第二章 華やかなる都

1 王都の姿

 熱の波が、ぶわりと押し寄せ、全身を包みこむ。第一波を耐えしのんだだけで、息切れしそうだ。そこへさらに追い打ちがかかる。花と食べ物と、何かわからないものが入り混じった強烈な香りに鼻をつつかれ、アニーは大きくむせこんだ。衝撃がようやく通りすぎたあとに顔を上げ、ずっと先へと広がる街並みに、喜びの声さえも奪われる。

 大きな通りに、色鮮やかな屋根と飾り物が映える建物が、隙間なく立ち並んでいる。その大通りは、途中で少しずつ枝分かれして、広い街じゅうを走り回っているのだという。道は人であふれ返り、どこからか楽しげな笛の音も聞こえてきた。

「……もう、お祭り、はじまってるの?」

 呆けて口を開いていたアニーは、誰にともなく声をこぼす。彼女の間抜けな呟きに答えたのは、王都出身の先輩ではなく、青年であった。

「確か、明後日が前夜祭で、当日がその次の日じゃなかったか」

「おおっ、よく把握してますねえ」

「日程はきちんと知っておかないと。ろくでもないことに巻きこまれそうだからな」

「なんでですか」

「経験と現在の情勢を総合したうえでの予想だよ」

 無愛想な答えに、真後ろにいたリーヴァが首を突っこむ。勢いのよい彼女の声にこたえたロトは、それからあくびをかみ殺した。アニーは困り果てた顔であたりを見回す。クレマンはわりと冷静にあたりを見回していたが、フェイとエルフリーデはアニーと似たような顔である。王都の風景に何も言えなくなってしまったのは彼女だけではなかった。アニーはそっと、息を吐いた。よく見ると、敷き詰められている石畳も、場所によって色が違う。驚きを噛みしめる間もなく、どこかでわいた歓声の大きさに圧倒されて、たたらを踏んだ。

 これでまだ、お祭りじゃないなんて。

 五百人もいたかどうかわからない、小さな村で育った少女は、王都の威容にめまいをおぼえはじめていた。

 しかも、悪いことは続く。

「じゃ、俺は行く」

 隣から馴染みの気配が薄らいだ。と思ったら、ロトは一言だけを残して、王都のざっとうの中へと消えてしまったのだ。抗議どころか別れの言葉すら言えなかったアニーは、わずかに見える黒い頭めがけて「ちょっと!」と叫ぶ。もちろん、気づいてもらえるはずもなく。彼の姿は、どことも知れぬところへ消えていった。立ち尽くす彼女をよそに、リーヴァとフランはふつうに手を振っていた。

 アニーは肩を落とす。隣を見ると、フェイも青い顔をしていた。自然と、ロトを頼みの綱としていた互いに気づき、苦笑する。だが、今回も『導き手』はいる。二人と、言葉を失ったエルフリーデ、彼女をせっついたクレマンは、吸い寄せられるように一人を見上げた。

「よーっし。そんじゃーまず、お宿に行きまーす!」

 人混みの中でも元気なリーヴァ・ジェフリーは、拳を高く突きあげる。フランが彼女に、意外そうな目を向けた。

「あれ、実家に帰るんじゃないの?」

「えー? 四日もうちに泊まるなんて、冗談!」

 リーヴァは、ちぎれんばかりに首を振った。フランはもう納得したのか、そうか、と淡白な相槌を打つ。二人のやり取りを見守っていた少年少女は、首をひねった。

「なあ。なんでリーヴァ先輩、家に帰らねえの?」

「僕も詳しくは知らないけど、どうも父親がうるさいらしい」

 クレマンの問いに、フランが淡々と答える。少年はなぜかそこで、顔をしかめた。彼の表情に何を思ったのか、先輩は真顔で付け加える。

「ただし、『厳しい』のではなく『うざい』のだそうだよ」

「……そ、そうなんすか」

 クレマンと、そばで聞いていた少女たちは、顔をひきつらせた。



 どこからか降ってきた色鮮やかな紙吹雪。そのひとかけらが、アニーの金髪にひっかかった。しかし彼女は、それを払おうとはしない。払う気も失せるほど、人混みとにぎやかさに気圧されていた。建物と建物の合間をつなぐように並ぶ屋台には、食べ物や飲み物だけでなく、何に使うのかわからない石や見たこともない物を売っているところもあった。それらに気をとられつつ、なんとか宿屋にたどり着く。リーヴァが紹介したのは、茶色い屋根のかわいらしい建物だった。白壁に、木組みの茶色が映えている。

「いやー。ぎりっぎり部屋がとれたのが、ここだったのよー。あ、一応男女を分けたから、安心してね」

 彼女の言葉を聞き、クレマンがふにゃりと眉をさげる。彼の表情に気づいたアニーは、思わずくすりと笑ってしまい、彼ににらまれた。

 建物の中は、少しだけひんやりしていた。小さな宿屋ではあるが、手入れが行き届いている。リーヴァの案内で、ふたつの部屋に分かれると、ひとまずは旅装を解いて体を伸ばした。アニーは、屈伸しながら窓の外をながめる。眼下に広がる街並みは、歴史を感じさせながらも、洗練された空気をまとっている。フェイならば、民家のひとつひとつにも、目を輝かせるに違いない。

 アニーがじっと街をながめているのに気がついたのか、エルフリーデが寄ってきた。

「すごいよねえ。これが王都かあ」

「なんかもう、お祭りみたいだったよね。屋台も出てたし」

「うんうん。いつもこんな感じなのかな?」

 少女たちが談笑していると、後ろから茶髪が二人をくすぐった。振り向けば、リーヴァがにっこり笑っている。

「今は祭が近いから余計に騒いでるけどね。まあでも、あのくらいの屋台や露店はいつでも出てるかな。王都って人が集まるから、商売には最適の場所なのよ」

「へええええ」

「少し休んだら、案内してあげようか」

 得意気なリーヴァの提案に、アニーとエルフリーデは目を輝かせる。考えるまでもなく、「お願いします」と頭を下げた。この話はあっという間に男子部屋にも伝わって、三人は、昼時を少し過ぎた頃に、再び街へ繰り出した。

 慣れとは恐ろしいもので、ずっと人の波を見ているうちに、怖くなくなってはきている。それでもやはり、王都という場所は、アニーの好奇心を揺さぶった。

「ね、ね。あれ、なんだろう」

 アニーは、何やら紙や葉っぱらしきものが無造作に貼られた板を指さす。板は壁に打ち付けられていて、道行く人が、ときどき目をとめていた。視線を追いかけたフランが、ああ、とうなずく。

「あれは掲示板だよ。国からのお触れだけじゃなくて、一般人の依頼も貼りだせるようになっている。探し人がいるとか、こういう仕事が欲しいとかね」

「へえ、おもしろいですね」

「ヴェローネルにはこういうの、ないよね。意外にも」

 フランも掲示板を見て、しきりにうなずいている。こういうものがないからこそ、ヴェローネル市民は街の便利屋を頼るのかもしれない。アニーはぼんやり考えた。考えながら視線を放れば、幼馴染が目をきらきらさせて、道端のものひとつひとつに見入っている。もちろん、建物も。そして、彼の繊細な右の指が、何かを求めるように動いていた。――おそらく、書きつけをとりたくてしかたがないのだ。

 そわそわするフェイに、エルフリーデが「今からそんなに見てたら、明後日が大変よ」と声をかけたが、彼女の手もとも落ちついていない。クレマンは別の意味でもじもじしている。アニーは頬をゆるめた。

「フェイは王都でもフェイだなあ」

 明らかにいつもよりいきいきしているが、何もかもに興味をもつ姿は、フェイ・グリュースターその人だ。アニーがくすりと笑いをこぼすと、静かな声が降ってくる。

「幼馴染というのは、おもしろいね。互いのことは、とてもよく見えている」

 含みのある言い方に、アニーは首をかしげる。だが気づけば、不思議に感じたこととは別のことを、口にしていた。

「リーヴァ先輩とフラン先輩は違うんですか?」

 問えば、浅黒い肌の青年は、少し頭をかたむけた。

「幼馴染、とは違うね。僕らは、そう、七回生の実習で、たまたま同じ班になったんだ。そのときからの付き合いだよ。僕の何が珍しかったのか、彼女の方から話しかけてきて。僕も、この人おもしろいな、って思ってね」

 その後、フランが何かを言ったが、それは聞きとれなかった。近くでわきおこった笑い声にかき消されてしまったのだ。アニーは唇を曲げつつも、うなずいて顔をそらす。しかし瞬間、彼の温度が遠ざかったことに気づいて、また視線を戻した。彼は背が高いから、離れるとすぐにわかる。

「先輩?」

 フランは足を止め、民家と民家の隙間の道を、じっと見ていた。アニーも、ほかの人たちを気にしつつ、彼の方へと歩み寄る。

「何かおもしろいものでもありましたか」

「いや、おもしろいというか。今、この奥で、何かが光った気がして」

「んんー?」

 何かが光った、という言葉に心をくすぐられ、アニーは背伸びをした。彼女の行動に気づいたフランが、さっとしゃがむ。

 小路は薄暗い。普通の人の目では、あまり奥まで見通せないだろう。アニーはそれでも目陰まかげをさして、光るものを探した。間もなく、ちかり、と青い光が瞬く。硝子がらすが光を反射したときの輝きに似ていて、思わず目をすがめた。それから、アニーはゆっくりと、光るものの正体を確かめる。

「何あれ……玉?」

「見えるのか。すごいね」

「まあ。目は人よりもいいんで」

 感心するフランに、アニーは相槌を打つ。

 暗がりに見えたのは、少年の手くらいはあるだろうか、大ぶりな青い玉だった。転がされて放置されたというふうではなく、むしろわざとそこに置かれた感じがする。小路の中央に鎮座する玉は、ときおり、不自然にちかちかと光を瞬かせていた。

「なんだろう。王都には変なものがあるなあ」

「王都の人からしても変なものだと思う。でも、誰かに知らせるほどではない、かな……」

 青い玉や光は確かに不気味だが、今のところ害はない。

「ちょっと! 二人とも、置いていくよー!」

 二人はしばらく考えこんだが、リーヴァの明るい声に背を叩かれ、顔を見合わせた。

「急ごう。彼女、本当に置いていきかねないから」

「ええっ!?……しょうがないなあ」

 フランの真顔に肩を震わせたアニーは、玉のことを頭の隅に追いやって、彼とともに駆けだした。

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