2 馬車に揺られて
そして時間が過ぎ、出発の日がやってきた。少年少女は荷物を抱えて、片や意気揚々と、片や縮こまりながら馬車乗り場へと足を運ぶ。アニーの見立てどおり、外泊許可は驚くほどあっさりと下りた。学院の大人には最初こそ渋い顔をされたものの、大人が一緒だと説明したとたん、渋面もやわらいだ。
街の南門の先にある馬車乗り場は、決して立派なものではない。土を固めただけの道に、とりあえず看板を立てて小さな屋根をつけた程度のものである。それでも雨風をしのげるぶん、あたりの小さな町村よりはずっとまともだった。今日の空はからりと晴れているので、そんな利点もいかされていないが。
アニーとフェイは、ぽつぽつと立つ人の中に、青年の姿を見つけて駆け寄った。ロトさん、と、フェイが控えめに名前を呼ぶと、彼は静かに振りむいた。
「よう、ちゃんと間に合ったな」
「うん。よろしくね」
アニーがにこにこ顔でそう言うと、ロトは肩をすくめる。ああともいやともつかない返事をしたあと、正面に向き直った。アニーもフェイも、自然と彼の隣に立つ。
「そういえば、知り合いの魔術師に会ってどうするの?」
アニーは首をかしげて聞いた。するとロトが、少し考えたあと、手ぶりで二人を呼びよせる。そして、上着のそでをちらとめくってみせた。「これを見てもらうんだよ」という短い説明とともに示されたのは、繊細な印象を与える銀色の腕輪。その意味をくみとって、子どもたちは目をみはった。アニーは勢いをつけて話を続けようとしたのだが、彼女が出した声は、遠くから響いてきた馬蹄と車輪の音にかき消される。
「来たな」
ロトは、話が中断したことになんの感情も見せず、言った。彼の視線につられて道のむこうを見ると、大きな馬車がぐんぐんと近づいてくる。車は地味な木製で、かなり古いもののようだ。が、このあたりではあたりまえのことである。三人とも嫌な顔はしない。
馬車が乗り場の脇につけられると、そこにいた身なりのよい人々が、ぱらぱらと乗ってゆく。三人もそれにならって乗りこんで、深く考えずに、窓際に詰めて座った。乗客は十人にも満たないが、同時にそれはこの馬車に乗ることができるせいいっぱいの人数でもあった。自然、小さな箱に押しこまれたような具合になる。たちまち車内に熱がこもり、アニーは顔をしかめたが、誰もかれもが当然のような顔をしているので、出かかった文句をのみこんだ。
馬車が大きく揺れながら動き出した。おお、とフェイが声を上げる。アニーも、窓の方へ身を乗り出した。
「わー……。馬車なんて乗るの、入学のとき以来かも」
彼女の呟きに反応し、ロトが身じろぎする。
「ということは、おまえ、一度も里帰りしてないのか」
「え? うん、そうだよ」
「……そうか」
ロトは若干目を細めたものの、平たんな声で返事をして顔をそらした。彼の反応にアニーは首をかしげる。学院には、入学以来一度も故郷に帰っていないという人がアニーたちに限らずいる。「卒業するまで戻るなといわれている」「そもそも遠すぎて帰れない」というふたつの理由が、大部分をしめている。アニーとフェイは、後者だった。
「ヴェローネル学院って、今でも貴族の子が結構いるけど、あれはあれで大変そうだよね」
帰郷に思いをはせていたアニーは、前者の理由を思いだしたことで、そんな呟きをこぼした。フェイが、少し驚きつつも、応じる。
「そうだね。家を継ぐまでの社会勉強だ、っていう人もいるし。そういう人は、なんというか、誇り高い感じがあって、そのせいでほかの子との折り合いが悪いこともあるみたいだけど」
「ふーん。この国の王侯貴族に興味はないけど、いろいろいるんだな」
ロトが横からそっけない言葉を投げてきた。アニーとフェイは顔を見合わせ、ロトの顔をじっと見る。出会ってから今まで、彼の出身地を聞いていなかったことを思い出したのだ。――顔立ちは、明らかにグランドル人のものとは違う。細くて高い鼻と、すっと鋭い目、色白の肌は、外国人の少ないヴェローネルではかなり浮いているとアニーは思う。以前、先生に聞いてみたところ、「北の方の人なんじゃないかな」という答えが返ってきた。曖昧すぎてアニーにはよくわからなかった。
「……俺の顔に何かついてるか?」
不機嫌そうな声に頬を叩かれ、アニーは目ざめた。ロトが不審がる視線を向けてきている。彼の顔をじっと見つめていたことに気づいた彼女は、慌てて「ごめん、なんでもない!」と言ってそっぽを向いた。
それからは、ぽつぽつと学院のことやロトの仕事の話を交換しながら過ごしていた。時間が経って、車内の詰め込み状態にアニーが慣れてきた頃、彼女の向かい側から声がかかる。
「あの……ひょっとして、学生さん、ですか?」
とぎれがちで、控えめな少女の声だ。アニーは目をまたたいて自分の向かいを見た。はじめて、同年代の少女がいたことに気づく。漆黒の長髪と白い肌。双眸は深い紫色で、まわりの目から逃れるように伏せられている。飾り気のない、生成りの長衣は膝の下まであって、そこから細い足がすらりとのびていた。声の印象どおりの、儚げな美少女だった。
アニーが目を丸くしている横で、フェイが息をのむ。その理由はアニーにもなんとなくわかった。彼女のまわりだけ、空気が澄んではりつめている感じがあるのだ。どうして今まで気づかなかったのか、と不思議になる。
少しの沈黙のあと、少女が上目づかいで見てきた。放心していたアニーは、隣のロトに小突かれて我に返る。
「え、ええっと! そう、そうなのよ! ヴェローネルの学生!」
「わあ……」
少女の大きな目が、さらに大きく見開かれる。瞳の奥には強い憧れが見てとれて、そのまぶしさにアニーはたじろいだ。
「わたしも、今度、ヴェローネルの学校に編入する予定なんです。あ、あんまりうまくいく自信がないんですけど」
「あ、そうなの?」
続いた言葉にアニーもフェイも目をみはる。不思議なことに、急に親近感がわいてきた。「よかったら、お話、聞かせてください」とほほえむ少女に、二人とも笑みを返した。
「うん、いいよ。――あ、私はアニー。それでこっちがフェイ」
アニーは自分とフェイを示してひと息に名乗ってしまった。フェイは縮こまりながらも、よろしく、と言う。それを聞き、少女は戸惑った様子を見せたが、最後には花のようなほほえみを浮かべた。
「わたし、エルフリーデ……エルフリーデ・スベンです。よ、よろしくお願いします」
こうしてアニーたちは、馬車の中で新しい友達をつくった。
不思議な雰囲気をまとい、また少々引っ込み思案でもあるらしいエルフリーデ・スベンは、けれど、話をしているうちに彼らと打ち解けはじめていた。ロトの方を見るときには緊張した様子がまだあるだが、相手が背の高い男の人だからだろうと、アニーは結論付けていた。
「ところでエルフリーデは、これからどこに行くの?」
アニーが身を乗り出し、小声で問う。エルフリーデはためらうように唇を動かしたあと、答えた。
「ポルティエに」
彼女の口から出た名前に、三人ともが目をみはる。「もしかして、行き先が同じ?」との問いに子どもたちがうなずくと、エルフリーデもびっくりしたようだった。
「実は、親戚の人がポルティエに住んでるんだ。ちょっと、そこへ荷物をとりに」
「へえ、それで、一人で馬車に乗って行くの? すごいなー」
「うん。街を出るといっても、隣町だからね。ポルティエに続く街道は、安全だって有名だし」
アニーの無邪気な称賛に、エルフリーデは照れくさそうにほほえんだ。けれど、彼女はふいに目を伏せた。長いまつ毛が紫色の瞳に影を落とす。
「でも……最近は怖い話も多いから、不安だったの」
アニーとフェイは首をかしげる。一方、それまで窓の外をぼんやりながめていたロトが、あくびをこらえるような表情で少女を見た。
「ああ、あれだろ。『黒い盗賊』が出るとか、商人や馬車が道の途中で行方不明になるとか」
「そうです。そうなんです。だから皆さんとお話できて、ほっとしているんです」
エルフリーデはこくこくとうなずいた。緊張のせいか顔はこわばっているが、その言葉じたいからは、嘘の響きが感じられない。アニーは首をかしげてから、納得した顔で手を打つ。『黒い盗賊』、そんな言葉をヴェローネルの学生が持ち出していたことを、思い出したのだ。それ以前にもぽつぽつと噂を聞いた気はするが、アニーはあまりよく覚えていない。せいぜい、怖い人がいるな、という程度の認識だった。それよりも、アニーが気にしたのは、もうひとつの話だ。
「ねえ、馬車や人が行方不明になる、ってどういうこと?」
身を乗り出して問うと、エルフリーデは考えこむそぶりをし、ロトは「ああ……」と疲れたような声をこぼす。
「嘘か本当かわからない噂なんだけどな。ヴェローネルとポルティエを繋ぐ道の途中で、言葉どおり、馬車や人が突然消えるっていうんだよ。目撃した奴も、『溶けるように消えた』って訴えてるらしい。ずいぶん後になって帰ってくる事例もあったっていうが、たいていの奴はかなりやつれてひどい有様だったって」
アニーとフェイは身を寄せ合ってぶるりと震える。「何それ、怪談?」とアニーがこぼすと、ロトは口の端をつりあげてかぶりを振る。「かもな。怪談じゃなければ、神隠しか」などと、あっけらかんと言ってのけるものだから、子どもたちはさらに怖くなって引きつった声をもらした。話を知っているはずのエルフリーデも縮こまっている。
「ど、どうしようアニー。ぼくら、行方不明者の仲間入りしたりしないよね」
「ゆ、ゆくえふめい……。そうなったら、だれも助けてくれないよ……人数が多いぶん、心強いのが救いかな」
「怖いこと言わないでよ! エルフリーデまで!」
ぎゃあぎゃあと――一応、乗合馬車の中なので声は限界までおさえてあるけれど――騒ぎあう子どもたち。
涙目になる三人をロトがながめている。退屈そうな彼の肩を白い手が叩いた。彼が嫌いなものを目の前に出されたように、きつく顔をしかめたのを、アニーは目の端にとらえて違和感を抱く。視線をずらすと、ロトの肩をたたいた人物が見えた。銀髪の、若そうな女性だった。女性は、ロトがしかめっ面をやめて振り返ると、不安そうにささやく。
「あの……。なんだか、景色がおかしいと思いませんこと? 私だけかしら」
「おかしい?」
ロトは微妙に揺らぐ声で彼女の言葉を繰り返し、小さな窓の向こうに目をやる。会話を聞いたアニーたちも、つられて視線を追いかけた。小川のように流れてゆく景色をしばしながめて、その途中、アニーとロトがまっさきに「おかしい」ことに気づいた。ロトがおいおい、と苦り切った声を出すそばで、アニーは身を乗り出し、目をこすって窓の外を見る。
「アニー、どうかした?」
「いや……。フェイもエルフリーデも見てみてよ。変だと思わない?」
フェイの問いかけにうわの空で答えたアニーは、なおも窓の外を見続ける。そうしているうちに、だんだん寒気がしてきた。
並ぶ木々と、何かの残骸のようにも見える、重なった岩。道の脇に生える草花。平和な光景だが、じっと見つめているうちに、気付くはずだ。同じ風景が、何度も繰り返されていることに。目を細めるアニーの隣から、フェイの震え声が聞こえてきた。
「どういうこと? 景色が……変わって、ない……?」
振り返ったアニーが見た少年は、今にも泣きそうだった。今回ばかりはアニーも茶化さない。泣きたいのは、彼女も同じだったからだ。彼女が顔をくしゃりと歪め、不安を口に出そうとした次の瞬間、がたん、という音とともに、馬車が激しく揺れた。
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