4 絶望にたどり着く

 結局、アナスタシア・スミーリが魔術研究者たちの仕事を見ることができるようになったのは、十五歳になってからだったという。いくら天才的な力を持っているとはいえ、貴族の子女を研究の現場に入れることに、魔術師たちが長らく難色を示したためであった。いわゆる「女は家庭を守るべき」という意識の根強かったこの時代に、女性が研究や労働に関わることは、非常に珍しかった。それでも、ようやく研究所の見学が許されたとき、アナスタシアは侍女ソーニャの前で「遅い」と、ぼやいたという。


 その日、アナスタシアが連れてこられたのは、スミーリ家の敷地内にある別邸だった。一階から二階部分は煉瓦に、三階部分の外壁はクリーム色の石に覆われた建物は、研究とは無縁に思える温かさをかもし出していた。自分が暮らす敷地で研究がおこなわれていると示されて、アナスタシアはひどく驚いた。少しの間、口を半開きにして建物を見上げてしまったことである。

 ご令嬢は驚いたが、スミーリ家の敷地内に研究施設があるのはごく自然なことであった。スミーリ家はエリザース建国当初から、数少ない魔術の名門であり、魔術研究者の拠点であったのだ。

 先んじて付き添いの男性が扉を開ける。父の優しい声にうながされたアナスタシアは、戸惑いながらも建物に足を踏み入れた。

 少女は付添い人に案内され、父の背中を追いかける。時折小さく震え、ひし形模様を描く床を高く鳴らしながら奥へと進んだ。アナスタシアは、大人たちが扉の前で立ち止まったところで、上を向いた。天井は高く、それを支える円柱がずらりと並ぶ。繊細な彫刻に埋めつくされた壁と、色鮮やかな天井画が目についた。自分の家の大広間とさして変わらないように、少女には思えたのだけれど、薄暗いせいかうすら寒いぶきみさが漂ってきている。

 付添いの男性が、なにかを言って扉を開けた。その先には、地下へと続く階段があった。アナスタシアはひるんで立ち止まったが、父ヤロスラーフは、表情を変えることなく階段を下りてゆく。少女はまた、小走りで父を追いかけた。


 地下はさらに暗い。壁に揺らめく行燈ランプの明かりが足もとを丸く照らしているだけだ。アナスタシアはいつしか、自分の足ばかりを見るようになった。それ以外のものを目に入れてしまったら、冷たい恐怖で心がおかしくなってしまいそうだった。

 しばらくすると、階段が途切れる。急に平らなところに来たアナスタシアはよろめいた。「到着いたしました」と、男性のやわらかな声が耳に入る。アナスタシアは顔を上げ、そして目をみはった。

 冷え冷えとした地下室には、いくつもの燭台が壁沿いに配置され、煌々と火が焚かれていた。そこには長衣をまとった魔術師たちがひしめきあって、方陣を描いたりなにやらかたい物を短刀で削いだり、忙しく働いている。魔術師のうち一人が、来客に気づいて顔を上げた。

「ヤロスラーフ様、いらっしゃいませ。……アナスタシア嬢もご一緒でしたか」

 言葉の終わりがわずかに揺れる。あなどられた気がしてアナスタシアは唇をとがらせたが、魔術師の表情は涼やかなままである。ヤロスラーフと魔術師がしばらく小声でやり取りをし、その後ようやく、少女もともに仕事場を見せてもらえることになった。

 よく見てみれば、魔術師たちは実にさまざまなことをやっている。書物をめくったり、床に文字を刻んだり。先ほどかたい物を削いでいた魔術師は、今度はぬらりと光る薄いものを手にとってながめていた。それが蛇の皮だと気づいたアナスタシアは、思わず後ずさりしてしまう。先の魔術師の笑いを含んだ吐息を聞いた少女は、赤面してそっぽを向いた。

 なにかと失礼な魔術師ではあったが、当主とご令嬢の質問には、丁寧に答えた。

「板に文字ばかり彫っているけれど、彼らは何をしているの」

「新たな式の開発です」

「新たな式? 式を作るの?」

そんのものを組みかえればいくらでも開発は可能です。実用化できる式を生み出すのは大変ですが」

 魔術師の解説に深くうなずいていたアナスタシアは、そのとき、部屋の隅に積み上がっている本に気がついた。低い塔を三つほどつくっている本たちは、読むための本ではなく、記録のための冊子らしい。ちらりと大人たちの方をうかがった少女は、彼らが話しこんでいる隙に部屋の隅へ走った。

 おそるおそるてっぺんの一冊を手に取ったアナスタシアは、そのまま固まる。

 白い表紙には、『魔女のわざについての記録:一冊目』とそっけない文字で記されていた。その文字を目で追った少女は、冊子を開かず塔に戻す。


 一冊目。ということは、魔女のわざについて記した冊子は何冊もあるということだ。

 アナスタシアは、それが異常なことだとすぐに気づいた。近頃魔女に興味を持ち、いろいろと学んでいる彼女だからこそ、気づいた。


 魔女たちは、自分のわざを積極的に広めない。そして、人に技術を盗まれることを嫌う。自分たちの発明を横取りされたくないからだ、といわれている。そんな魔女たちが、ひとつならばともかくいくつも、自分のわざをスミーリ家の者たちに教えるだろうか。アナスタシアは疑問に思った。――いや、疑問に思っているふりをして、すでにこの時、彼女の中で答えは出ていただろう。

「魔女が他人に術を教えるわけがない。スミーリ家は魔女のわざを盗んだのだ」と。

 アナスタシアは、父の背後に隠れて、震えた。頭の中に、ヤーコフの、異様な遺体の影がよぎった。

 間違いない、彼が石になってしまったのは、父の命令で魔女のわざを盗もうとしたからだ。結果、魔女に感づかれ、怒りを買ったからだ!


 アナスタシアが長らく我が家に抱いてきた疑念が確信となったのは、このときである。

 そして、しくも、この一件以降にアナスタシアは、家業に関わることができるようになったのだ。家業というのはいうまでもなく、魔術の研究である。彼女は、スミーリ家の一員として熱心に働きつつも、時折人々に探りを入れ、釘を刺そうとしていた。事あるごとに、父や研究の責任者に、「魔女の技術を応用するのはやめましょう」というようなことを遠回しに言ったわけだ。当然、言われた方は不快になり、疑心も抱く。なぜこの娘は、こうも魔女のことに触れるのか。どこかでなにかを知ったのではないか、というふうに。

 そうしてしだいに父娘おやこの攻防が激しくなった。ヤロスラーフ公はアナスタシアを煙たがるようになっていったが、かといってすぐに家業から遠ざけることもできなかった。それだけ、彼の娘は熱心に働いていたのである。

 対するアナスタシアも、父や魔術師たちに文句を言うだけでは効果がないと気づきはじめていた。しかし、彼女はほかに手が打てなかった。スミーリ家の魔術研究の裏側――つまり、魔女のわざを不当に盗んでいたこと――を知っている人が少なすぎたからである。家の使用人たちはもちろん、魔術師でも末端の者は、その事実を知らなかった。だからと言って、本当のことを話しても、まったく信じてもらえなかった。父が情報漏えいを恐れて彼らを追放でもすれば、人々にも不信感は生まれただろうが、彼はアナスタシアが下々の者によけいなことを言ったと気づいても、その相手への態度を微塵も変えなかった。

 彼ほどたくみに自身の闇を隠せる人は、歴史をひもといてもそういない。その点、ヤロスラーフは間違いなく、傑物けつぶつであった。

 静かで苛烈な親子喧嘩は三年近く続いた。そして、アナスタシア十八歳の春、事は起きる。


 先年の秋から、エリザース帝国の大陸支配にほころびが生じていた。

 属州マナセル(現在のグランドル王国北岸地域の農村)の農民が、村にやってきた役人にそうを働き、処断されるという事件が起きた。それのみならまだしも、いきどおった農民の息子たちが、その役人に襲いかかったのである。結局、役人自身は軽いけがで済んだが、犯人は捕まらなかった。犯人が農民の息子というのはずっと後になって判明したことであり、当時は諸々の慌ただしさから事件の調査がきちんと行われず、うやむやになってしまった。

 事件そのものよりも、それのもたらした影響の方が深刻であった。この件をきっかけに、属州の民たちが各地で反乱を起こすようになったのである。それまで、高い税金や役人の横暴に耐えてきた人々が、不満を訴え、武器を手に立ちあがったのだ。本国の官吏や軍人は、その後、反乱の鎮定に追われることになり、状況は年を越し、北部地域で雪解けを迎えても、いっこうに好転しなかった。

 そんな折、ヤロスラーフ公をはじめとする魔術研究者たちにある話が持ちかけられた。兵器化できる魔術を開発する、というものだった。この話を持ちこんできた軍部高官の口調からして提案というより命令だったとアナスタシアに語ったのは、馴染みの魔術師イワンである。

 魔術師たちの中には乗り気な者もいたが、難色を示す者も多かった。アナスタシアはもちろん、今まで彼女の話を信じなかった人々もさすがに、それは我々の信条に反しているのではないか、と言い出したのである。


「アナスタシア様、今日もお館様のところへ行かれるのですか」

 アナスタシア嬢の着替えを手伝ったソーニャが、小首をかしげる。雪がちらつきつつも、やわらぎはじめた大地の下から緑が芽吹きはじめる、二月の下旬のことである。侍女に潜めた声で問われたご令嬢は、胸をはって、彼女をにらんだ。氷雪を思わせる瞳には、その輝きを溶かしてしまいそうな、強烈な炎が灯っている。

「もちろん。今回ばかりは、なんとしても、父上をお止めしなくてはならないもの」

「あまり無理をなさらないでくださいね。このソーニャも、できる範囲でお手伝いいたしますから」

 少女は、恭しく頭を下げる。アナスタシアは情感のこもった声で「ありがとう」とささやいた。ソーニャは、アナスタシアの数少ない理解者だ。あくまでも一介の侍女であるから大きなことに手出しはできないが、スミーリ家の現状もアナスタシアの思いも知ってくれている人がいるというだけで、彼女にとっては大事な支えとなっていた。

 家の裏側を知ってしまったことで、ソーニャがなにか危ない目に遭いはしないか――という心配は、あるのだが。

 ともかく、そうならないためにもアナスタシアは父を思いとどまらせねばならない、と決心していた。女子は貴族社会で強く出られないと理解してはいるつもりだったが、冷たい現実よりも熱い理想が、今の彼女を突き動かしていた。

 アナスタシアが頬を軽く叩いて気分を変えたとき。ひかえめに、扉が叩かれる。アナスタシアは、ソーニャに、目配せで扉を開けることを許した。ソーニャがすばやく扉を開くと、顔を出したのはじょがしらのふくよかな女性だった。

「お嬢様。お館様がお呼びです」

 思いがけない言葉に、アナスタシアとソーニャは、侍女頭の前だということを忘れて顔を見合わせた。


 呼ばれているなら好都合、こちらも話したいことがある。……と考えるほど、アナスタシアは物知らずではなかった。

 ヤロスラーフ公は、仕事のことで呼び出すのならば伝言のなかに添える。そうでないということは、仕事以外の用事でお呼び出しをくらったということだ。思い当たる節があるだけに、不安になったアナスタシアだが、だからと言って無視するわけにはいかない。好都合と考えないまでもいい機会だと言い聞かせて、父のもとへ向かうことにした。とはいえ、緊張は隠しきれない。部屋の前に立った瞬間、アナスタシアは全身をこわばらせた。木でできた扉が、魔物の巣窟へ続く門のように思えた。

 扉越しに名乗ると、「入りなさい」とくぐもった声が返ってくる。ご令嬢の予想に反し、ヤロスラーフ公の声は穏やかだった。部屋に入ってから見た彼の顔も、どこか機嫌がよさそうだった。最近つりあがってばかりだった目尻が穏やかに下がり、眉間にしわが寄っているわけでもない。優しい笑顔は、アナスタシアが望んでいたもののはずだったのに、彼女は息をのんでいた。彼の笑顔が恐ろしいもののように思えてしまうのは、家に対する不信感のせいか、女の勘のせいか。

 娘の内心など知らないヤロスラーフは、弾んだ声で朝の挨拶をした。貴族の婦女子らしくそれを受けとめたアナスタシアは、さりげなく、本題に入るよううながす。声に少しのとげが混じったのだけれど、機嫌のよい公はそれに気づかずうなずいた。

 アナスタシアは冷たい微笑のままに父の言葉を待っていた。しかし、次の瞬間、その冷徹は揺らいだ。

「かわいいナージャ。実は、おまえに縁談がきているんだ」

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