6 決死の覚悟

 マリオンは、闇の中で目を開けた。

 両足に力を込める。息を吸う。問題ない、あたしはここにいる。心のなかでそう言い聞かせると、闇が静かに遠のいた気がした。

 ルナティアと戦っていた、監獄塔の地下室。方陣は変わらず光っていて、石壁を薄気味悪い紫色に染めている。前に立つルナティアは、なぜか目をみはっていた。隣の二人を振りかえってみれば、不思議そうに自身の体をながめている。

「なんか……急にすっきりした」

 女性が、力の抜けた声で呟いた。男性も呆けたようにうなずいたが、彼はすぐに、天をあおいだ。「これは?」と呟きながら、何かを目で追っている。マリオンには、彼が何を見ているのかが、一瞬わからなかった。けれど、すぐに気づく。

 魔力が満ちていた。暴風のようなルナティアのそれとは別の、力の風が、渦を巻いている。マリオンは、しばらくその流れを追いかけて――立ちすくんだ。

 その大きさに、強さに気をとられていたが。感じるのは、馴染みのあるにおいだ。知っている音だ。覚えのある、色だ。

 黒衣のすそをにぎりしめる。見たくない。確かめるのが怖かった。なにかの間違いであってほしい――。だが、十八年もそばにいた者の魔力を間違えるはずがない。

 マリオンは、顔を上げた。振り返った。方陣のまんなかに、青年が膝をついている。背中が丸くなっていて、今までよりも弱々しい印象がある。だというのに、同時に、息苦しくなるほどの威圧感もおぼえた。そして、もうひとつ、明らかな違和感がある。

「ロト」

 いつもあるはずのものが、ない。両腕の腕輪は、地面に落ちて、方陣の外にはじき出されていた。暗がりのなか、緑の石がちかちかと光を弾いている。マリオンは、唇をかんだ。全身が、一気に、熱を帯びた。つかのま、状況を忘れて、幼馴染をにらむ。

「何してんの!」

 甲高い怒声は、音のなかった地下室に強く響いた。同胞の二人は飛び上がり、ルナティアでさえ眉をひそめた。けれども、当のロトだけは、まるで自宅で彼女を出迎えるときのように、穏やかに振り返った。

「……おまえなら、そういう反応をすると思ってたよ」

「言ってる場合か! あんた、自分が何したかわかってんの!?」

 ロトはまばたきひとつせず、羽ばたいている鴉を指さす。

「少しならそこの魔女殿が止めてくれるらしい」

「そういう問題じゃ――」

「だから」

 青年の声が、怒りの声をさえぎった。刃を向けられたかのように、マリオンは凍りつく。その視線の先で、深海色の瞳が、わらった。

「だから、その少しの間に、決着かたをつけてくれ。こっちも全力でやる。……頼んだぞ」

 口早に、言うだけ言って、ロトはマリオンに背を向けた。そこからは、手もと以外まったく動かなくなった。また方陣を解きにかかったのだろう。マリオンは肩を怒らせて、ため息をつく。

「こんなときに限って、むちゃくちゃ言ってくれるわね!」

 シェルバ人の二人が、気遣わしげな視線をくれる。その二人をすばやく見やったマリオンは、あえて不敵に笑ってみせた。

「二人とも!」

「はいっ」

 瑠璃色の瞳に、鋭い光がはしる。

「やるわ。力を貸して」

 二人は、黙りこんで、顔を見合わせた後、力強くうなずいた。同時、男性の方が手のひらほどの短剣を指で挟んで抜きはなち、振り向きざまに投げる。それは銀色の方陣にぶつかると、方陣を切り裂いた。火花が散って、銀色の図形が消えてゆく。その向こうには、冷たい目をした女性が立っていた。

「とはいえ、どうやってあれを止めるのー?」

 疲れをにじませて言ったのは、シェルバ人の女性だった。マリオンは眉間にしわを寄せて、黙る。次の光が生まれる前に、口を開いた。。

「……考えは、ある」

 ルナティアの方を一瞥してから、彼女は二人にささやいた。マリオンの「考え」を聞いた二人は、唖然とし、驚き、そして最後に呆れた。

「それは、なかなかすごい作戦だな……特攻みたいなもんじゃないか」

「マリオンもさー。幼馴染の無理無茶無謀を怒れないと思うよ」

 二人に冷やかな目で見られても、マリオンはそっぽを向いて鼻を鳴らすだけだった。時間のないこの場で、悠長に作戦会議などしていられない。くわえて、今の彼女は腹立ちのあまり、妙な方向にふっきれていた。

「あいつがその気なら、こっちも思いっきり無茶してやるわよ」

「はりあうところがおかしいよ」

 男性が目を細めて言ったが、二人ともそれ以上、マリオンを止めようとはしなかった。しかたがない、とばかりにほほ笑んで、軽くにぎった互いの拳をこつんと合わせた。

「ま、しかたがない。船団時代を思い出して、めいっぱいやろうか」

「おうともさ。私たちの腕の見せ所、だね」

 二人は言葉を交わすなり、反対方向に分かれて足早に歩き出す。マリオンも、二人の動きを目で追いながら、少しずつを進めた。


 ルナティアは、流れるように動く三人の影を追っていた。まるで狩りだわ――口のなかで呟いて、ほほ笑む。ヴァイシェル大陸の人々は、ほとんどが動物を狩って生活していると聞く。この監獄塔の地下にいる四人も、そうだったのだろう。その目つきはまさしく、獲物を狙う狩人だ。そうなるとルナティアは獲物になるわけだが、もちろん、黙って狩られる獲物ではない。

 風が吹く。激しくぜる赤い光を巻きこんで。そこから自然とまっかな炎が立ちのぼり、四方八方に舌をのばした。方陣なしの魔術、本来なら『五色の魔女』にしかできないようなことを、ルナティアは涼しい顔でやってのける。

 ただ、狩人たちもそのくらいのことは予想していた。三人は器用に炎を避け、ロトの方に飛びそうになった炎は別の魔術が打ち消した。火消しついでに前へ跳んだ女性が、ルナティアめがけて小剣をふるう。ルナティアは、軽く体をそらして避けた。すると、横から鋭い突きがきた。彼女は細い手をひと振りすると、魔術の刃をもうひと振りの小剣にぶつけた。澄んだ音が響くと同時、小剣を手にした男性が飛び下がる。彼の顔の右半分が金色に染まり、細い光が流星のように注いだ。ルナティアはすぐに、魔術の半球で自分を覆い、光をすべて打ち消した。半球が消えたときを見計らって、剣を手にした男女が飛びかかってくる。


 しばらくの間、同じようなことが続いた。けれども、三人の連携は決して単純ではなかったから、ルナティアにも彼らの動きを読むことができなかった。しだいに、いらだちが募る。不快な熱が胸のうちで煮え立った。一方で、冷静に疑問を抱いてもいた。

 三人は、あくまでもルナティアを戸惑わせようとしているように見える。本気で攻撃しにこないのだ。いったい、なにを考えているのか。

 冷たい瞳が、さらに冷えた。淡々と術を放ちながらも、ルナティアは三人の様子を観察した。武器を手にして前に出てくる二人。そして、後ろで術を使う一人。ルナティアもよく知る彼女は、何かをうかがうように、あるいは待つように、鋭い目で彼女を見ていた。

 あの娘が、何かをしようとしている。色のない魔女は、口の端に力をこめた。

「――なら、その前に潰すだけよ」

 低くささやいた彼女は、壁を蹴って飛びかかろうとしていた男性めがけて、つぶてを飛ばした。「危ない!」甲高い声にうながされて、彼は慌てて地面を転がり、術を避ける。その隙に、ルナティアは後ろの魔術師、つまりマリオンめがけて走りだしていた。吹き荒れる魔力を自分の前に集める。血走った目が、若い娘をにらんだ。

「そこまでよ」

 うなるように、それでいて怒鳴るように吐き捨てたルナティアは、足を止めないまま、魔力を相手にぶつけようとした。マリオンは青ざめたものの、動こうとしなかった。ルナティアは、勝った、と思った。これだけ近い距離なら、壁を張っても防ぎきれないはずだ。熱くなっていたルナティアは、そのおかしさに気づかなかった。

 彼女が右腕をひき、突きだそうとする。風切り音に、冷静なひと声が重なった。

「今だ!」

 ルナティアの後ろでなにかが光った。マリオンの手もとにも、単純な方陣が現れて、散った。白いしぶきは半透明の壁に変わって、まがまがしい銀色の渦をとどめた。

 ルナティアは、嘲笑った。受けとめ切れるわけがない、と。

 けれど、彼女の予想に反し、壁はかたかった。

 彼女は、そこでようやく、自分の背中を包んだ光の意味に気がついた。はっとして振り向くと、シェルバ人の男女が、一人ひとつずつ、まったく同じ「壁」の方陣を散らした後だった。

 一枚ではもろい壁。だが、同じものを二枚、三枚と重ねればどうなるか。ようやく若者たちの意図に気づいたルナティアは、卑怯とののしるひまもなく、魔力を消そうとした。けれど、大きすぎる魔力は、もはや彼女の言うことも聞かず、荒れ狂っていた。跳ね返された銀色の光は、そのままルナティアの目を焼く。

 銀の光が弾けたあとに、人のものとは思えない叫びが響き渡った。


 ルナティアをのみこんだ銀の嵐は、おさまるどころか激しくなって、マリオンたちの体に叩きつけた。吹き飛ばされたマリオンは、とっさに背中を丸め、かたい地面を手のひらで叩く。数年ぶりの受け身だが、体は意外と覚えていたらしい。マリオンは、上半身を起こして顔を覆うと、同胞に向けて怒鳴った。

「早く、次の壁張って! つぶれる!」

「ちょ、ま、手が動かない……」

 女性の情けない声を聞き、マリオンはぎょっとする。

「準備しておいてって言ったじゃない!」

 らしくもなく、わめき散らしてしまった。けれど、いくらわめいたところで暴走した魔力はおさまらない。こうなったら、できるだけかがんでやり過ごすしかない――腹をくくったマリオンは、頭を抱えてうずくまる。

 直後、急に風がやんだ。息苦しさもなくなって、苦い空気がすっと鼻を抜けてゆく。

「え……?」おそるおそる、顔を上げたマリオンは、絶句した。きらきらと輝く壁が、銀の風をみるみるうちに打ち消している。しかも、その壁は、。驚きすぎて言葉が出ないマリオンは、やかましい羽音を聞いて飛びあがる。

『詰めが甘いね』

 笑い含みの言葉に、マリオンが視線を巡らせると、いつの間にか赤い目の鴉がそばにいた。両目を中心に、全身が黒とも紫ともつかない色に光っている。

「これ、ワーテルがやったの?」

『ああそうだよ。感謝してほしいものだ』

 芝居がかった口調で言って、鴉は地上を見おろした。シェルバ人の二人も、大きく口を開けて、鴉を見上げている。

「鴉の体を借りていて、これ……?」

「魔女、やばい」

 さすがに驚きと恐れを隠しきれない。人々が、あっけにとられている間にも、銀色の光が薄らいで、地下の闇が戻ってくる。ワーテルは疲れた様子もなく、羽ばたいて壁を消した。その先で、影がゆらりと立ち上がったのに気づいて、三人が目をむいた。

「ま、まだやる気!?」

『待ちな。構える必要はないよ』

 身構えようとした若者たちを、ワーテルが鋭くとどめた。鴉を見上げていたマリオンは、その視線がルナティアの方を向いているのに気づき、自分もそれを追いかける。

 銀髪を地面にたらしてうつむく女性。そのまわりでは、白銀色の火花が散っている。先ほどのような凶暴さも、今まで見てきたような余裕も、感じられなかった。ひどい変わりようだった。まるで、二百年の時に流され、一気に年を取ったかのような。

 ワーテルも、同じことを思ったのかもしれない。珍しく、あわれむように、目を細めた。

『――ありゃ、もう、ながくない』

 しわがれた呟きが消える前に、硝子がらすが割れるような音がした。



     ※



 少し、時をさかのぼる。

 地下室でマリオンたちが、方陣の完成が近いと気づいた頃。地上で真っ先におかしいと気づいたのは、『白翼の隊』の人々だった。解析班と魔物の討伐隊を指揮していたコンラッドは、くっと顎を持ちあげ、それから眉をひそめる。

「まずいな」

 誰にも聞こえない声で呟いた彼は、あたりを見回す。魔術師のなかにはすでに、膝をついている人やうずくまっている人がいた。状況を確かめたコンラッドは、全体に届くよう、腹に力を入れて叫んだ。

「解析班、撤退! 動ける人は重傷者を連れてセオドア殿のところまで戻れ!」

 すぐにこたえる声があり、軍人たちがばたばたと動きはじめる。コンラッドは、たまたまそばに来ていたアルヴィドを捕まえると、同じように、撤退を命じた。アルヴィドはしぶい顔をしつつも、船団の青年に伝言を頼んだようだった。一瞬、鳥の影をあおぎ見た彼は、ほろ苦い微笑を浮かべて、コンラッドを振りかえる。

「撤退は問題ないだろう。魔物たちは勝手にばたばた倒れはじめてるからな」

「やはりですか」

「ああ。背後から襲われないのはありがてえよ」

 シェルバ人を束ねる男性は、冗談めかしてそう言った。しかし、当然、コンラッドは笑うことができなかった。


 一方、石の鳥と戦っていた人々も、変化を感じはじめていた。クレマンは、隣のエルフリーデがつらそうにしているのを見て、弓をひく手を止めた。目に入ったのは、彼女の顔ではなく、黒髪とつむじだった。

「エルフリーデ、大丈夫か?」

「う、うん。ごめん。平気よ」

 エルフリーデは、慌てたように顔を上げて、答えた。ほほ笑む彼女に対して、クレマンは顔をしかめる。――どこからどう見ても、平気ではなかった。走ったわけでもないのに息があがっていて、唇が紫色になっている。白い額には汗がにじんで、よく見ると手足も震えていた。そのまま鳥の方を向こうとする少女を慌てて呼びとめる。

「なあ、おい、何が」

「ここまでだ!」

 勢いづいた少年の質問は、男性の声にさえぎられた。ジェフリー大尉だった。いつになく怖い顔をした彼は、自分の部下に指示を飛ばしている。それはほとんど、どなっているように見えた。

「魔力の少ない奴、いくさ慣れしてねえ奴は下がれ! 早く!」

 クレマンはぽかんとした後、エルフリーデを振りかえった。「戦慣れして」いない人には、間違いなく、自分たちも含まれている。彼は、ためらっている少女の細い腕をひいた。けれど、そのとき、「だめだ!」と、エレノアの声が響いた。それはすぐ、甲高い音に打ち消された。

 それが鳥の悲鳴だと、クレマンにはわからなかった。フェイがそのようなことを叫んだから、そうと知っただけだった。あせって空を見上げれば、鳥がぎゃあぎゃあと鳴きながら、暴れまわっているところだった。鳥のまわりで魔力の雷光が爆ぜて、それはそのまま彼らの方へ降ってくる。

「げっ」

 クレマンは、飛び跳ねるようにして逃げた。弓とエルフリーデの手を離さなかったのは、奇跡としかいいようがない。クレマンが走り出したと同時、背後で大きな音がして、こげくさい風が吹きつけた。

 鳥を振りかえる。なにかにおびえているような感じがした。あるいは、自暴自棄になっているような。どうして豹変したのだろう。クレマンは首をひねったが、すぐに理由がわかった。突然、がくりと、膝から力が抜けたのだ。

「え……?」

 何が起こったかわからなかった。――いや、本当は、わかっていた。理解したくなかった。

 胸がきゅうっとまる気がする。むりやり息を吸った少年は、遠くの細長い塔を振り仰いだ。

「嘘だろ、間に合わなかったのか……?」

 方陣が完成しつつある。じきに、誰も動けなくなるだろう。なのに、石の鳥は今もなお、暴れつづけている。空の上で、バチバチと魔力の弾ける音がした。光が瞳に映りこむ。せめて『あいつ』がいればどうにかなっただろうか、そう考えている自分に気づき、クレマンはかぶりを振った。情けない。思っていても、言葉はおさえきれなかった。

「まだ終わんねえのかよ、アニー……」

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