第三章 絆のかたち

1 小さな勇気

 だるそうに起きあがった『彼』は、ほかの個体より、ふたまわりほど大きかった。毛並みも顔つきも、まぶしさに目をやられた狼たちに、とてもよく似ている。ただ、『彼』は、アニーにもわかるほど不気味な気配をまとっていた。

――魔物だ。それも、かつて出会った守護獣に匹敵するくらい、強力な。

「ひょっとして、『幽霊』って言われてたうなり声や揺れって、全部この狼たちのせいだったんじゃ……」

 口を開けて固まっていたフェイが、場違いにも冷静な分析をしている。「そうでしょうよ」と投げやりに返したアニーは、クレマンの背後で静止している狼をじっと見た。驚きはしたが、恐怖はない。白銀のに出会ったときの方が、よほど怖かった。

 狼は、しばらく静かに人々を睥睨へいげいしていた。けれど、倒れ伏すほかの狼と、漂う魔力に気づいた瞬間、耳と尻尾をぴん、と立てる。噛みあわせた牙の隙間から低いうなり声をもらし、やがて、吠えた。

 天井を揺らし、空気をしびれさせるほどの声がとどろく。子どもたちは、悲鳴をあげ、反射的に耳をふさいだ。うずくまりそうになったアニーのそばに、木片やくずがばらばらと落ちてくる。見えない力に押され、全身がおかしくなりそうだった。

 咆哮は、間もなくやんだ。けれど、安心しているひまはなかった。狼はすぐに、うるる、とうなると、アニーたちの方へ跳んできたのだ。アニーは迷わず剣を抜き、ぼうっとしているクレマンの腕を左手でつかんで、放り投げるくらいの勢いで下がらせる。噛みつこうとしてきた狼めがけて、剣を一閃させた。狼はすぐに飛びさがって、背中を丸めて警戒する。

 今まででもっとも激しいうなり声がした。アニーが狼とにらみあっていると、後ろからうろたえるフェイの声がした。

「ちょ、刺激してどうするの! こんな狭い所で戦う気!?」

「先に襲ってきたのはむこうだし。クレマンの『やらなきゃやられる』に、今だけ同意!」

「何かあったらどうするんだ!」

 今にも泣きそうなフェイの声。アニーは黙って聞いていた。が、聞き入れる気はなかった。議論のひますら与えず、大きな魔物の影からひとまわり小柄な狼たちが飛び出してくる。アニーは、そのうちの一頭の足めがけて、剣を突きだした。刃は右前脚に突き刺さり、甲高い声を上げた狼は、床に激しく体を打ちつけた。

 確かな怒りが、魔物たちの間で立ちあがった。アニーはぎゅっと目を細め、後ろの二人は身を寄せ合う。そして――残る一人の少年は、アニーの隣で剣を構えた。

「クレマン」

「俺にもやらせろ。役立たずはごめんだ」

「へえ。珍しくかっこいいじゃん」

 アニーが軽口を叩くと、クレマンはふんっと鼻を鳴らす。狼が激しく吠えはじめたとき、アニーはそれに負けない大声で叫んだ。

「フェイ、エルフィー! なんとかしてこいつらの気を引いて!」

「え、気を引いてって……」

「私だって、何もなしにこいつらと戦って勝てるなんて思ってないよ」

 困惑しつつ呟いたエルフリーデへ、アニーはささやきを投げる。彼女とフェイは、はっと息をのみ、「わかった」と言葉を続けた。アニーとクレマンは一瞬だけ目を合わせると、襲ってくる狼に向きあった。

 一番大きな親玉狼が吠えると、灰色の魔物たちは一斉に牙をむく。『彼』が群に命令しているのは、間違いなさそうだった。振りかざされる爪の一撃を、半身になってかわしたアニーは、そのまま振られた脚を斬り裂いた。手に伝わる骨の砕ける感覚に、唇をかんで耐えた彼女は、返す刃でもう一頭を斬って落とした。かたわらではクレマンが、自分をすり抜けてフェイたちの方へ行こうとしていた狼を、がむしゃらに切り捨てたところだった。

 息を荒げて、肩を上下させている少年は、青い顔でアニーを振り返る。

「お、おまえ……なんでそんなに戦い慣れてるんだよ……」

「え? 二か月前の特別課題のときに、魔物なんていっぱい倒したから」

 言い終わりに、彼女は、足にひっかかった石を蹴り上げる。不幸にも跳ぶ石の道筋にいた狼が、左目に一撃をくらって悲鳴をあげた。クレマンは、アニーが言っているのが、春先の一件のことだと気づいたらしく、目を丸くしている。

「悪いことばっかりじゃないよ、『お仕置き』も」

 アニーがにっと笑ってみせると、クレマンはやりにくそうに目を細めた。

 アニーは気を取り直して狼の群れへ剣を向けたが――すぐに、凍りついた。

「まずい」

「は?」

 少女の平たんな声に、クレマンが反応する。二人は同じ場所を見た。小柄な狼たち数頭は、背中を丸めて止まっている。彼らの後ろにいる巨大な魔物もまた、その場にいる。けれど、大きな体のまわりには、白から蒼へ、蒼から緑へうつろう、奇妙な光が舞っていた。

「なんだ、あれ」

「――クレマン、逃げる準備」

 アニーは言うなり、剣をいったん鞘に収める。呆然としている少年を、彼女は横目で見た。

「魔物が本気出す。避けないと死ぬよ」

 色のうつろう光が、狼の体の中心に向かって集まりだしたのは、少女の静かな警告のすぐあとだった。



     ※

     

     

「気を引くって言っても……何がいいんだろう」

 フェイは途方に暮れていた。積み上がる木箱の前で、腕を組んで考えこむ。少しの間、うなっていたが、ややあって木箱のふたに手をかけた。最初にふたをあけた箱は、からっぽだった。

「また、さっきの石が出てこないかな」

「ないと思うよ……あれ、貴重だし。それに、さっきと同じことをやっても意味がないわ」

 ふたを持ちあげ、フェイに手渡したエルフリーデが、そんなふうに言った。魔術師の卵の言葉に、フェイは「だよねえ」とかぶりを振る。ほんのわずか、考えこんでから、また木箱をあける作業に入った。いろいろなものが入っていたり、何も入っていなかったりするが、どれも魔物の気をそらせそうにはない。

 フェイが五つ目のふたに手をかけようとしたとき。エルフリーデが、ぴくんと震えて、固まった。

「エルフリーデ?」

 少女の名前を呼んだ少年も、違和感に気づいて息をのむ。アニーたちが戦っている方に目を向けた。そして、巨大な狼のまわりでちろちろと舞う、色のうつろう光を見た。色彩こそ違うけれど、その光におぼえのあったフェイは、ぎょっとして腰を浮かす。

「あ、あれって――」

 フェイが言葉を続けようとする前に、狼の中心に向かって光が集まってゆく。すさまじい勢いで集束した光は、巨大なひとつの玉となって、人間たちの方に撃ち出された。

 一瞬の光。一拍の間をおいて、轟音と震動が襲いかかる。

 地面はぐらぐらとかきまわされ、天井からくずと木片が降り注ぐ。熱をまとった風が吹き荒れた。

 フェイはとっさに頭を抱え、うずくまっていた。震動がおさまると、隣のエルフリーデを見やる。彼女も背中を丸めてそこにいた。無事を確かめたフェイは、埃っぽい空気の中、服をつまんで鼻と口を覆う。

「フェイ、そっち大丈夫?」

 薄い煙のむこうから、快活な少女の声がした。うん、と言葉を返しながら、フェイは胸をなでおろす。

「二人とも無事。そっちは?」

「平気平気。あ、でも、床が平気じゃないわ。あと天井」

「それって……」

 どういうこと、と訊こうとしていたフェイは、煙のむこうの惨状に口をつぐんだ。地下室の床板はばりばりに割れてしまって、ところどころ焦げている。天井をあおげば、今もなお、木のかけらが、ぱらりとはがれおちていた。

 今はまだ、なんとかもとの形を保っている。けれどこれでは、天井が崩れ落ちてくるのも時間の問題だろう。

「ええっと……生き埋めまっしぐら?」

「だからそういう怖いことをさらりと言わない」

 顔をあげたエルフリーデの言葉に、フェイは眉をひそめる。けれど、今は、彼女の言葉に怖がっている場合ではなかった。このままでは本当に、生き埋めになってしまうかもしれないのだ。フェイは慌てて箱にすがりつく。その間にも、エルフリーデが悲鳴を上げた。

「いけない!」

 目の端に、ちらりと舞う赤い光が見える。親玉狼は、手を抜くのをやめたらしい。

 しかし、今度は、エルフリーデ・スベンが黙っていなかった。巨大な魔物が硬直し、舞う光がその口腔こうこうに吸い込まれ、魔力に恐れる様子のない子分をアニーたちが相手にしている間、彼女は、桃色の光をまとった指を、つい、と虚空にすべらせていた。ゆっくりとできあがる光の図形に気づいて、フェイは目をみはる。

「エルフリーデ、それって」

「うまくいくかはわからないけど。――何もしないより、まし」

 かすかな笑みを浮かべて呟いた少女は、小さな輪を指で弾くと、簡素な方陣を完成させる。フェイはその図形に、見覚えがあった。

 魔物の口から光が放たれる。帯状になった光は、再びアニーたちに狙いを定めた。二人が光をかわそうと駆けだしたとき、彼らの前に薄い壁が立ちはだかり、光を弾いて打ち消してゆく。ふたつの魔力はぶつかって震え、やがてお互いに砕け散った。

 硝子の破片のように舞う、桃色の光を見て、エルフリーデが安堵の息をもらした。

「で、できた」

 泣きだしそうなエルフリーデの声に、フェイも口をほころばせる。むこうからも、「すごい!」とアニーたちの喝さいが聞こえてくる。

 彼が、休むことなく九つめの箱に手をかけたとき、その隙間から、ぷうんと異臭が漂ってきた。わずかに顔をしかめたフェイは、思いっきり息を吸ってとめたあと、箱を開けた。入っていたのは、くすんだ分厚い袋の数々だった。口を麻のひもで縛られたそれらは、重みでくたりとしている。一番小さい袋を手にしたフェイは、軽く左右に振ってみた。

 乾いた音と、くしゃみの出そうな臭いに、彼は袋の中身の正体を察した。

「――あ。これなら、いけるかも」

 彼は、誰にも聞こえないような声で呟いた。

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