一冊の本がある。先ほども見た『帝国家名全集』で、今はばっさりと広げられていた。

「さっき言った『話』だ」

 彼の言葉に、アニーは上半身を跳ねあげて、彼が持ってきた紙に顔を近づける。今どき珍しい羊皮紙だ。クレマンも、目を見開いて前のめりになっている。

「まず。アニー、フェイ、エルフリーデ。おまえら、ルナティアとオルトゥーズを覚えてるか?」

「え? それって」

 エルフリーデが声を上げる横で、アニーは目を瞬いた。名前を出されて、一瞬なんだかわからなくなる。しかし、すぐに思い浮かべた。黒い衣と、銀の髪。

「あっ。ポルティエに行ったときの。いきなり襲ってきた二人組? ロトのこと、魔女の人形とかって呼んでた」

「そう。つーか、おまえ変なところを覚えてるな」

 ロトはぼやきながらも、紙の端を弾く。ポルティエに行ったときにはいなかったクレマンが、「おそっ……なんだよそれ!?」と叫んだが、すかさずフェイが事情を説明しはじめる。それが終わるのを待ってから、ロトは言葉を続けた。

「で、この間。王都の建国記念祭に行ったろ。その前に、魔女の《爪》もどきと戦った。これはクレマンも覚えてるな?」

「お、おす」

 クレマンが神妙な顔でうなずく。ロトもまた、顎を小さく動かした。

「そこまで確認してからの、本題だ。実は十日ほど前にエレノアから手紙が来てな。あの竜との戦いの最中に、二人がエレノアに接触してきたらしいんだ。ちなみに、その場に駆けつけたらしいマリオンにも確認をとった」

「えっ!?」

 三人の声が重なる。クレマンは首をひねっていた。しかし、すぐさま詰め寄ったアニーの目には、ロトしか映っていない。

「あいつら、来てたの? ってことは、あいつらが黒幕!?」

「そうなるな。ルナティアが王国に不満のある魔術師たちをあおって、余計な入れ知恵をして、あれを召喚させたらしい」

 ロトはあっさり答えて、手にしていた鉄筆を回す。アニーたちは続ける言葉を見失って、口をあけっぱなしにしていた。まっさきに我に返ったフェイが、息を吐く。「なんの目的で?」彼の問いに、ロトはただ一言、「わからん」と答えた。

「俺としては、なんか遊ばれてる気がしなくもないんだが。それか実験か? まあ、今は考えててもしょうがない。

で、だ。そのルナティアが、エレノアから逃げる前に、あるものをあいつに寄越したそうだ。それが、これ」

 言って、ロトは羊皮紙を四人の前にすべらせる。

「実際は、ちっさい胸飾りなんだけど、それが描かれているんだそうだ」

 繊細せんさいな筆遣いで描かれていたのは、アニーの知らない紋様だった。なんとなく、中心の記号が前に見た結界方陣に似ている気はした。しばらくは、誰もが考えこんでいた。しかし、すぐあと、ひきつった声が響く。

「これって……!」

 幼馴染のものだった。アニーが振り返ると、彼は驚きと戸惑いと恐怖を全部混ぜたような表情で固まっている。

「スミーリ家の家紋だ!」

「お、さすが歴史好き」

 ロトが、つかのま、からかい混じりの笑みを浮かべる。取り残された三人は、頭のなかで疑問符を躍らせていた。

「すみ……何?」

「スミーリ! エリザース帝国の大貴族だよ。魔術師の一族だったらしい。まだ、それを証明するものが少ないんだけどね」

「へえええ」

 アニーは気のない相槌を打つ。けれどもそこで、気づいた。その、なんとかという家の家紋が描かれた胸飾りを、ルナティアが寄越したと、言われなかったか。アニーの表情から言いたいことを読みとったのか、ロトの瞳にも真剣な光が宿る。そしてフェイもまた、難しい顔になった。

「でも、どういうこと? 帝国が滅んでからも、ほかの国で生き残った家はたくさんあるけど……。スミーリ家って確か、帝国がなくなる前に家そのものがなくなっちゃったんじゃないっけ」

「ああそうだ。そのせいで、あの家を示すものは帝国時代の遺跡からもめったに見つからないから、幻の名家めいかなんて呼ばれることもあるらしい」

――ならばどうして、その家の胸飾りがルナティアの手もとにあったのか。

 ついにこの話の本質に行きあたった子どもたちは、黙りこむ。アニーですら、ひゅっと息をのんでいた。

「ガキのおまえらでもわけがわからないだろ。俺も正直信じられなかったし、エレノアもすぐには受け入れられなかったんだろうな。手紙には、『これ』について調べてくれと書いてあった」

「あ、だから調べ物っすか」

 クレマンがうなずく。ロトはため息をついた。

「そういうこった。いくら大貴族でも、昔のおうちの詳しいことが書かれた本なんてどこにもねえからな。調べるのにも一苦労だ」

「で、でも。あの人が、その、関係ある人だとは限らないですよ」

「わざわざ『手がかり』と称して、エレノアに胸飾りを渡したらしい。なんの関係もないってことはないだろ」

「手がかり? なんの」とアニーは問うてみたが、首を振られただけだった。

「とにかく。俺は今、そういう調べ物をしてるってことだけは、伝えておく。おまえらは試験勉強でもやっとけ」

 ロトは、豆の殻を放り投げるような無造作さで言い放つ。アニーたちの気持ちを見すかしたかのよう――というより、確実に見すかしている言葉。先に釘を刺された四人は、息を詰まらせて黙りこむが、アニー・ロズヴェルトだけは、ただでは終わらなかった。

「じゃあ、試験勉強のついでに調べる! フェイとエルフィーが!」

 えっ、と言いかけたフェイたちが、意味を察して苦笑した。研究科と文化学科。どちらも、古代史が筆記試験にでるかもしれない学科である。ロトもそれを悟ったらしい。一度は憎らしげに彼女をにらんだが、結局は「ほどほどにしとけよ」と呟いたのである。


 扉を開ければ、夜の青が迫った空が目に入る。太陽の丸い光は、とうに東のかげへと隠れたようだ。子どもたちは、門限に追い立てられるようにして帰路につく。青年は、静かにそれを見送った。アニーたちがきゃあきゃあと騒ぎながら走っている頃、彼はくるりと反転して家の中に入ろうとしていた。しかし、途中で、足を止める。家の方を向いたまま、視線だけで通りをはさんだ先をうかがう。灯りのない民家の並びが、暗がりで沈黙しているだけだった。ロトは、軽くため息をつく。

「まあいいか。たぶん俺には関係ねえし」

 ささやきとも呼べないくらいの小声で呟いた彼は、まとわりつくものを無視すると、わざと音を立てて扉を閉めた。

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