4 最期の輝き

 アニーが宙を舞って壁に叩きつけられた瞬間、フェイは胸が締めあげられた気がして、息をのんだ。思わず叫びだしそうになったが、ロトが間に入ってくれたので事なきをえたとわかり、ほっと安堵の息をつく。かばったついでに彼も怪我をしたのだとすぐに見知って、また気を揉んだが。

 とにかく、アニーは大丈夫そうだ。そう思ったフェイは、改めて守護獣に目をこらす。けれど、獣は巨体のわりに動きがすばやく、なかなか弱点を見つけることができない。あせりが募りはじめていた。喉にわずかな痛みが走り、涙がにじむ。自分の足ががくがく震えていることに気づきうずくまる。情けない、と思った。

「どう、しよう……」

 小さな声がこぼれる。せっかく期待をかけてもらったのに、こたえられないのか、と思うと、見えない力に押しつぶされそうになる。

 いつもそうだ。どこまでも臆病で、何事にも自信がもてなくて。ほかの子どもにはいじめられてばかりだった。そんなとき割って入ってくれたのはいつもアニーで、結局、彼女のそばについていないと、意見を述べることさえままならなかったのだ。

 学院に入って、少しは変わったと思っていた。けれど――

『そう気を落とすもんじゃねえさ。戦いができない代わりに、おまえ、できのいい頭持ってんじゃねえか』

 目の前が暗く歪んでゆくのを感じていたフェイは、耳の奥に聞こえた声で、目をさました。そのとき、獣の声がする。導かれるように柱の陰から顔を出し、フェイは息をのんだ。戦う少女の姿が見える。魔術師の青年は、小さな魔術をたくみに放って、守護獣をかく乱している。二人の間でどんなやりとりがあったか、フェイは知らないが、静かな信頼が生まれているのを見て取った。アニーが変わろうとしていることも。

 あてにしてる、と、そう言う彼女の笑顔を思いだす。碧眼の奥にあったのは、強くて明るい光だった。

「だめだ、ぼくがこんなんじゃ」

 フェイは強くかぶりを振る。

「アニーだってがんばってる。ぼくも、できることをしなきゃ」

 呟いた彼は、両手で頬をぺちん、と叩いた。改めて守護獣に目をやるが、一方で、彼は顎に指をひっかけて考えこんだ。

「きっと、やみくもに探すだけじゃだめだよね。ちゃんと考えないと。――あの魔物を虎っていっていいのかわからないけど、虎は確か猫の仲間……」

 尻尾は猫より狼に近いが、顔立ちや足のしなやかさは猫と同じだ。ということは、体の構造も実際の動物とそこまで変わらないはず。フェイは銀色を目で追いながら、思考を続ける。

「猫の急所ってどこだっけ? お腹と、足と、ひげと尻尾……? でも、それならアニーが気づいてるはずだし、斬りつけられたらもっと反応してるはず。さっき吹き飛ばされたときには動きが止まってたから、背中に何かあるかと思ってたけど見つからないし……」

 うーん、としばらくうなったフェイは、ふいに目を見開いた。猫の首をつまむと大人しくなる、という古い知識を探り当てたのだ。母猫が危険を感じたときに子猫の襟首をくわえて運ぶから、といわれている。守護獣に同じ話が当てはまるのかはわからない。『弱点』に直結するとも限らない。それでもフェイは、目をこらした。

 怒りに満ちた大声が叩きつけられたのは、ちょうどそのときだった。フェイはびくっと震えて縮こまる。そっと目を開けたはいいものの、見えたものに凍りついた。守護獣が、口から銀色の光線を放ったのだ。アニーもロトも無事なようだが、何度もあんなものを使われてはひとたまりもない。――そう、思っていたとき。

「え、あれ」

 きらり、と守護獣のそばで何かが光った気がして、フェイは身を乗り出した。怒り狂う守護獣の背中、それも首のあたりをじっと見る。ちょうど襟首のあたりに、小さな白い光が見えた。フェイは唾をのむ。じわり、と胸を満たす温かいものを押しこめて、力強く叫んだ。

 

 

     ※

     

     

「え、えりくび?」

 呟いた次の瞬間、アニーは後ろに跳ぶ。先程まで彼女が立っていた場所を、鋭い爪が通りすぎた。アニーは寒気をこらえてロトの方に走る。彼も気づいたようで、視線をアニーの方へ向けた。そしてまた、疑問も顔に出ていたのだろう。魔術師の青年は軽く吹き出したあと、手を後ろに回して、自分の襟首をさすってみせた。

「ここだよ、このあたり」

「ああ、なるほど……」

 うなずいたアニーは、鬼の形相で飛びかかってきた守護獣を横に跳んで避ける。背後の壁に激突してほしかったのだが、銀の獣はその前に飛びすさった。奇妙な俊敏さは猫そっくりである。憎らしげに獣をにらむアニーの横で、ロトがぼやいた。

「フェイの奴、よく見つけたな。ただ問題は、どうやってそこを攻撃するか、だ」

 彼の言葉に、アニーも首をひねる。また背を丸めて隙をうかがっている守護獣を、しばらくながめた。家猫よりも、そしておそらくは虎よりも大きいであろう守護獣。その背は、人間の大人二人が乗れそうなほどだ。逆立つ銀色の毛を見つめていたアニーは、そのままで、口を開く。

「飛び乗って、斬っちゃおうか。私が」

「……また大胆に行くな」

 ぽつりと呟いたアニーを見、ロトがわずかにのけ反る。「できんのか?」と、頭をかきながら訊いてきた。アニーは唇をつりあげて、不敵にほほえむ。

「私、そういうのは得意なんだ」

 そう言い、守護獣にむかって剣をちらつかせる。今までと違って、心はとても静かだった。そこに思うところがあったのか、ロトもそれ以上は疑う様子を見せなかった。どこか楽しげに、少女と獣を交互に見る。

「じゃあ、守護獣の気を引くのは任せろ。どうも、やっこさんは俺を『あいつ』と勘違いしてるみたいだから、ちょうどいい」

「『あいつ』?」

「呪いをかけてくれた魔女さまだよ。この遺跡にどう関わってたのか知らねえが」

 アニーはぎょっとして、さらりと呟いたロトを見上げた。しかし、彼の横顔からは感情が読みとれない。深海色の瞳はわずかな翳りを帯びているだけだ。あれは考えごとをしているときの顔だ、と悟ったアニーは視線をそらす。

 守護獣のものであろう、怒りに満ちた叫びを思いだした。どうして守護獣が「魔女」という言葉を口にしたのかは定かではない。けれど、アニーが今すべきなのは、それについて考えることではなかった。

「お願い、ロト。手伝って」

 剣をにぎってささやくと、ロトは「おまえからそんな言葉が聞けるとは」とおどけたふうに言った後、右手を虚空に添える。にらんだアニーを一瞥し、口角を上げた。

「わかってる。思いっきりやれ」

 その声を受けて、少女はうなずきもせず踏み出した。


 守護獣が顔を上向けて息を吸う。また光線を撃ってくる気だ、とアニーはわずかに顔をこわばらせたが、直後に魔術で勢いよく飛ばされた礫が守護獣の顎に直撃して、彼の攻撃をはばむ。その隙にアニーは横へと回りこむ。獣の背を見上げると、めまいがした。いくら彼女でも、横から飛び乗るのは無謀に思えた。うっ、と一瞬顔をしかめた彼女は、目を動かした拍子にあるものを見つける。

「……あ」

 少女の目がとらえたのは、守護獣の尾だった。太くてごわごわした尾だけは猫に似ていない。怒っているせいなのか、尻尾は基本的に持ち上げられてぴんと張っており、時折激しく床に叩きつけられていた。アニーはひとつうなずくと、剣を収めて走りだす。守護獣がロトに飛びかかって失敗し、尻尾が地面を叩いた瞬間に、それをつかんでよじ登りはじめた。太くて立派な尻尾は、木登りと同じ要領でつたってゆくことができる。木登りこそはアニーの得意分野だった。

 だがその途中、尻尾は大きく振り上げられる。獣の怒りが伝わってくるような気がして、アニーはひやりとしていた。けれど、いつまでも恐々としているわけにはいかなかった。持ち上げられた尻尾は、きっとまた叩きつけられる。そうなれば、尾にしがみついている自分もただでは済まない。そう直感したアニーは、瞬時に決断した。尻尾がもっとも高いところまで振り上げられた瞬間、手を放し、勢いをつかって飛び上がったのだ。空中でなんとか足を操って、銀色の毛の上に飛びこむ。

 アニーが落ちたのは、守護獣の背の上だった。

「やった!」

 歓喜の声を上げたアニーは、ゆっくりと体を起こして、両足でしっかりと背中を踏みしめて立つ。そのとき、獣の背中が大きく揺れて、アニーもよろめいた。さすがの守護獣も、自分の背中にいる「異物」に気づいたのだろう。振り落とそうとするのはあたりまえだった。アニーは青ざめ、慌てて剣に手をかける。

 そのとき、下の方で、ぼこっと低い音がした。アニーはそろりと見おろして、驚く。

 なめらかな床の、守護獣が踏みしめている部分だけが、不自然に盛り上がって、獣をその場に縫い止めているのだ。何がどうなったか、などと、考える必要はなかった。視線を動かしてみれば、膝をついた青年が、地面に小さな方陣を展開している。彼はアニーの視線を感じたのか、見上げてきて不敵に笑う。

 決めろよ、と言われている気がした。

 アニーは強くうなずいて、いったん膝をついた。慎重に銀色をつたって、守護獣の首のあたりを目指す。――襟首のあたりを見てみると、確かに、アニーの手ほどの白い光があった。あれが《雪月花》の輝きなのかもしれないと、そんなふうに考えた。白い光にある程度近づくと、アニーは立ち上がって、ゆっくり剣を抜く。すらりと光る刃をにらんでから、深く息を吸った。

 そして、吸いこんだ空気を鋭く吐きだすと同時に、剣を下に向けて――思いっきり、光を突き刺した。


 手ごたえはない。けれど、剣が光を貫いた直後、守護獣のいっとう大きな叫び声が純白の間を震わせる。そして、光は強く明滅したあと、音もなくひび割れた。ぱっと、硝子がらすのように砕け散る。


 唐突な終わりを、少女は呆然とながめていた。が、その意識がどこか遠いところへのびてゆく途中で、急に現実に引き戻される。体が、ぐらりと傾いたのだ。それが、守護獣が傾いたせいだと気づいたのは、足が獣の背中から離れる直前だった。どうにか剣は鞘にしまえたが、すぐあと、少女は宙に放り出される。

「いやあああっ!」

 悲鳴が勝手に喉を突いて、空間を切り裂いた。叫んだからといって落下が止まるわけもなく、アニーは激しい痛みを覚悟して、とっさに受け身をとろうと背を丸める。遅れて、すさまじい衝撃がやってきた。しかし、痛みは思ったほどでもなかった。地面を手で打とうとしていたアニーは、打った感触が床のものではなかったことに驚いて、目を瞬く。守護獣が床に倒れたのであろう重低音を聞きながら、そうっと下を見た。

 見慣れた少年が、下敷きになってうめいているのを発見し、ぎょっとする。言葉が見つからず、目を白黒させていたが、やがて低いうめき声とともに「アニー……痛い……」という訴えが聞こえてきて、我に返った。唇が勝手にわなないて、激しい声が飛び出る。

「あ、あ、あたりまえじゃない! フェイのばか! じ、自分から飛びこむなんて、信じられない!」

 喚きながら、少年の上からどいた少女は、立ち上がる。フェイも、ぴくぴくと震えながらも体を起こした。どこかの骨が折れた様子はなく、とりあえず安心である。が、どうやらフェイ・グリュースターは妙なところで勇気を出してしまったようだった。

「ぼくだって、何か役に立ちたかったんだよぉ……。ひょっとしたら受けとめられるかもって、思って……」

「あんたのその細っこい腕で人ひとり受けとめられるわけないでしょうが! 頭いいくせになんでそんな馬鹿なことすんのよ馬鹿!」

「ば、馬鹿馬鹿言いすぎ!」

「――本当にな。でもフェイ、おまえ、『弱点』見つけただけでもじゅうぶん役に立ってるぞ」

 少年少女の言いあいに、笑い含みの声が割り込んでくる。二人はぴたりと口を止め、声のした方を見た。おそらく、それこそアニーを受けとめようと駆けつけてくれたのだろうロトが、苦笑しながら右腕をさすっている。アニーは頬を引きつらせた。

「ロトさん」

「へ、平気なの?」

 呆然と名前を呼ぶ幼馴染を押しのける勢いで、アニーは青年に問いかける。彼は「へーきへーき」と軽く言って、手を振った。その目が、横方向に動く。

「それより今はこいつだろ」

 言葉と視線に誘われて、アニーとフェイも同じ方向を見る。弱点を攻撃され、横倒しになった獣の体は、小刻みに震えているが起きあがる気配はない。ロトはその背をまんじりと見つめたあと、言った。

「さて。本来なら、こうして守護獣を倒したあとに《雪月花》がとれるはずだけど――」

 アニーたちが目をみはった瞬間、ロトの言葉はぷっつりと途切れる。その目がゆっくりと上空へ向かっていることに気づいたアニーは、つられて上を見た。

「なに、これ」

 言えたのは、それだけだった。

 守護獣の体から、粉のような白い光が、静かに舞い上がっている。光たちは音もなく天に吸い込まれていき――それに会わせて、守護獣の体が、じょじょに崩れはじめていた。子どもたちが何も言えず、天にのぼってゆく光の粒に見入っているなか、青年の低い声が、光を追いかけて流れてゆく。

「昔の住民たちは、守護獣を倒さずして《雪月花》をしぼりとる方法を編み出した。そしてそれを実行し……自分たちでも気づかないうちに、こいつの中の《雪月花》をとりつくしてしまったんだろうな。もう、こいつはとっくに生きる力を失くして……いや、奪われてしまってたんだ」

「そん、な」

 どこか悲しげな言葉に、アニーはとっさに何かを言おうとする。けれど結局、何を言っていいのかわからず、黙ることしかできなかった。

 銀色の虎は、きっと悲しかったのだろう。そして、とても怒ったのだろう。だからこそ、最後の力を振りしぼって目ざめ、今の時代に怒りを振りまいた。そう思うと、たまらない気持ちになって、アニーは守護獣に歩み寄った。崩れて、白い粒へと変わってゆく背中を、そっとなでる。

「自分のなかのものをとられるのがどんな感じか、私にはわからないけど……きっと、つらかったよね、苦しかったよね。――ごめんね」

 少女の小さな手は、優しく背をなでつづける。銀色の毛だけを見つめていたアニーは、背後でロトが顔をくしゃくしゃにしていることを知らなかった。彼とフェイがそっと歩み寄ってきたことで、やっと存在を思いだしたくらいだった。

「でも、もう大丈夫だよ。休んでいいんだよ」

 アニーがそう言うと同時、ロトが隣でひざまずいてこうべを垂れ、静かに目を閉じる。それが「祈り」なのだと察したアニーは、フェイに目配せした。彼がうなずいたのを見て、少女もそっと目をつむる。声には出さず、言葉を捧げる。


 どうか、安らかに――。


 静寂のなかでしばらく黙とうした彼らが再び目を開けると――それを待っていたかのように、守護獣の全身が白く輝き、ぱっと弾けて霧散する。後に残ったたくさんの光の粒は、きらきらと輝きながらたちのぼり、やがては、ひとつ残らず消えてしまった。

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