第三章 狂人たちは牙をむく

1 虚無に落ちる

 四人の子どもたちが街に出たとき。ロトはというと、馴染みの商店街からのびる小路を歩いていた。先日、排水溝の掃除を手伝ってくれと依頼してきた男性とすれ違い、いつものそっけない挨拶を交わす。手を振って別れたあと、彼は、かたわらでまじめな顔をしている女性を見やった。

「それで、マリオン。納得のいく結論は出そうか」

 返ってきたのはうなり声である。ロトが辛抱強く待っていると、彼女はとうとう頭を抱えた。

「あああ、もうっ! わかんない!」

 清々しく考えごとを放棄した幼馴染に、ロトは冷たいため息を贈った。

「だから言っただろ、近づいたらよけいわかんなくなるって」

「ほんっとそのとおりよ! だいたいロト、あんた、こんな所にいて平気なの? 体は、呪いは!?」

「今のところはなんともない。長引いたらわかんねえ」

 ロトが正直に答えると、マリオンは額を押さえて沈んだ。


『便利屋』を営んでおり、魔術師でもあるロト。彼が異常を感じはじめたのは、新年祭も終わり、マリオンと別れたあとからだった。厳密にいえば年末から違和感はあったのだが、それがはっきり形をもったのはこのときになってからである。力の強い魔力持ちの多くないヴェローネルでは、ふだん、感じる魔力は自分のものを含め、ごくわずか。それが、急に濃くなったのだ。その日の朝、強烈な吐き気とともに目ざめてから、ずっと魔力は濃いままである。知り合いの魔力持ちにそれとなく話を振ってみると、なんとなく調子が悪い、と言っていたが、違和の正体はわかっていないふうだった。――アニーたちには会えなかったので尋ねようがなかった。

 対処すべきか放置すべきか悩んでいたところ、遠く隣町から異変をかぎとった幼馴染が、なぜか怒りながらやってきた。それが、昨日のことである。

 彼女はいきり立ったまま、濃い魔力の出所でどころを突きとめると言い出したのだった。


「なんだろう、こう、全体に広がりすぎてて、元の見当もつかない」

「だから、そう言ったじゃねえか」

 今度はロトが肩を落とす。少しして、のろのろと顔を持ちあげた。

「だいたい、なんでおまえはそうはりきってるんだ。自分の町のことでもないのに」

 昨日から気になっていたことを訊いてみる。するとマリオンは、腕を組んで、言った。

「迷惑なのよ!」

「迷惑?」

「そう。ここの魔力が強すぎて、ポルティエにまで少し流れてきたの。気分が悪いわあんたのことは気になるわで」

 なるほど、と、ロトはやっと、うなずくことができた。違う町とはいえ、お隣である。影響が出てもなんらおかしくはなかった。マリオンはやはりぷんぷん怒りながら、を進める。

公害こうがいよ公害! もうこうなったら、そういうことにしちゃうわよ! 『白翼はくよくの隊』に出てきてもらえないのかしら」

 最近使われはじめたばかりの言葉を吐いて、姿の見えない敵に怒る娘に、ロトは白けたまなざしを注ぐ。

「どうかな。言えば出てくるだろうが、ヴェローネルのお偉方は、軍が嫌いみたいだから。俺のこともあって」

「最後に決めるのは市長でしょ。あの市長ならだめとは言わないわよ。ちょっと、相談してみる?」

「……それしかないか」

 もはや、この異変はヴェローネル全体の問題にもなりつつある。学院の進級試験の一日目に、原因不明の体調不良を訴えて、試験を途中でやめた生徒がたくさんいたと、ロトも噂で聞いていた。彼らは再試験になるらしいが、魔力持ちでもない子どもたちにおかしなことが起きたとなれば、市としても無視できないだろう。

 ついでにアニーたちの様子も見に行こう。青年は、予定を頭の中に書きこんだ。あの四人がそう簡単にどうにかなるとは思っていないロトだったが、念のため、である。


 二人はそのまま、小路を突っ切ることにした。その方が市庁舎への近道だと、ロトが知っていたからだ。

 小路は静かだ。先ほどすれ違った男性を最後に、人とは出会わない。冷たい風がぴゅうぴゅう吹いて、鳥の羽ばたきがいやに大きく聞こえる。民家の間のさらに細い道を振り返れば、黒猫がそこからのっそり出てきそうな気がして、ロトは少し、ほほ笑んだ。

 長らく歩くと、薄暗かった道に光が差す。遠く聞こえる人々のざわめきが気になって顔を出したかのように、雲間から白い光がぼんやりと見えていた。このままいけば、街の中枢ちゅうすうにたどり着く。しかし、ロトは、足を止めた。

 風に散らされ落ち葉が鳴った。がさがさと乾いた音の満ちるなか、青年の指はすばやく腰の小剣を引き抜いた。振り向きざま、剣を振る。白いきらめきが見えたあと、澄んだ音を立てて、刃と刃がぶつかった。

 顔をひきしめたマリオンが、その間にロトの背後に立つ。青年は、明るい通りに背を向けて、薄暗がりに呼びかけた。

「さて。今日のおまえの狙いはどっちだ?」

 けたけたと笑い声が聞こえてきそうな闇の裏側。そこにひそむ彼は、黙りこくったままである。

「――オルトゥーズ」

 青年が、語気を荒げて名を呼べば、闇はようやく身じろぎした。進み出てきた黒い男は、抜き身の剣をだらりとさげたまま、二人を見て薄く笑った。

「名乗った覚えはないが」

「おまえの連れがしょっちゅう名前を言ってるだろ」

「そうか。そういえば、そうだな」

 オルトゥーズは、どうでもいいとばかりに吐き捨てる。ロトはちらりと、民家の屋根がつらなる通りをうかがった。誰の気配もない。あるのはただ、いつもの平穏と、濃い魔力だ。

「このおかしな空気は、ルナティアのしわざか? あいつもここにいるのか?」

「――さあな」

 オルトゥーズは、得物を一瞥してから答える。ロトは、深海色の瞳を細くした。つかのま、言葉を舌の上で転がして。静寂の中に、吐きだした。

「なら、はどうしてる」


 マリオンが息を詰めた。オルトゥーズも、目をみはった。

 誰も、すぐには言葉を発さない。少しして、長剣が持ちあがった。男は薄い唇に笑みを刷く。

「おもしろい。その名をどこで知ったのか」

 低い笑い声が響く。北風に似た、ぶきみな笑いだ。

「よしわかった。自力でたどり着いた褒美に教えてやる。――ナージャは死んだ。そしてナージャではなくなった。とうの昔にな」

「……そうか」

 ロトは、静かに瞼を下ろす。ふと思い出したのは、ひとつの童話だ。少女が魔女を名乗る女に出会い、少しずつ狂ったはてに、破壊の神となる物語。かつて「ナージャ」であった彼女は、どんな思いでその物語を見つめたのだろう。

 目を閉じていたのは、わずかな間だった。感傷を振り払った青年は、狂気を宿した男と向かいあう。

「おまえはそれを知っていて、ルナティアに協力するんだな」

「いつかの小娘にも言ったが、俺は俺の望むもののために行動している」

 彼の笑みが静かに深まり。剣先が、若い魔術師をとらえた。

 ロトは眉ひとつ動かさず切っ先を見つめ、オルトゥーズは、低くささやいた。

「――だから今、俺は俺の望むもののために、おまえを殺す」


 黒い靴が地を蹴った。空気が獣のようにうなる。迫った長剣をロトは力任せに受け止めて、跳んだ。獰猛どうもうな男の一撃は重い。小剣を持つ腕は、しびれと痛みを訴えた。その間にもオルトゥーズは止まることなく噛みついてきた。なんとか相手の攻撃をしのぎつつ、ぼやかずにはいられない。

「なんだ、これ……。相手が悪すぎる……」

「のん気に言ってる場合か、どうするの」

 いつも以上にとげとげしい物言いのマリオンは、ロトの後ろで方陣を編みはじめていた。声音ににじんだ強い緊張に気づきながらも、ロトはいつもどおりを装って、考えこむそぶりを見せる。そして飛んできた刃を小剣で弾いた。

「どうするかな。逃げる――のは無理か」

 マリオンのさらにむこうは、大通りだ。そちらへ向かえば、市民を巻きこむことになる。そして、前には凶暴な男が一人。どう考えても逃げおおせられる状況ではない。敵も、それを考えて、小路の中で斬りかかってきたはずだ。

 相手の突きをすれすれで避けたロトは、小さく顎を動かした。

「死なないように頑張りつつ、隙を探すしかなさそうだ」

「……了解」

 幼馴染の声は小さい。だが、確かに届いた。ロトは、剣を手に跳びかかってくるオルトゥーズをにらみつけた。上からの一撃を受けとめ、そのまま相手の腹を乱暴に蹴りつける。相手は少しよろめいたものの、すぐに体勢を立て直した。

 剣と剣が繰り返しぶつかりあう。暗がりのなかでは、光の筋が映っては消えているようである。ふ、とロトが両腕から力を抜くと、オルトゥーズはすぐさま飛びこんできた。瞬間に足払いをかける。静かな男を動揺させることには成功したが、足を払う寸前で後ろに避けられてしまった。

 ロトが小さく舌打ちしたとき、後ろでわずかに、光が散った。ロトは姿勢を低くする。宙に浮かんだ白い方陣は、細い指に弾かれて、花火のように飛び散った。そして光と熱の刃に変わって、オルトゥーズに襲いかかる。

 暗い海のような男が、はじめてあせりを見せた。飛んだ魔術は避けられたが、黒い髪と衣をわずかに焦がす。同じ色の瞳はすぐに動き、魔術をおとりに彼の方へ走っていたロトをとらえた。

 剣がぶつかり、火花が弾ける。わずかな隙を突けなかった青年は、悔しさをにじませつつも退いた。

 彼と、後ろで息をつくマリオンをながめたオルトゥーズは、喉を鳴らす。

「意外とよく動くじゃないか。魔術師はお勉強ばかりの連中かと思っていたが」

「……まあ、そこらの魔術師よりは鍛えてるからな」

 ロトは小剣を構えつつも、答える。すると、漆黒の目が、ゆがんだ。

 なら、もう少し楽しもうか。彼がそう呟いたように聞こえたのは気のせいだろうか。ロトにはわからなかった。剣のぶつかる音に、声も思考もかき消された。


 そこらの魔術師より鍛えている、というロトの言葉は嘘ではない。故郷では狩人であったし、『便利屋』を始めてからも荒事あらごとに関わることがあったので、鍛えないわけにはいかなかったのだ。ただ、剣は苦手だ。軍人や知り合いの少女のようには立ち回れない。オルトゥーズと剣を交えている間、なんとかけがをしないように動くのがせいいっぱいだった。

 悪態のひとつもつきたくなる。こみあげたいらだちを噛み殺し、横薙ぎの一撃を避ける。合間を縫ってマリオンが援護してくれてはいるが、オルトゥーズには本当に隙がない。最初のあの動揺から、逆に用心深くなったようにも思う。

 なにか作戦を考えるべきか、とも思うが、あいにくそんな余裕はない。なんとか狩人と向かいあいながら、狩られる側の青年はあせらずにはいられなかった。――そのとき、ふと、違和感をおぼえて眉を寄せる。相手の口が不自然に動いているのだ。右からの一撃を流しながらも、なんとか耳を澄ませてみる。

 予想どおり、声が聞きとれた。

「うるさいやつめ。暴れさせてやるんじゃなかったのか?」

 少しの間をおいて、彼は小さく鼻を鳴らす。ロトの小剣を押しのけた彼は、わらったように見えた。

「それなら、まあいい」

 誰と話しているのか、などと尋ねる余裕はない。力のこもった長剣が目の前に迫る。ぎりぎり斬撃をそらしたものの、ロトの得物は強くきしんだ。そろそろこの小剣も、もたないかもしれない、と他人事のように考えつつ、彼は身をひねって突きを避けた。次の攻撃に、せめて備えようと身構えかけて――目をみはる。オルトゥーズが、動いたのだ。黒い衣は青年の横、わずかな隙間をすり抜ける。切っ先はロトではなく、その先にいる魔術師をとらえていた。彼女としても予想外だったのだろう。ほんの一瞬、あっけにとられて固まった。その一瞬の間に、オルトゥーズは剣を閃かせていた。

「……このっ!」

 このまま割りこんでも間にあわない。とっさに判断したロトは、小剣を力いっぱい投げた。長い刃にぶつかった小剣は、男をわずかに鈍らせる。だが、彼は止まらない。ロトはそれらを観察する間もなく踏みこんでいた。我に返った彼女の方に。

 全身に力をこめて、倒れこむように飛び出した。一瞬の、ぬくもりと、衝撃と――通りすぎた痛み。漂った鉄のにおいは、冷たい風にさらわれる。

 地面に体を打ちつける。視界がめちゃくちゃに回って、意識が持っていかれそうになる。それでもロトは、なんとか耐えた。

 短い静寂のあと、上か下かもわからないところから、幼馴染の声がする。

「ちょ……ロト、あんた……」

 目を開ける。そこではじめて、瑠璃色の瞳が、自分を見上げていることに気がついた。身じろぎすると、肩から背中に痛みがあることに気づく。幸いにもオルトゥーズの剣は、かすっただけのようだった。

 ロトは苦笑してマリオンの上からどいて、立ち上がる。そのとき、座りこんだ彼女の口から怒りの文句がほとばしった。

「この馬鹿! 狙われてるのは自分のくせに何やってるんだ馬鹿!」

「悪かった。怒鳴るな。今、それどころじゃないだろ」

 しぶい顔をしつつ手を払ったロトは、また敵を振り返る。オルトゥーズはいびつな笑みを口に刻んで、剣をちらつかせていた。

「それで? 武器もないのにどうする気だ」

 黒い瞳は油断なく光っている。剣は今度こそロトの首を狙っている。それでも彼は眉ひとつ動かさない。――さし出した指先に、光が灯った。

 オルトゥーズが駆けだす。しかし、彼の顔に氷のつぶてが降りかかった。座りこんだマリオンが、地面に方陣を描いていた。正方形と簡単な式を組み合わせたそれは、狭い範囲の空気の温度を下げる術だった。男が舌打ちしている間にも、ロトの左手が別の方陣をつくりあげる。またたくまに、形をもった刃に変わったそれは、オルトゥーズの手首を狙ってひらめいた。長剣は重いので、すぐに向きを変えるのは難しい。彼が対処する前に、刃は手首を突いて、弾けた。同時、その間にぼろぼろの小剣を取り戻したロトは、それを再びオルトゥーズに投げつけた。

 彼の意識は当然、視界を焼く剣のきらめきに向く。

 オルトゥーズが見せた、今までで最大の隙だった。

 そこを狙わないロトではない。駄目押しに、左手で描いた光の玉の術を放り、体を反転させた。

 走りはじめてすぐ、マリオンに追いついた。すでに動いていた彼女は、ロトを一瞥すると、口角を上げた。

「抜けるわよ!」

「おう」

 大通りに出たからといって、オルトゥーズが手を出してこないとは限らない。けれど、望みはある。彼は今、ルナティアの計画のために動いている。わざわざ目立って、計画を汚すことはしないはずだ。そう踏んでいた。

 だからこそ、予想していなかった。

――民家の隙間から、なんの気配も前触れもなく、手がのびてくるなどとは。


 背筋を突きぬける寒気に震え、ロトはとっさに立ち止まった。わずかによろめいた彼の肩に、指が触れる。支えてくれたわけではない。冷たい指先は、ただ、血のにじんだ傷口をなでていた。

「なるほど。最初から逃げる気だったのね」

 耳元で、なまめかしい声がささやく。ロトは頭を上げ、女の目を見て、それきり動けなくなった。得体の知れない大きな力に、手足の先まで縛られて。

 なんとか視線でマリオンをうかがえば、同じように立ち止まった彼女も、凍りついていた。

「……なん、で……いままで、なにも……」

 ルナティアは、ほほ笑んだま答えない。彼女の薄笑いを見たロトは、おののいた。前に会ったときと、まとう空気がまるで違う。彼女のまわりに渦巻く魔力は、前より大きく、そしてにごっている。術師たちの吐き気を誘う気配は、ヴェローネルを取り巻いているそれと、よく似ていた。

「おまえ、何を」

「何をしたか? すぐにわかるわよ」

 紅い唇が、美しい弧を描く。

「――あなたにも、同じことをするから」


 その意味を問うひまは、なかった。

 肩に触れる指が光る。ほんの一瞬、みつな方陣が浮かびあがる。ロトがまわりの様子をうかがえたのは、そこまでだった。

 突き上げるような痛み。強く体をひっぱられるような感覚があった。それを最後に、彼の世界がかき消えた。


 まなこの奥が、くるりと回る。温度は静かに遠ざかる。

 見える。聞こえる。熱い。寒い。すべてが、わからない。

 からっぽの頭の中に、黒いからすの幻が浮かんで、消える。


 それきり、なにもできなくなった。

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