終章

無色の魔女

『ああ。たぶんそいつだねえ』

 舞い戻った鴉ことワーテルが、あっさりと認めたのは、ヴェローネル学院寮の冬の門限の、二刻ほど前のことだった。すでに太陽の端は低い民家に半分姿を隠していて、空の大半は濃い青紫色に染まっている。魔女のあっけらかんとした態度に、アニーたちは間抜けにも、口を開けてかたまった。

『なるほど、帝国貴族か。それも父親が魔術の研究員。“橙色とうしょくの魔女”のわざに通じていてもおかしくないわけだ。しかし、ま、当時の帝国の奴らとは、目的が違うようだね。同じなら、わざわざ殺したりはせんだろうから』

 ワーテルはのんきに羽をくちばしで整えている。『盗人』が自分たちと同じくらい長生きらしい、と言った彼女である。すでに、ルナティアとアナスタシアが同一人物だと信じ切っているようだ。余裕たっぷりな魔女にあきれつつも、アニーは再び横になったロトをのぞいた。

「目的かあ。なんだろうね。さっき、いくつか出たけど」

「さあな」

 大人たちの話しあいを思い出しながら問うと、青年はいつにもましてそっけない口調でこたえた。「どれが当たっていたにしろ、面倒くさいことに変わりはない」とも、続けた。疲れが出てきたのか、しきりに目を細めたり寝がえりをうったりしている。そんな青年はそれでも、考えることをやめない。あるいは、今の状況がとんでもなさすぎて、落ちついて休む気になれないのか。

「とにかく、もう少し情報が欲しいな。まずはあいつのたくらみがなんなのか、そこがはっきりしないことには、止めようがない」

 すると、かたわらで幼馴染の面倒を見ていたマリオンが、紙束をちらりと見た。

「なら、そのへんは調べておくから、あんたはしばらく休みなさい。アナスタシアの経歴を洗えば、なにか出てくるでしょう」

「経歴を洗うといっても、簡単ではありませんよ。アナスタシアが消息を絶ったのは二百五十年も前ですし、スミーリ家から除名されていますから、資料もそんなに残ってません」

「だからこそあなたたちの力をお借りしたいんだけど、リンフォード少尉」

「……しかたありませんね」

 あからさまに大きなため息をついたアレイシャを見、マリオンは胸を張る。ロトが、彼女へ驚きの視線をおくった。

「協力、してくれるのか」

 信じがたい、といわんばかりのロトの表情に、マリオンは少し怒ったらしい。唇をとがらせ、わざと音を立てて水差しを置いた。

「何よ。まさか、一人で全部やるつもりだった、とか言わないでしょうね」

「い、いや……一人でどうこうできるわけないだろ。相手は魔女並みの化け物だ。どのみち、手伝ってもらおうと、頼もうとは思ってたけど」

「ならちょうどいい。手伝わせてよ。あいつらに、仕返ししたいしね」

 さっぱりと言いきった魔術師を『便利屋』の青年はやりにくそうに見る。さらに、そこで、アニーがまっすぐ手をあげた。「私も手伝う!」と声を上げれば、ほかの三人も、次々同じことを言い出した。

「ぼくにも、手伝わせてください」

「わ、わたしも! あのお姉さん、なんだか気になりますし」

「調べるとか苦手だけど、目の前でこんなことになってて、知らんふりできるわけないしな」

 元気なクレマンの言葉に、アニーたちは力強くうなずいた。しかし、大人たちは困ったふうにしている。

「いや。さすがに、おまえらを巻きこむのは」

 ロトが目を伏せてうめいた横で、マリオンもうなずいた。

「そうねえ。最終的には戦いになりそうだし」

 アレイシャやセオドアは、なにも言わなかったけれど、しきりに首を縦に振っていた。彼らの冷たい反応に、アニーは目をつりあげた。けれど、今までのように感情を爆発させることはしない。心はもう、すでに決まっているのだ。

「ここまで関わってきたんだもん。最後の最後で見ないふりは嫌に決まってるでしょ。なんて言われても、ついてくからね」

 それに、と言いかけて、アニーは口をつぐむ。深海色の瞳が、不安げに揺れているのに気がついた。アニーはいったん息を吐き、ざわめきたつ心を落ちつかせる。それから、笑った。いつものように、無邪気に、小憎らしく。

「だいじょーぶ。勝手なことはしないよ。暴れないように気をつける。だから連れてって。どうせ無茶するなら、みんなで無茶しようよ」

 ね、と友達を振り返れば、全員が同意の声を上げた。


 それに、今回のようなことになるのは嫌だ。知らないところで親しい人が傷つくのは耐えられない。せめて、そばで戦いたい。アニーは、口に出さずに押し込めた思いを心のなかに刻みつける。


 見返せば、ロトはおもしろいほどに目をみはっていた。彼がここまで唖然とするところは、今まで見たことがなかったかもしれない。少しのおかしさと、満足感を抱いたアニーは、ただ、じっと相手を見続けた。――最後に決めるのは、ロトだから。

 長い沈黙。それを終わらせたのは、なじみ深いため息だった。

「手伝わなきゃよかった、って後悔しても知らねえぞ。ガキども」

 つん、とロトはそっぽを向く。彼に意地悪そうな笑みを向けたのは、意外にもフェイ・グリュースターだった。

「――ロトさん。ロトさんは、ぼくらの課題を手伝ったとき、フェルツ遺跡に入ったとき、後悔した?」

 突然の問いに、青年が目を瞬く。しばらく考えこんだあと、彼もまた悪童のように目を細めた。

「ああー、すっげえ後悔したな。こんな依頼、ただで引き受けるんじゃなかった、って。でも、まあ、悪くはなかった。意外と楽しかったし」

「なら、ぼくらも同じだよ」

 ロトが押し黙ったところで、フェイはきっぱりと言った。

「後悔はするかもしれない。でも、きっと最後には、手伝ってよかったって、思える気がするんだ」

 短く息をもらしたのは、誰だったろうか。アニーだったかもしれない、ロトだったかもしれない。あるいはマリオンだったかも。その、全員だったかもしれなかった。しばらくして、押し殺した笑い声が空気を揺らす。ロトが、かかげた手で、乱暴に前髪をかきあげていた。その下には、あきれた、けれど安心しきった笑顔があった。

「一本取られたね、こりゃ」

 彼の気の抜けた呟きは、心の変化を表していた。はじめてみる、青年の穏やかな表情を見てとって、ようやく全員が顔をほころばせたのである。


 ワーテルはその光景を身じろぎもせず見ていた。瞳のむこうにある彼女の意識は、意外だ、とささやく。

『なるほど。物好きなやつがいるもんだ』

『漆黒の魔女』は悪戯っぽく笑う。彼らの判断がよいか悪いかはわからないが、彼女にとっては好都合だ。せいぜい頑張ってもらおう、と、ひそかにほくそ笑んだ。



     ※



『それ』にいち早く気づいたのは、狩りのために森に入った男性だった。獲物を手に森の入口まで戻った彼は、腰を抜かしそうになったと、少し後に語る。

 入ったときには青々としげっていた草木が、戻ってくると茶色く乾いていたというのだ。その森は、冬でもあるていどは緑を保つ珍しい森だ。それが、見る間に枯れていった。男性は、恐ろしくなって、転がるように町へ戻って騒ぎ立てた。

 また別の、森にほど近いところにいた魔術師は、枯れた森を遠目に見て、身ぶるいしていた。確かに、魔術の気配を感じたのだ。尋常でなく強大で、緻密な方陣と魔力の気。魔術師は、震えあがってその場を去った。

 それは、野生の動物たちまでもおののかせた。多くは逃げだしたのだが、一部の、ほんの少し遅れをとった者たちは、もれなく森のなかで死んでしまったらしい。何に襲われるでもなく、病気になるでもなく、まるで魂を抜かれたかのように、きれいな死骸だった。たまたまそれを目撃した旅人が、近くの村や町でそれを触れまわった。

 こうして、奇妙な現象が、グランドル王国のある地域でささやかれたのと同じ日。その地域で一番大きな街に、銀髪の女性が現れた。銀髪の女性は、いきなり通りすがりの人々の注目を集めると、堂々と王家と軍に敵対するような言葉を吐いた。そして、この地域一帯に、すべての生き物が死に絶える魔術をしかけた、と続けた。今、発動しているのはほんの一部だが、やがてはすべてが発動し、人々の命さえも奪うであろう、と。動揺する人々にむかって、いや、そのむこうにいる王国をおさめ、守る人々にむかって、彼女は宣戦布告した。


 すべての方陣が発動すれば、私は新たな魔女になる。命をいとい、それを壊し、恐怖を刻みつける魔術師になる。

 そしていずれはこの力で、王国すべてを蹂躙じゅうりんするだろう。

 それを防ぎたくばここまで来てみせろ。帝国の技術を受け継いだ魔術師を、私を止めてみせろ。


 その言葉が、王国全体に伝わり人々を震えあがらせたのは、グランドル暦二百四十一年、二月初旬しょじゅんの朝だ。

 『彼女』がヴェローネルで暴れてから、わずか十日あまり。事情を知る人々にとって、予想よりあまりにも早い、幕開けだった。



(Ⅵ 無色の魔女・終――Ⅶにつづく)

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