3 暗い感情

 不穏な音に、アニーとフェイは扉の前で顔をこわばらせた。悲鳴の主が誰かは、すぐにわかった。アニーはふくれあがる焦燥に身を任せて、扉の方へ体を傾けようとする。しかし、そんな彼女を、少年の細い手が引きとめた。アニーは思わず彼をにらみつけていたが、少年はゆるゆると首を振った。

「あせっちゃだめだ」

 フェイの一言に、アニーはひとまずの落ちつきを取り戻す。小さくひとつうなずくと、扉につけていた手を鉄の取っ手にかける。中の人たちに気づかれないよう、そっと、扉を開けた。隙間から見える中は暗い。積み上げられたものの影から、かろうじて倉庫だとわかるくらいだ。石の苦いにおいが漂ってきて、二人はつかのま顔をしかめる。

「さっきからごちゃごちゃうるせえんだよ!」

 顔半分で中をのぞこうとしていたとき、腹に響くような怒声が叩きつけられる。自分たちへ向けられたものでもないのに、子どもたちは飛び上がった。アニーは身を乗り出し、怒声の主を探した。

「俺の言ったことが聞こえてなかったのか? 魔術師なんざ学院から失せろと、言ったよな、俺」

 ひどく声を荒げているのは、二人に背を向けて立つ、大きな男子生徒だった。そのまわりには数人の男子生徒がいて、いずれもアニーたちより年上のように見える。彼女が息をのんでみていると、隣でフェイが短い悲鳴を上げた。

「あれ、ヒューゴさんだ……!」

「フェイ、知り合い?」

 アニーが目だけを動かして尋ねると、彼はぶんぶんと首を振った。

「お近づきになりたくないよ。十一回生のヒューゴさん、いろいろまずいことしてるって、有名じゃないか。どうも、名門貴族の次男らしいって、聞いたことあるけど」

「ふうん」

 男子生徒の情報を、しかめっ面で聞き流していたアニーだが――続く言葉に、顔をこわばらせた。「彼の家の人たち、魔術師嫌いで有名なんだって。王国軍に魔術師の部隊をたちあげようって話になったとき、会議に参加してたあの人のおじいさんが、それに猛反対してたって」

 どくん、と心臓が高鳴った。脈打つ音は激しくなり、重くどろりとした感情が表に出てくる。唇をかみしめたアニーは、フェイの手に力がこもるのを感じながら、男子生徒たちの背中をにらみつづけた。しかしそのとき、また奥で大きな悲鳴が聞こえる。

「おまえの顔、ちょっと北地人っぽいよなあ。混血か? 北地人は野蛮な猿だと、父上が言っていたが。そんなものが学院にいるなんて、むかつくな」

 嫌なしめりけを帯びたヒューゴの声を聞いたとき、なぜか、アニーの中で、友達の少女と一人の青年の顔が重なった。

 そして、次の瞬間、彼女の中で何かが切れた。

「アニー、だめだ!」

 アニーは、自分をおさえる手と声を振り払って走り出した。幼馴染が、自分を思って止めてくれていたことには気づいていたが、もう、我慢できそうになかった。


「取り消せ!!」


 部屋じゅうにびりびりと響く声を張り上げる。アニーはそのまま、ヒューゴのまわりにいた男子生徒数人を突き飛ばし、彼らに囲まれている生徒の前に、両手を広げて立った。すぐ前に立つ、背の高い男子生徒の顔は、逆光のせいでよく見えない。それでも、細い目だけは、異様な威圧感をもって彼女たちを見おろしていた。アニーはまったくひるまず、どなる。

「さっきの言葉、取り消しなさい!」

「――アニー」

 背後から、かすれた声が聞こえる。アニーは視線だけで振り返り、息をのんだ。へたりこんで、頬を押さえているエルフリーデが、紫色の瞳を呆然と、アニーの方へ向けていた。細い指の下に見える肌は、赤くはれ上がってしまっている。

「大丈夫。もう、大丈夫だから」

 アニーが小さな声で返すと、エルフリーデの目が揺らいだ。けれど、彼女が何かを言う前に、アニーの正面から声が降ってくる。

「なんだあ、こいつ。六回生か」

 ヒューゴは、じろり、とアニーをねめつける。彼女が、威嚇する犬のように相手をにらみかえしていると、彼の影から一人の生徒が姿を現した。スカートと、アニーと同じ色のネクタイが、闇の中で揺れる。

「『暴れん坊』のアニー・ロズヴェルトだそうですよ」

 女子生徒がそう言えば、ヒューゴは少し驚いた顔をした。

「へえ? こいつが? 思ってたよりも弱そうだな」

 小馬鹿にしたような言葉に、しかしアニーはなんの反応もしなかった。彼女の目は、ヒューゴの隣に現れた女子生徒に向けられていた。知らないうちに、唇がわななく。

 そこにいたのは、以前、エルフリーデに魔術を使えと迫っていたあの女子生徒だったのだ。

「あんた、まさか」

 碧眼に、雷光がはしる。しかし女子生徒は、短い髪をうっとうしそうに振りながら、彼女に侮蔑の目を注いでいた。

「何よ、その顔。あたしはただ、ヒューゴさんにこの間あったことをちょっと話しただけだけど」

「そ、そのせいでエルフリーデがひどいことになってるんじゃない!」

「はあ? どうでもいいわ、そんなの」

 アニーはきつく目もとをゆがめた。頬がかあっと熱くなる。少女の怒りを煽るように、上級生の嘲笑が降ってきた。耳障りな、妙に乾いた笑い声。それは、波紋のように、まわりの男子生徒へ広がる。アニーが口をぱくぱくさせて、エルフリーデが身を縮こまらせて震えていると、ヒューゴが一歩を踏み出してきた。

「なんだ、おまえ、魔術師の味方すんのか。じゃあ、おまえも、連中の仲間ってことでいいんだよな。呪われても知らねえぜ」

『呪い』なんて軽々しく口にするな――という反論が、アニーの脳内でほとばしったが、それはすぐに弾けて消えた。とって代わるようにして、煮え湯のような感情が全身に行き渡り、視界をまっ赤に染め上げる。

「この――っ!」

「アニー!? だめ!」

 引きつった声は、自分のもののように思えなかった。友達の悲鳴は、近くで聞こえているはずなのに、とても小さく響いていた。気づけばアニーは、小さな体でヒューゴに飛びかかっていた。ほとんどの生徒がたじろいで、『戦士科』生と思われる男子たちは気色ばむ。ヒューゴは彼らを手で制すると、つかみかかってきた少女をうっとうしそうににらんだ。そして――乱暴に襟首をつかんで、放り投げた。

 アニーは床に叩きつけられる。けれど、とっさに受け身をとったので大事にはならなかった。彼女はすぐさま跳ね起きて、獣のようにうなり、またヒューゴに飛びかかろうとした。制止するエルフリーデの声に涙の気配が混じる。

「待ってください」

 怒声がとどろいたのは、アニーが再び走り出そうとしていた、そのときだった。はっと顔を上げる。全身から熱が引く。驚いている少年少女の視線を追えば、いつの間にか、フェイが生徒の群をかきわけて、アニーたちの方まで出てきていた。彼は、手足を震わせながらも、鋭く少年たちを、そしてヒューゴを見すえた。

「ヒューゴさんもほかの先輩がたも、先程からずいぶんと魔術師を馬鹿にしてるみたいですけど……。みなさん、ほかの魔術師と会ったことがあるんですか?」

「あ? なんだと?」

 ヒューゴが低い声で、恫喝するように言う。フェイはわずかに肩を跳ねさせた。目にうっすらと涙の膜がはる。それでも彼は、視線をそらさなかった。

「魔術師と会って、一対一で話をしたことがありますか。彼らの日々の生活が、どんなものか知っているんですか。魔術師だけじゃないです。北地人――北の大地の、シェルバ人のことですよね。彼らのこと、そんなに詳しいんですか」

 アニーのすぐ後ろで、息をのむ音がする。呼吸を整えていたアニーが少し振り返ると、エルフリーデが雷に打たれたように固まっていた。一方、フェイは、とげとげしい視線を一身に受けながらも、強く拳を固める。

「よく知りもしない人のことを、どうしてそうやって悪く言えるんですか。ぼくには理解できません。……それにあなたたちは、知ろうという姿勢すら見せてない。最初から全部、勝手に決め付けてばかりじゃないですか」

 少年の顔からしだいに血の気が失せる。それでも彼は、言葉を止めなかった。ヒューゴの方に身を乗り出し、今までにないほどの、大声を上げた。

「あなたがどう思おうが、それはあなたの自由です。けど……それをひとに押し付けないでください。そんなことで、ぼくの友達を傷つけるのはやめてください!」

 誰もが、しばらく、固まった。幼馴染のアニーですら呆然としていた。フェイが、こんなふうに怒ったことがあっただろうか。こんなふうに、誰かに詰め寄ったことがあっただろうか。一瞬、目の前の少年がまったく知らない誰かに見えて、困惑した。

 しかし、すぐに困惑している場合ではなくなった。目を細めたヒューゴが、フェイの胸倉を強くつかんだのだ。喉の奥からうめき声がもれて、顔が雪のように白くなる。

「フェイ――」

「おお、どこの誰かと思えば、研究科の優等生か。おまえ最近、よくも悪くも噂になってるみたいだぜ」

 長身の少年が腕に少し力をこめれば、小柄なフェイの足が宙に浮く。黒く濁った瞳が、茶色い両目をのぞきこんだ。

「いい子ちゃんだと聞いてたが……なかなかどうして、なまいきな口、利くじゃねえか」

 言い終わるなり、彼は乱暴に少年を投げ捨てた。そこに、男子生徒たちが群がりはじめる。まずい、とアニーは一歩を踏み出しかけたが、その足は寸前で止まった。

「おい、何してる」

 冷やかで大きな声が、入口から叩きつけられたからだった。


 ざわめきがぴたりとやんで、ヒューゴがうっとうしそうに顔をしかめる。彼は大きな舌打ちをした。

「今日は邪魔者が多いな。しかも、てめえか」

「やれやれ。君は懲りないね、ヒューゴ。なんでもおうちの力でもみ消せると思ったら、大間違いだよ。そろそろ自重した方がいい」

 弁舌を振るいながら中へ入ってきたのは、十一回生のネクタイをつけた、別の男子生徒だった。肌は浅黒く、短く切られた髪の下で、黒茶の双眸が冷たく光る。どちらかというと細身で、けんかに向いているようには見えなかったが、彼を前にしたヒューゴはあきらかにひるんでいた。

 謎の十一回生は、アニーたちの方に視線を巡らせるなり、顔をしかめる。

「また下級生をいじめてるのか、いい加減にしろ」

「うっせえ。口出しすんな。その顔潰してやろうか、フラン・アイビス」

 ヒューゴの目に危険な光が灯る。子どもらしからぬ荒々しいものだったが、アニーの狂乱を知る人からすれば、まだかわいいと思えるものだ。アニーは、フラン・アイビスと呼ばれた男子生徒とは縁がないが、彼もまた、余裕の笑みを唇に乗せていた。

「へえ。いいのかな。僕に手をあげた上に、魔術師の素養を持つ子をいじめたと、に知られても」

 彼が楽しそうにそう言うと、ヒューゴは声を詰まらせる。

「はっ。他人の名前を使うたあ、落ちぶれたな、フラン」

「家の名前を振りかざして好き勝手している人には言われたくないな」

 フランの挑発に、少年たちがざわついた。しかし、彼らが動く前に、フランは言葉を重ねる。

「ああそういえば。さっき、そこの女の子の知りあいらしい生徒が、『戦士科』の先生を呼びに行くって走っていったよ。このままゆっくりしてていいのかな」

「――あ」とアニーは呆けた声をあげる。天真爛漫で不思議な少女のことを、今になって思いだした。一方ヒューゴたちは、『戦士科』の先生という言葉にうろたえているようだった。彼は、ざわめく取り巻きたちを一喝して黙らせると、フランをむりやり押しのけて歩きだす。

「けっ。きたねえ奴め。覚えてやがれ」

「君に汚いと言われる日がこようとは」

 脅し文句にも、謎の十一回生は肩をすくめただけだった。少年少女がぞろぞろとその横を通りすぎて、去ってゆく。アニーはエルフリーデと身を寄せ合いながら、呆然とそれを見送った。

 

 フランはしばらく、ヒューゴたちが去っていった方を見ていた。けれど、あたりが静かになると――仰向けになってうめいている少年のもとに走って、しゃがみこんだ。

「大丈夫かい、フェイくん」

「あ、はい。なんとか……。ありがとうございます、アイビス先輩」

「フランでいい。痛いところはあるか。めまいや吐き気は、ないか」

 フェイはまた、大丈夫、と言って起きあがる。しかし、力が抜けてしまって立ち上がれなかったらしく、へたりとその場に座りこんだ。ようやく呆然自失の状態から立ち直ったアニーも、エルフリーデを支えながら、駆け寄った。

「フェイ!」

「あ。アニーは大丈夫? さっき、すごい音したけど」

「私の心配してる場合じゃないでしょ。私はちゃんと受け身とったし」

 フェイは、乾いた声で笑いながら、そうだね、と言った。頬をかいた指で、そのまま涙の雫をぬぐう。六回生の子どもたちの姿を見ながら、フランが腕を組んだ。

「まったく。なんとなく状況はわかるけど……勇敢といっていいのか、無謀といっていいのか。僕がたまたまここに物をとりにこなければ、危なかったよ、君たち」

 フランの鋭い叱声に、アニーとフェイは顔をこわばらせた。互いをじっと見つめた後、二人揃って「ごめんなさい」と頭を下げる。それを見ていたエルフリーデが、視線をさまよわせていた。フランは、きつくしていた目もとをちょっと緩めると、「まあ、友達を守ろうとする心は大事だよ」と言い、子どもたちの頭をなでた。

 彼はそれから、立ち上がる。

「全員、医務室に行った方がいいね。まあ、それも、先生が来てからかな」

――彼の言葉が終わるころ、覚えのあるふたつの声が、足音とともに近づいてきた。

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