2 白翼、動く

 ガイ・ジェフリー大尉は、凄惨せいさんな光景を遠目に見て、思いっきり顔をしかめた。彼の隣、後ろでは、ついてきた隊士たちが血の気のない拳をにぎり、身震いしている。よくもまあ、こんな惨状を前にして感情をおさえられるものだと、ガイは我が部下ながらも感心していた。

 もとは、うっそうと茂る森だった眼下の大地。それが今は、裸の木ばかりをさらす荒れ地になり果てていた。ふだんであれば、あちらこちらから鳥の鳴き声が響いてくるものなのだが、今は、ぶきみに静まりかえっている。荒れ地をざっと見渡してみても、動物の影はなかった。あったとしても、大型の狼の死骸だったりした。双眼鏡をのぞきながら報告する若い魔術師は、すでに吐きそうだった。

 森が枯れたのも、静かなのも、冬だから、などという理由ではない。何十年とグランドル王国で暮らしてきた彼はそれがわかるだけに、実はかなり動揺していた。


「こりゃ、ひでえ。噂は本当だった、ってわけか」

 動揺をむりやり押さえ、舌打ちに変えて吐きだした大尉は、右隣にやってきた部下を振り返る。付き合いの長い曹長は、青ざめた顔をしつつも、仕事を忘れない程度には落ちついているらしい。

「どうだ、なにか感じるか?」

「きわめて精緻せいちな術の気配がありますな。王都の竜のときとは違い、おそらくひとつの巨大な方陣だと思われますが……それにしては魔力が、広く、薄い」

「――つまり」

「例の女が言ったとおり、少しずつ発動しているかもしれませぬ」

 ガイは、太い眉を寄せた。

「おいおい、そんな術、聞いたことねえぞ。王都の件といい、本当に何者なんだ、そいつは」

 曹長は、ゆるやかにかぶりを振った後、「お役に立てず面目ありませぬ」と頭を下げた。気にするな、というつもりで、壮年の大尉は手を振った。


 ルナティアのことは、王都の一件のあと、エレノア・ユーゼス隊長の口から全隊士に伝えられている。ちょうど、アレイシャが彼女の残した手がかりの正体について裏を取った段階であり、彼女が何者かまではわかっていなかった。今ごろはそろそろ、新しい情報が入っているかもしれない。考えて、彼は体ごと己の部下たちの方をにらみ、指示を出す。

 つれてきた部下のうちの数人をいったん王都へ帰らせて、残った者たちで近くの調査をすることにした。全体への通達が済むと、小隊ほどになるかならないか、という軍人の群は、足早にその場を去る。彼らがたどり着いた丘の上には、今はかろうじて緑が残っていて獣たちの気配もあるが、いつ魔術の影響が出るかもわからない。すばやく離れるに越したことはなかった。

 そして少し後、数人の騎兵が小さな町から王都へ向けて、慌ただしく出発した。



     ※



 同じ頃。王国東部の田舎町では、平和そのものの日々が続いていた。今日も朝からいちが開かれ、ご婦人や娘たちが新鮮な野菜や魚を手に入れようと押しかける。彼女たちは、出会うたびにお互いなにか一つは情報を交わしあうことを心がけていたが、この日、話題にのぼるのは遠く西での事件のことばかりだった。

「魔術師がなにかまずいことをしたらしいわね」

「生き物がみるみるうちに死んでしまう術、だったかしら。怖いわねえ」

 恐ろしい話に違いないのだけれど、彼女たちの口調はのんびりしたものだった。遠くの人々に対し、かわいそうに、と思いつつも、まあ私たちには関係ない、と思っているのだった。

 謎の女性が何やらまずいことをしでかした、という一報はこの町の人々の耳にも届いている。ただ、彼らはそれに対して、必要以上におびえなかった。自分たちによくないことが起きるわけでもないから、というのがひとつめの理由。もうひとつの理由は、この町にも魔術師がいるから、である。

 この町でなにかあればあの魔術師たちがどうにかしてくれるだろう。それに、あまり騒ぎすぎると彼らの評判を落とすことになる。だから、まあ、いつもどおりにふるまっていよう。町の人々としては、そういうふうに考えて大人しくしているのだった。


 そして、町の一角の酒場では、町民たちの無責任な期待に応えるような活動が、早くも始まりつつあった。

 朝市にまぎれこんで無事に新鮮な羊肉を手に入れた少年は、戦利品を抱えて酒場に駆けこんだ。酒場としては珍しく、朝早くから開いている。ただし、さすがに客はほとんどいなかった。店主は少年を見つけると一瞬目を丸くした。けれど、すぐに建物の奥を指さして、笑う。少年は快活に「ありがとう」と言うなり、奥へ走った。

 隠れ家のような席には、一人、男性が座っている。黒髪に蒼い瞳。色白の肌と、鋭い目尻。自分とよく似た特徴を持つ男性に、少年は声をかけた。男性は顔を上げ、少年の姿を認めると、口もとをほころばせる。

「これ、今日の戦利品」

「おお。やるな、ティル。今日は豪勢に羊料理か」

 男性は、たくましい肩を揺らして笑う。褒められたティル少年は、頬をそめて笑ったけれど、すぐにと表情をひきしめた。

「それより団長。なんか、北西の方で大変なことが起きてるみたいだよ」

「ああ――それは、俺も知っている」

 腕を振りまわしそうな勢いの少年とは対照的に、男性はどこまでも冷静だった。指で机の板を叩くと、それを滑らせた。羊皮紙を無造作にたぐりよせる。すでに文字が走っている紙の束に気づいたティルは、目を丸くした。

「え? それ、手紙か」

「ああ。すでに何通かを女性陣に預けてある」

「俺もそれを手伝えばいいの?」

「話が早くて助かるよ」

 男性は、腕を組んだ。この人はなにか悪だくみをしている、と、少年は気がついた。顔を突きだし、声を低める。

「俺たちが集団で王国の揉め事に首突っこむのって、はじめてじゃない」

「そうだな」と、男性はうなずいた。それから、今までより厳しい表情と強い口調で付け足した。

「だが、今回の件は、人種が違うとはいえ魔術師のやらかしたことだ。なら、俺たち魔術師が始末をつけるために動くべきだろう」

 少年は、力強く断言した男性の顔を見返す。一瞬後、心から嬉しそうに、歯を見せて笑った。



     ※



「いよいよ動いたか」

 エレノア・ユーゼスは苦り切った顔で呟いた。それを見ていた副官が「今にも爆発しそうな顔だ」という感想を抱いたが、彼はそれを口に出さなかったので、当然エレノア自身は知らないままである。

 彼女の手にあったのは、一通の書簡しょかん。つい先ほど、彼女らを悩ませる大騒動の中心地に行っていた、大尉の部下たちが持ってきたものである。いかにも大柄な大尉らしい豪快な文字でつづられた文章に目を通し、エレノアは、最後にそれを叩きつけるように置いた。ようやく、それまで壁際の置物と化していた副官が口を開く。

「隊長が以前話しておられた、怪しい女性ですか」

「ああ。ルナティアとやらで間違いない」

 断言したエレノアは、とび色の瞳を副官に向ける。いつでも姿勢を正しているコンラッド・フォスターが、真正面から切っ先に似た視線を受けた。そのとき、執務室の扉が叩かれる。隊士の声がはきはきと響く。エレノアは、堅い口調で入室をうながした。敬礼して入ってくるなり、男性の隊士は告げた。

「ユーゼス隊長! 国王陛下からご伝言をお預かりした、という陸軍の者が来ていますが」

「……やっとか」

 青ざめている隊士とは反対に、エレノアの唇は微笑の弧を描く。「すぐ行く、むこうにもそう伝えておいてくれ」と短く言った彼女は、その隊士が逃げるように部屋を出たあと、改めてコンラッドを見やる。

「フォスター副長、部隊編制の準備をしておいてくれ。あと、ロトの事情に詳しい奴を数人連れていく」

 コンラッドが、小さく首をかしげた。

「……ロト君ということは、ヴェローネルですか? 方陣ではなく」

「陛下は調査を我々にお命じになるだろうが、『今すぐ行ってどうにかしてこい』とまでは仰らないだろう。聡明なお方だ、一朝一夕でどうにかならない事態だ、ということはおわかりのはず」

 短い言葉とともに伸びをしたエレノアは、軍服の上着を整えて、執務机の隣に置きっぱなしだった帽子を手にする。そして――ガイ・ジェフリー大尉からのものではない、もう一通のを拾いあげ、コンラッドの方へさし出した。

「ならば今は、こちらが先だ」

 優秀な副長は、それを認めるとすぐに「了解」と敬礼をする。アレイシャ・リンフォードの名で届いた手紙が、ヴェローネルでいつも以上に大変な事件が起きたことを知らせるものだと、エレノアもコンラッドも知っていた。


 エレノアは国王からの使いとともに王宮へおもむき、大方の予想どおり『白翼の隊』への勅令ちょくれいを受けて帰ってきた。その内容は「くだんの方陣および謀反むほんにんの女について調査し、報告しろ」というものだった。国王も、この件が謎めいて、それでいて複雑な事柄だとわかっていたのだ。いきなり、謀反人を討て、とは言わなかった。自分が思っていたとおりの言葉をたまわったエレノアは、うやうやしく頭を下げて、国王直々の命令を受け入れた。


 彼女は戻るなり、コンラッドとともに、ヴェローネル行きに同行させる隊士を何人か選んだ。そして、翌朝早く、慌ただしく王都をつ。ちょうど、アニーたちがルナティアの「宣戦布告」のことを知った日であった。

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