5 新たな一歩

「あの白いきらきらしたの、《雪月花》の欠片かけらだったのかもね」

 守護獣が消えたあとの白い部屋で、アニーは立ち上がって呟いた。隣でロトが「そうかもな」と呟く。彼はぐるりとあたりを見回した後、顎に指をひっかけた。

「あいつが消えたら、嫌な魔力も消えた……。ってことはやっぱり、魔物の暴走はあいつが目ざめたせいか? ここを出て、確かめないといけないな」

 そう言いながら、ロトはすでにこの部屋の壁や床、瓦礫の調査を始めていた。妙なところでまじめな彼に苦笑していたアニーとフェイだが、ふと自分たちの目的を思いだすと、固まった。お互いの、まっさおになった顔を見合せる。

「アニー……ぼくらの課題、どうしよう……」

「こ、こっちが訊きたいわ……。《雪月花》とりにきたはずなのに、とれなかったー!」

 がっくりとうなだれるフェイ。そしてアニーは、頭を抱えて絶叫した。これでは、なんのために危険を冒してここまで来たのかわからない。ひととおり部屋を調べ終えたらしいロトが、歩いてきて、二人の子どもに冷たい目を向けた。

「こればっかりはしょうがない、あきらめろ」

「な、何よ! 他人事ひとごとだと思って!」

「うるさい。俺にとっちゃ他人事だ、実際」

「うぅーっ!」

 アニーはだだをこねるようにうなった。けれど、ロトは見向きもしない。「さあ戻るぞ」と言って歩きだしてしまった。しかたがないので観念して、アニーはフェイとともに、青年の背中を追って歩きだす。


 守護獣の消滅の余韻はどこへやら。帰り道は、実に穏やかで気の抜けたものだった。というのも、魔物たちが一切襲ってこなかったのである。それどころか魔物じたいがこの地下道を出て、どこかへ行ってしまったようだったのだ。本当に守護獣のせいだったのかな、と意見をかわしあう子どもたちをよそに、魔術師は淡々と地下道を調べながら書きつけをとってゆく。

 襲われることがなかったせいか、昨日よりもずっと早く進むことができていた。祈祷杯のある部屋を通りすぎようとしたところで、少しの変化がある。ロトが、また自分の呪いについて話しだしたのだ。フェイが身を乗り出すのを見て、アニーははじめて、フェイが呪いのことを知らなかったことを思いだした。

「ねえ。そういえば、腕、ほんとに平気なの?」

 話が途切れたのを見計らって、アニーはロトに尋ねてみた。すると彼は、右腕を軽く持ち上げる。

「平気だ。腕輪はそろそろやばいけどな」

 そう言うと彼は、服のそでをまくって確かめる。前に見た銀色の腕輪があらわれたので、アニーもフェイも「あっ」と声をもらした。

「どういうこと?」

「言ってなかったか? この腕輪が少々特殊でな。俺の魔力が『動く』のをおさえる効果があるんだ。これがあるから、魔術を使いすぎない限り呪いが広がらない代わりに、一日に使える魔力が制限されちまってるのさ。制限を破ったところで罰があるわけじゃないけど、腕輪の効果が落ちていろいろ面倒なことになる」

 はー、と声をもらしながら、アニーは彼の説明に聞き入っていた。同時に、腕輪のことを言ったときに彼がそれを隠したがった理由も、なんとなくだが察した。――誰にでも、知られたくない秘密のひとつやふたつ、あるものだ。


 ときどき会話と休憩を差しはさみながら歩いたのがどれほどの時間だったのかはわからない。けれどアニーは、行き止まりと、そこに降り注ぐ薄い光を見た瞬間に、顔を輝かせた。

「出口だ!」

 思わず弾んだ声をあげると、フェイが大きく息を吐いた。喜びあっている二人をよそに、ロトは無言で角灯の火を消し、二人の前に立って石段に足をかける。アニーもフェイも、彼の後ろについて、石段をのぼった。光に目をやられないよう注意しながら、出口を目指す。

 暗い道が終わり、神殿跡に顔を出したとき、アニーは思いきり息を吸った。外の空気は砂混じりだったが、地下のなんとなくどんよりと沈んだ空気よりずっとおいしい。おろおろしているフェイの手を引き、地上に立った彼女は、久しぶりに訪れたように感じる神殿跡を見渡した。

 立っている柱も、男性神の像も、なにひとつ変わっていない。廃墟と化した神殿に黄昏の光がさしこんで、あたりはまぶしいほどの茜色に染め上げられていた。柱やが例から伸びた影が、どこかさびしげに映る。

「ああ、戻ってきた……」

「俺はもう少しきちんと調べる必要があるから、もう一回くらい潜ることになると思うが」

「それは……お疲れ様です……」

 外に出た解放感からか、三人とも珍しく好き放題に言いたいことを言っていた。そうしてしばらくのんびりした後、誰からともなく帰ろうかと神殿跡を出る。夕日の生み出す陰影のせいか、哀愁の漂う都市遺跡を歩きながら、アニーは「ほんとに課題どうしよう」と呟く。すると、ロトが振り返った。

「まあ、ここの《雪月花》についてはあきらめるしかねえけど、もう少しねばってみろよ。課題の期限までまだ少しあるだろ?」

「そのつもりだけど、本当に何も見つからなかったら……」

 停学かな、それとも退学? とうつろな目で言ったアニーを、ロトは生温かい目で見る。それから、雑に彼女の頭をなでてきた。

「落ちこむなって。今のおまえらなら、不合格にされることはないぜ、たぶん」

 彼からもたらされた予想外の言葉に、アニーとフェイはそろって目を瞬いた。

 

 結局、ロトとはヴェローネルの入口で別れ、アニーとフェイはひとまず学院の寮へ戻った。

 そして翌日以降、課題の期限の日まで、時間の許す限り《雪月花》について調べてまわった。けれど、やはりなんの成果もあげられないまま、その日が来てしまったのである。

 

 その日の朝、二人はハリス先生に相談室へと呼びだされた。アニーが木剣を折った日と、まったく同じように。

 ハリスは、二人が扉側の席につくのを見届けるなり、口を開いた。

「では、二人とも。結果を聴かせてくれ」

 アニーとフェイは顔を見合わせた。少年の茶色い瞳が、心配そうに、少女の碧眼をのぞきこむ。彼女は強くうなずいて、担任教師に向き直った。そして、深々と頭を下げた。

「ごめんなさい、先生。《雪月花》をとってくることは、できませんでした」

 痛いほどの沈黙が落ちる。椅子と机の軋む音だけが、しばらく場を支配した。

 感情の見えない目で二人を見つめていたハリスが、遅れて「詳しく話してもらえるかな」と、続きをうながしてくる。アニーとフェイは同時にうなずいて、これまでのことを語った。ロトの同行を取りつけたところまでは、先生もすでに知っているので、それ以降のことを。

 神殿とその地下道。魔物との戦い。守護獣とのぶつかりあいやその結果はもちろんのこと、アニーが途中、ロトと衝突してしまったことまで、包み隠さず語った。ハリスの目は、揺らいでいない。

「なんとか、守護獣を倒したんです。でも、《雪月花》はとれませんでした。もう、昔の人がとりつくしてしまったのだと、ロトさんはいっていました。だから、その、課題は達成できなかったです」

 フェイが、戸惑い気味な、けれど強い声で話を結ぶ。それから二人して、また頭を下げた。彼らは見えていなかったが、ハリス先生の目もとが少し、ゆるんだ。そろり、と頭を上げた二人の上に、穏やかな声が降る。

「……今、こうして課題をやってみて、二人はどう感じた? 思ったままでいいから、教えてほしい」

 授業で生徒に意見を求めるときとまったく同じ調子。その質問に、先に答えたのは、フェイだった。

「ぼくは……最初のうちは、おろおろしたり、震えていたりするしかなくて。探索の中では、その、あまり役に立たなかったんじゃないかって、今も少し思っています。でも、祈祷杯を見つけたことは間違いなく手がかりになっていたし、戦っていなかったからこそ、守護獣の弱点を見つけ出すこともできたのかな、とも、思うんです。だから、これからは、自分のできることを少しずつ見つけていきたいです。――だいじな人を、今度はぼくが、支えたいから」

 噛みしめるように、小さな声でつむがれた最後の一言は、隣で聞いていたアニーの胸を軽く打った。彼女は目をみはってフェイを振り返ったが、フェイの方は少しうつむいていたので、彼女の視線に気がついていなかった。そして、気がつく前に、ハリスの声がアニーに向けられる。

「アニー。きみは、どうだい?」

「……私は」

 はっとしたアニーは、わずかに目を伏せる。木目をにらんで言葉を探すが、なかなかいい一言が見つからない。結局は、ぽっこりと心に浮かんだことを、そのまま口にしていた。

「私、昔からちょっとおかしいんです。急にまわりが見えなくなって、そういうときは、きまってめちゃくちゃに暴れているみたいなんです。学院に入ってからも、同じことがあって。結局、故郷でもここでも『暴れん坊』って呼ばれてしまって、私には暴力しかないのかと思うと、すごく悔しくて。認めてもらいたかったけど、どうしていいかわかんなくて。今でも正直……何をしたら自分をおさえられるのか、全然、わかってないです」

 ハリスは目立った反応をしなかった。けれど、驚いた顔をしてはいた。きっと、彼女の血気盛んなところがただの性格でないと、うすうす察している先生は多い。だが、アニーが先生に面と向かってこのことを話すのは、今がはじめてだ。

「でも、でも。今回のことで、少しだけ、手がかりはつかめたような気がするんです。課題に付き合ってくれたお兄さんは……ロトは、大人のなかでははじめて、暴れる私を見ても怖がらないで怒ってくれて。遠回しだけど、大事なことを教えてくれたと思います。だから」

――自分なりに考えて戦えと、青年は言った。それはきっと、剣や術を使った「戦い」だけのことではないのだろう。彼がどこまで意図したかはわからない。ただ、アニーはそう受け取った。彼女なりに考えて、そうくみとった。こわばる心を深呼吸で落ちつかせた彼女は、まっすぐに、先生を見る。

「私、これから考えます。どうやったら、私の中のこの気持ちと向きあえるのか。いつかは『暴れん坊』なんていわれなくなるように。まわりの人を傷つけない人に、なりたいから」

 そうすればきっと、誰かの気を引くための悪戯も、我慢できるようになる。かすかに浮かんだ思いは、けれどアニー自身が自覚する前に、胸の奥へと沈みこんでしまった。

 相談室はまた静かになる。アニーは軽く唇をかみ、フェイは肩をこわばらせた。唯一の大人の吐息が、沈黙を終わらせる。「なるほどね」と呟いたハリス先生は、それから二人を順番に見た。

「アニー・ロズヴェルト。フェイ・グリュースター。今回の課題は……」

「はい」

 アニーはとっさに手足に力をこめる。

 腹は決まった。停学だろうと退学だろうとなんでも来い、と身構える。

――そしてハリス先生は、鮮やかにほほえんだ。

「二人とも、合格だ」


 アニーとフェイは、同時に、ぱちぱちと目を瞬いた。言われたことがのみこめずに、しばらくの間、固まる。いくらか遅れて先生の言葉が胸の中にしみこんでくると、二人そろって前のめりになった。

「え、えええっ!?」

「いいんですか先生? ぼくたち、言われたものを取ってこられなかったのに」

 叫ぶアニーの隣で、フェイが墓穴を掘るようなことを言う。二人の驚きっぷりがおかしかったのか、ハリス先生は相好を崩した。

「ああ、それはもちろん。そもそもあの《雪月花》を君たちがとってこられるなんて、思ってなかったし。フェルツ遺跡や守護獣に行き着いたのは予想外だったけどね。あと、街の人に協力をあおいだのも」

「――――はい?」

 子どもたちの間抜けな二重奏が響く。彼らの驚きを意にも介さず、魔術に詳しい人かあ、いい人に行きあたったねえ、とハリスは実に楽しそうに言った。フェイはぽかん、としてそのまま動かなくなってしまった。そして、アニーは、みずからの不法侵入を見届けた幼馴染と同じように、口をぱくぱくさせる。怒りといっていいのか、拍子抜けといっていいのか。とにかく形容しがたい思いが、全身を満たしていた。

「えっと。それってつまり、最初からできもしないことをやらせていた、ということ……ですか?」

 自分の中で出た答えを口に出す。嘘であってくれ、というアニーのひそかな願いもむなしく、ハリスはあっさり「そういうこと」と言ってのけた。

「いや、ちょっと荒っぽいやり方かなあとは思ったよ。けど、二人とも、予想以上の結果を出してくれた。先生は嬉しいぞ」

 確認しなければよかった、と後悔する。

 アニーは無言で机に突っ伏した。フェイもがっくりとうなだれて、彼はさらに涙目で抗議した。

「どうして、そんなことを……」

「っていわれても。学院の備品をひとつ壊してくれたのは事実だからね。これくらいの痛い目は見てもらわないと、と思っていたんだ」

「それ、生徒にむかって言うことですか」

 満面の笑みをたたえる先生を、フェイ・グリュースターははじめて本気でにらみつけた。最初の緊張感は完全に台無しである。アニーは、のろのろと顔を上げ、少し不機嫌なフェイに「ごめんなさい」と心から謝った。長い付き合いの少年は、ため息をつきつつも、かぶりを振っただけである。

「アニー・ロズヴェルトの説教係」と渾名されている教師は、二人の生徒のやり取りを、にこにこしながら見つめていた。


 ひとけのない廊下に夕日がさしこんで、壁と床を赤く染めている。強く物悲しい光の中を、少女と少年が歩いていた。課題の達成を言い渡されたアニーとフェイである。最初、ロトに指摘されたとおり、今回の件は本当に課題のひとつとして扱われていたらしく、二人はめでたく単位をもらえた。それにより機嫌を直したフェイが、すました顔でアニーの腕をつつく。

「さて、アニーさん。これにこりたら、本当にもうあんな真似はやめてよね」

「……うん。呪いの剣は気になるけど」

「まだ気になってたの?」

 呆れた、と言い、フェイがアニーを横目で見る。アニーは照れたように笑ったあと、でも、と呟いて窓の外を見た。

「でも、さ。本当の『呪い』って、きっと、もっと静かで恐ろしいものなんだよ。なんか、そう思ったら、学院の噂なんてかわいいもんだなって」

「アニー」

 フェイが目尻を下げる。その言葉が誰の何をさすのか、無言のうちに察していた。いつもより大人びた表情を見せていた少女はけれど、相好を崩すと、大きく見える夕日に向かって拳を突き出す。

「だから、私がんばる。先生に言った以外にも、新しい目標ができたからさ。勉強も、前よりは苦しくない。……たぶんね」

「目標かあ。さしずめ、ロトさんに認めてもらう、ってところかな」

「それだけじゃないよ。あの澄ましたおにーさんが隠しごとなんてしなくて済むような、友達になってやるんだから」

「また、大きく出たね。じゃあぼくも、一緒にがんばろうかな」

「ふふっ。フェイがいてくれるなら安心だね!」

 フェイの大人ぶった言葉を聞き、アニーは歯を見せて笑う。彼女の横にならんだフェイもほほえんで――二人は拳を打ちあった。


 話題の中心になっている一人は、今も、これから先も、二人のやりとりを知らないままだ。けれどアニーとフェイは、黄昏の光の下で、確かに誓いを立てたのである。

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