4 剣舞の魔術師と剣(つるぎ)の獣

 竜が鳴いている。攻撃をに防がれたとあって、怒り狂っているのだろう。黒が暴れ狂っているのは、彼女のいる場所からでも確認できた。せめて死者だけは出さないようにせねば、と、エレノアは息を吐く。さりげなくあたりを見回してみたが、今、彼女のそばについている者はいない。現場の指揮権の大半を預かるエレノアは、子どもたちがいるのと正反対の結界の縁で、戦場を見守っていた。

「それにしても、なかなか弱らんな……」

 自然、目が細くなる。

『魔女から魔力が送られてくるわけでもない』。だから魔力を削げば竜は消えると、青年は言っていた。それは確かにそうだと、エレノアも納得している。けれど竜は、予想よりもしぶとい。

「つまり……魔力を送っている人間が、いるというのか?」

 顎に手をかけ、ひとりごつ。けれども答えは出ないまま。エレノアはかぶりを振って、余計な思いを追いだした。

 ちょうどそのとき、術と砲弾の飛び交う戦場に、他の兵士とは別の足音が響いた。足音はエレノアの方に近づいてくる。ほどなくして、やけに落ちついたふぜいの、大柄な男性の姿が見えた。

「隊長」

「フォスター大佐か」

 エレノアがうなずいて呼びかけると、コンラッド・フォスター大佐は敬礼をして「報告に参りました」と言う。『白翼の隊』の副隊長を務める彼は、淡々と、最前線の状況を伝えてくれた。二人の顔は、みるみる苦みを帯びる。

「――やはり、芳しくないな」

「はい。先ほどの防壁魔術のおかげもあり、重傷者や死者は出ていません。しかし、このまま戦い続ければ、こちらが先に疲弊ひへいして叩かれます」

「うむ……」

 大佐の言葉は冷たいようにも聞こえるが、揺るぎのない事実だ。エレノアはさらに眉間のしわを深くして、考えこむ。

 何かが足りない。決定的な何かが。しかし、それがなんであるかは、エレノア・ユーゼスをもってしても見当がつかなかった。ひとまずそういう考えごとはよそに置いて、エレノアはコンラッドと向きあう。

「ひとまず、解析部隊の報告を待とうか。今はなるべく負傷者を出さないように立ち回ってくれ」

「了解」

 コンラッドは、短い言葉だけを残して去ってゆく。変わらず頼もしい副官の背中に、エレノアはそっと笑みをこぼした。しかし、すぐに刃のごとく鋭利な空気をまとって立つ。

「――ここは戦場だ。あまり長居しない方がいい。それとも、私に何かご用かな」

 自分でも少し驚くほど、冷たい声がこぼれ落ちた。エレノアの、すぐ背後。屋根の一部が崩れ落ちた建物から、人影が出てくる。視線だけでそちらをうかがえば、黒ばかりが映った。実際、先ほどから身を潜めていたこの男は、髪も上衣も黒いようだ。

 男は何を言うでもなく、ただ歩み寄ってくる。エレノアは、とうとう、つま先を彼の方へ向けた。鋼のこすれる音がする。男が、長剣を抜いたのだ。

「エレノア・ユーゼスか。グランドル一の魔術師と謳われる女が、こんなところで何をしているのか」

「……戦場に出たいのは山々さ。だが、指揮官がのこのこ出るわけにはいかんだろう? 隊員たちにも怒られる」

 口先ではおどけつつも、彼女はすっと目を細めた。一見、無表情な男だ。しかし、静かな悪意をまとっている。彼はエレノアの答えに何を思ったのか「そうか」と感慨もなにもない声を返す。長剣はだらりとさげたまま、黒い目であたりをながめた。

「ふむ。まさか、あいつが組んだ術を見破られるとは思わなかったな。といっても、俺は魔術などわからんが」

「どこかの『方陣の天才』のおかげさ。もっとも本人は、こう呼ばれるのを嫌うがね」

「なるほど。魔女の人形か」

――やはりか。

 エレノアは息をつめる。腰に手をのばす。自分の得物えものをにぎりしめた彼女は、音を立てずに、一歩踏み出した。

「ひとつ訊こう」

 男の目がエレノアを見る。同時、彼女も軍刀を抜いた。その切っ先で、暴れる竜を指し示す。

「あれの主人は、どこにいる?」

 男は、すぐには答えなかった。唇をゆがめて、長剣を構える。瞬間、彼にまとわりついていた気配が、一気に鋭く、熱のこもったものに変わる。エレノアはつい、唾をのみこんでいた。緊張の中に身を置く魔術師をよそに、男は喉を鳴らして笑った。

「さあな。案外、そのへんにいるかもしれんぞ。それと、念のため言っておくが、あいつを殺しても《爪》もどきは止まらない。魔女の《爪》と違って、あれはすでに術者の手を離れている」

 エレノアの口から、鋭い舌打ちがこぼれる。もしかしたら、と思い浮かべたわずかな期待をあっさりと打ち砕かれた。それでもエレノアは、ひるまない。

「何が狙いだ」

「目的はあいつに訊いてくれ。俺はただ……血と混沌が欲しい。それだけだ」

 次の瞬間、男の姿がわずかにぶれた。エレノアもすぐさま受けの構えを取る。ひと呼吸のあと、すさまじい衝撃が右手を襲った。それでも動じず、エレノアは両足で石畳を踏みしめて、凶暴な長剣を弾く。

「やるな」

 男は軽く、口笛を吹いた。対して、エレノアは冷や汗が全身から吹き出るのを感じていた。

 恐ろしく、強い男だ。しかも、武人の強さではなく、獣の凶暴さに似ている。どこまで渡りあえるかな、と考えて、苦笑した。

 再び互いの刀と剣が空をすべり、ぶつかる。打ちあいは何度も続き、そのたびに銀色の間で火花が散った。

 ひゅうっ、と軽やかな音を立て、軍刀が半月を描く。エレノアは一度、男から距離をとり、鋭く息を吐いた。しかし、彼女が踏みこむより一瞬早く、男が距離を詰めて剣を振るう。

 空気が笛のような音を立て、靴底が石畳をこすった。長い刃が彼女の首へと到達しそうになったとき、金色の光が瞬いて、緻密ちみつな図形が現れる。

「何!?」

 男は目を見開き、飛びすさった。ほぼ同時に方陣がほどけて、その場で小さくない爆発を起こす。爆音と熱風にひるんだ男は、よろめくように後退した。

「いつの間に、方陣など」

 エレノアは、うめく男に軍刀を叩きこむ。長剣と激しくぶつかり合い、刃と刃は強くこすれた。エレノアは、瞳をぎらつかせる男に向けて、悪戯っぽい笑みを向ける。

「いつの間に? 君と戦っている間、ずっとだよ」

 男は、本気でわからないという顔をしていた。けれど、すぐに舌打ちをする。刀身が、ぼんやり光っていることに、気がついたのだろう。

「貴様、まさか、軍刀を振って方陣を編むのか」

「魔術師は方陣形成の遅さが最大の弱点だからな。軍属魔術師は、それぞれに創意工夫をしている。……だからこそ、ロトのような者は『天才』なのさ」

 最後の一言は、独り言だ。ロトが聞いたら、嫌そうな顔をするに違いない。それでも、そう言わずにはいられないのだ。彼のわざをみた魔術師ならば、誰でも。

 男はしばらく唇を折り曲げていたが、やがて、逆に口の端を持ち上げた。再びゆったりと、構えをとる。しかし、長剣は振られなかった。


「ふうん。おもしろい戦い方をするのね」


 笑い含みの声がした。エレノアのすぐ後ろから。脳は恐れに凍りつく。反して、彼女の体は勝手に動いていた。軍刀の腹に、半透明の刃がぶつかる。それはすぐに、澄んだ音を立てて砕け散った。そして、舞い落ちる破片のむこうにいるのは、長い銀髪を風に遊ばせる、一人の女。余裕の笑みをたたえる彼女を見て、エレノアは確信した。

「なるほど。あなたが術者か」

「ご名答」

 女は、短く答えて指を鳴らす。隠す気もないらしい。

「おい、ルナティア、邪魔をするのか」

 男が、不機嫌にささやいた。女はくすくすと笑う。白い左手が、空中を叩いているのを、エレノアは見逃していない。

「そんなつもりはないわよ、オルトゥーズ。好きにやりなさい。――彼女が死んだら、おもしろいことになりそうだしね」

 これは、かなりまずい状況だ。百戦錬磨といわれるエレノアでも、そう思わざるを得なかった。援軍はおそらく来ない。誰もかれも、《爪》のまがい物にかかりきりだ。どうして、この場を単身切り抜けようか。考えている間にも、てのひらほどの方陣ができあがる。それが輝きを放ったとき、エレノアの耳元で、不自然に風が鳴いた。

 音はない。けれど、方陣がいきなり弾け飛んだ。ばらばらになる術式を前に、ルナティアがいまいましげに目を細める。エレノアとオルトゥーズは、方陣を壊した『もの』が飛んできた方向に、顔を向けていた。

「――なんかやってると思ったら、またあんたたちか」

 いらだたしげに呟く声とともに、そばの民家の二階――もちろん住人は避難している――から、黒衣の女性が飛び降りてきた。懐かしい姿を目にして、エレノアは思わず笑みをこぼす。

「マリオン! 来ていたのか」

「ええ。久しぶり、エレノア。もともとロトのところにいたんだけどね」

 軽くため息をついたマリオンは、ルナティアとオルトゥーズを、交互にながめる。それから空をあおいだ。小さく見える黒竜は、いよいよ本気で地上をにらんでいるらしい。

「……『あれ』がいよいよ地上の軍と正面衝突しだしたから、ロトはそっちの対応に追われてる。あたしも、こいつらをしょっぴいたらすぐ戻るわ」

「そうか」

 マリオンは鈍くうなずいて、オルトゥーズに向き直る。マリオンは、ルナティアに。

 オルトゥーズは、剣を構えた。しかしルナティアは、ほほ笑んだまま動かない。

「悪いけど、まだあなたたちに叩かれるわけにはいかないのよね。私にも、目的がある」

「そりゃ残念。でも、その目的とやらは、しっかり吐いてもらうわよ」

 歌うように話すルナティアとは対照的に、マリオンの声はとげとげしい。しかし、ルナティアはそれすら受け流す。若い娘の心の炎をあざ笑う。背中合わせのマリオンとエレノアが同時に顔をしかめると、銀髪の女は、紅い唇をひらいた。

「そうねえ、わかったわ。さっき、そこの軍人さんにいいものを見せてもらったから、あの《爪》に似せた生き物を倒す方法の手がかりくらいは教えてあげるわ」

 軽やかに言うと、女は細い手を振る。何が現れることもなく、代わりに言葉がつむがれた。

「光を弾くもの、そして光を通すもの。うつろなる像を映すもの――これが何かわかれば、倒せるはずよ」

「どういう意味――」

 マリオンが口を開きかける。だが、それをさえぎって、轟音が襲いかかった。遅れて、地震に似た震動が人々をからめとる。あちこちから悲鳴が上がり、二人も両足を踏みしめざるを得なくなった。

 エレノアがかろうじて踏んばったところで、オルトゥーズが駆けだす。エレノアはとっさに軍刀を振るい、長剣を払いのけた。だが、続けざまに剣撃が飛んでくる。そして、彼女が攻撃をさばききる前に、上空で強い光が瞬いた。

 目を奪われたのは一瞬。しかしその一瞬の間に、敵の気配が遠ざかる。エレノアは声をのみこみ、マリオンは声を張り上げた。悔しげな彼女が何を言ったのかは、わからない。かぶせるようにして、女があでやかにうたったから。

「それと、もうひとつの手がかり。あなたならわかるのではないかしら? エレノア・ユーゼス」

 それじゃあね。友人との別れの挨拶のようにさりげない一言。それを最後に、白黒の男女は姿を消した。光がおさまったあとの戦場には、彼らの影は残らない。二人の女性は、しばし呆然とする。けれど、エレノアは、石畳に光る物を見つけて我に返った。

「これは」

 しゃがみこみ、それを拾い上げる。落ちていたのは、盾のような形の、小さな胸飾りだった。銀で作られているのだろうか。質がいいのは一目で分かる。胸飾りは赤で縁どられ、そのまんなかには見慣れぬ紋章が刻まれていた。背中越しにのぞきこんできたマリオンでもおぼえがないのか、紋章を見て首をひねる。

「これが手がかり? どういうこと?」

「……さあな。しかし今は、ひとつめの手がかりの方が重要そうだ。

『光を弾くもの、そして光を通すもの。虚ろなる像を映すもの』だったか? 解析部隊に訊いてみよう」

「あ。あたしも、ロトたちに訊いてみます」

「うん、頼んだ」

 二人はうなずきあうと、二人組の影を振り払って、反対方向に駆けだした。エレノアは走りながら、左手に持った銀の小さな盾を、軍服のおとしにねじこんだ。

 今は黒い竜を倒すのが先だ。後のことは後で考える。たとえ、この紋章が見覚えのあるものだったとしても、今それを考えるべきではない。雑念を振り切ったエレノアは、戦場を見渡してうなずいた。

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