終章

終わりの前に

 少女が、机に突っ伏している。横から伸びる金色の髪が、天板にこぼれて軽く波打っていた。向かい側に座るロトが、目をすがめ、少女の頭を小突く。しかし、彼女はうめき声をもらすばかりだ。首をひねったロトが、視線をそばの子どもたちへ向けた。無言の問いかけに答えたのは、彼女の幼馴染である。

「アニー、今朝までがんばって論文書いてたんだ。試験勉強と並行で」

「なるほど。それで死んでるわけか」

「ハリス先生の反応はよかったみたい」

「生けるしかばねになった甲斐があったな」

――頭の上でかわされる言葉を、アニーは眠気と戦いながら聞いていた。便利屋の青年がいろいろとひどいことを言ってくれているが、言いかえす気力も体力もなかった。試験終わったらおぼえてろよー、と心の中で軽く呪う。すでに、アニーの何十倍も恐ろしいであろう魔女から呪われている彼には、効かないかもしれないけれど。

 のろのろと頭を起こしたアニーは、それでも姿勢を正すまではいかず、顎を机に載せてうめく。

「もーやだあー。べんきょう、したくないー」

「言いたいことはわからんでもない。ま、好きにすればいいさ。留年してもいいならな」

「留年ー。りゅうねんは、もっとやだ」

「じゃあ勉強しろ」

「ううううー」

 堂々巡りである。アニーは大げさなため息をこぼすと、ようやく上半身を起こし、ペンを手に取る。

 そのとき。呼び鈴も鳴らさず、扉が開いた。ロトは特に驚いたふうでもなく振り返り、扉の隙間から顔を出す男へ、手を振る。

「もしかして、調べてきてくれたのか?」

 ロトの問いに、男は顔半分でうなずいた。

「ついでに、図書館から何冊か借りてきやしたぜ」

「わざわざか。そこまでしなくても、よかったのに」

「気にしないでくだせえよ。こちとら好きでやってるんで」

 男は、朗らかに笑う。ロトはしかたないとばかりに肩をすくめると、「じゃ、書斎に置いといてくれ」と、部屋の奥の扉を手で示した。男はうなずき、今度こそ便利屋に入ってくる。彼を見て、アニーは思わずペンを取り落としそうになった。荒れ地で賊まがいのことをしていた四人のうちの一人――ぼろぼろの剣を突きつけてきた彼が、そこにいた。男はアニーに気づくと、一瞬ひるんだようだったが、すぐに笑いかけてくる。そして、逃げるように書斎へ入っていった。

 扉の閉まる音がする。アニーはロトを見上げた。

「ねえ。今のって……遺跡で会った人」

「ああ。なんか知らんが、四人とも、『便利屋』の助手をするとか言いだしてな。駄賃ていどの給料しか出してやれねえが、買い出しとか情報収集とか、手広くやってくれる」

 悪くはない、と青年は頬杖をついた。子どもたちは仏頂面をまじまじと見る。帳面に向きあっていたクレマンが、何かを思い出したように顔をあげた。

「もしかして――にいちゃん、今までもこうやってじんみゃくけーせーしてきたのか?」

 慣れない言葉を使っての質問に、ロトはあからさまに顔をしかめた。

「まさか。こんなことばっかりしてたら、身がもたねえよ」

 吐き捨てるような物言いに、少年少女は苦笑する。なんのかの言いつつも、居場所のない四人に仕事と報酬を用意するあたり、彼は人がいいのだろう。温かい気持ちにひたっている彼らを、快活な音が引き戻した。ロトが、手を打ったのだ。

「ほら、おしゃべりはここまで。前回の続きいくぞ。今日は昼までしか見てやれねえからな」

「はい!」

「はーい」

 四人それぞれの返事をして、彼らは目の前の、用意された問題に向きあう。

 進級試験の日は、刻一刻と迫っている。それは同時に、戦いの始まりの時が迫っていることも意味していたが――彼らはまだ、知らないがゆえの平和な時間の中にいた。



     ※



 寮へ帰ってゆく少年少女を見送ってから、しばらく。涼やかに呼び鈴が鳴った。予定どおり、客を迎え入れたロトは、調査のことを『彼女』に報告する。少しぱさついた黒髪をすくった彼女は、もたらされた情報に顔をしかめた。

「どういうこと? エリザース帝国って、魔術はそれほど発展しなかったんじゃなかったっけ?」

「俺もそう思ってた。――今回のことが、帝国史全体をひっくり返すような大発見だったか、スミーリ家だけが魔術のわざを隠し持っていたのか。そのどちらかだろうな」

 ロトが言うと、彼女はとたん、嫌そうな顔になる。

「どうも臭うわね。ちょっと、調べてみましょうか」

「頼む。――ああ、それとマリオン」

 ロトは幼馴染の名を呼ぶと、あらかじめ用意していた紙束を突きだす。『ポルティエの魔女』は、怪訝けげんそうに首を傾けた。

「調べるついでに、探ってほしいことがある。おまえひとりじゃ難しいと思うから、こっそりエレノアに頼んでみてくれ」

「いいけど……何を?」

 マリオンが、紙束を手に取る。同時に、ロトは目を細めた。

「『破壊の女神』ルナーティエにまつわる名前。その女神が出てくる神話、民話から歴史上の人物の逸話まで、調べられるだけ調べてまとめておいた。それを――」

 ロトはそこで、あえて言葉を切る。見てみれば、紙束をめくったマリオンの瑠璃色の瞳には、すでに理解の色が浮かんでいた。察しのいい幼馴染は、文字で記されたわずかな情報と、ロトの少ない言葉だけで、見るべきところがわかったらしい。

「……了解。うまくあてはまる名前があるかわからないけど、エレノアに頼んでみる」

「ああ」

 見つかるとは限らない。見つかっても、同じ名前の人物が複数いるかもしれない。

 そして何より悪いことに――記録から抹消されている可能性も、ある。

 それでも、ここに賭けるしかなかった。

 ロトは、そしておそらく、マリオンやエレノアも。あえて目をそらしたり、途中で調査を投げ出したりする気はない。家紋の胸飾りが手がかりとして残されたのは、あの女性がなにかに気づいてほしいからだろう。そう、考えているから。

 マリオンが、静かに目を閉じた。

「ねえ、ロト」

 そのままに、問うてくる。

「もしもあんたの推測が当たっていたとして――信じられる?」

 ロトは、うなずくことも、首を振ることもしなかった。

「信じるしかないだろ。……少なくとも、それが真実だったとしたら、真正面から受け止められるのは、俺くらいしかいないだろうしな」

『魔女』を知る俺くらいしか。

 彼の最後の呟きは、形にならないまま、二人の間に沈んで、溶けた。


 足もとに漂う空気はずいぶん冷たい。

 冬のはじまり。グランドル暦二百四十年の終わりも、近づいてきていた。



(Ⅴ 帝国の遺産・終)

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