袴田教授の依頼⑬


 車内に充満する重苦しい沈黙に耐えかねて都市部を抜けたあたりでかなめは青木に声をかけた。


「青木さんも旧帝国陸軍の研究をしてるんですよね?」


「あ……ご興味がお有りですか……?」


「はい!! 現地に付く前に勉強しておきたいです!!」



 これが間違いだった。


 青木は大人しそうに見えて研究の事となると人が変わったように喋りまくった。


 そんなわけで青木は旧帝国陸軍の化学兵器の歴史を道々話して聞かせるのだった。



 一番有名な陸軍の化学兵器工場は広島の大久野島だという。


 第一次大戦で各国が毒ガス兵器を多用したことを受けて、帝国陸軍は毒ガス製造に乗り出すこととなる。


 昭和初期には大久野島で毒ガス製造が開始され、それと同時に島は地図からその存在が消されていたそうだ。


 青木いわく、それが根拠となって秘匿された兵器工場が新規に見つかることはまったくもって不思議では無いと言う。



 毒ガス製造を管轄したのは東京第二陸軍兵廠りくぐんへいしょう


 粘膜を爛れさせるびらん剤、細胞内での酸素の運搬を阻害する血液剤、催涙剤、嘔吐剤など様々な化学兵器が製造されたそうだ。


 それらは北九州の曽根で兵器に詰め込まれ、その後千葉県にある習志野陸軍学校で実用訓練がなされたらしい。


 かなめは危険な化学兵器を何故そんな離れた場所まで運ぶのかが理解できなかった。


 しかし長くなりそうなのでそのことは黙っておく。


 他にも帝国海軍が相模海軍兵廠にて毒ガスの製造を行ったことも記録に残っているらしい。


 陸軍と海軍は犬猿の中で互いに競うようにして兵器を開発したのではないか? というのがどうやら青木の持論らしい。



 青木は目を輝かせて意気揚々と語った。


 話はやがて複雑な軍の内部構造や関係性の話題に広がりはじめた。


 かなめにはもはや今回の事件に関係があるようには思えない……



 かなめは自分の言ったことを後悔しながら窓の外を呆然と眺めていた。



 そんな時だった。



「その話はもういい!! いったい袴田もお前も何を研究してる学者なんだ? 考古学か? それとも民俗学か? それにしては化学兵器に偏執し過ぎてる……」


 あたりが深い山に飲まれた頃、後部座席から卜部は青木に怒鳴った。

 

「あ、はい……すみません……袴田教授はもともと人体の遺伝子に関する研究をしていた医学博士です……」

 

「何だと……!?」


 卜部の眉間に皺ができた。


「それがある時から最先端の研究は闇の中にあるとかなんとか言って……それで今は過去に陸軍が行った研究の調査をしているみたいです」

 

「ならお前も医学部の人間か……?」

 


「まさか……!! 僕は総合科学部の……ただのミリオタです……新井さんは確か生命科学だったかな……?」

 

 そうつぶやいたかと思うと青木が急ブレーキを踏んだ。

 

 けたたましいブレーキ音が響き後部座席の卜部とかなめは前のシートにつんのめった。

 

「このバカ!! 危ないだろうが!!」

 

 停車すると同時に卜部が怒鳴った。

 

「す、すみません……でも……あれ……」

 

 そう言って青木が指さした先には雄の鹿が血を流して倒れていた。

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