袴田教授の依頼55

 

 部屋を出て地上への階段を上がる直前、卜部は背中越しに聞こえた声に立ち止まった。

 

「なんだと……?」

 

「先生……ここの人達も……」


 かなめの指差す先には牢獄に囚われた丸太達の姿があった。

 

 卜部は一瞬頭を過った葛藤を振り払い壁に掛かった鍵の束をひっ掴んだ。

 

「おい……!! ここから出ろ!! 兵隊達に捕まらないように森に逃げるんだ……!!」


 卜部は鍵の束を丸太の一人に投げて寄越した。

 

 その丸太は鍵の束に飛びつくと必死で自分の牢獄に合う鍵を探し始めた。

 

「行くぞ!! あとは自分たちで何とかするだろう……」

 

 かなめはゆっくりと頷いた。

 


 頭の中では気味の悪い音が鳴り続けている。

 

 ぐちゅり……ぐちゅり……と臓物の海を素足で踏みしめるような不快な音。

 

 鼻を突く臭いは血反吐と腐臭。


 下腹の奥では何かが這いずり回る感覚が次第に鮮明になっていく。


 


 耐え難い吐き気を噛み殺しながら、かなめは卜部の背中にしがみついた。


 

「しっかりしろ……!! 必ず助ける……!!」

 

 かなめを背負って地上に出ると、そこには顔の無い男を背負った倉本が待っていた。

 

「早くせぇ……!! じきに佐々木中将がやってくる……!! 今度は即殺すつもりでくっぞ……!!」


「ああ……それよりここに放送施設はあるか!? 全体に音を飛ばせる大きなスピーカーでもいい……!!」


 卜部は倉本に迫った。


「あ、ああ……それなら通信兵の兵舎がある」


「そこに連れて行け!!」


 卜部がそう言うと同時に地下から霊蝿の大群が飛び出してきて空に消えていった。



「さっきの丸太達だ……」

 

「成仏できたんですか……?」

 

 かなめは卜部の背中越しに弱々しく尋ねた。

 

「……いや。まだ囚われたままだ……」

 

 その時だった。


 ピリリリリリリ……!! ピリリリリリリリ……!! 


 近代的な電子音が卜部の鞄から鳴り響いた。

 

 卜部は慌てて鞄から何かを取り出した。

 

「先生……それは……?」

 

「衛星電話だ。ここが圏外なのはわかってた!! だから李偉リーウェイに用意させた……!!」

 



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「もしもし!! おい!! 聞こえるか!! 卜部!! もしもーし!?」

 

 泉谷は電話越しに怒鳴った。

 

「おい!! これちゃんと繋がってるのか!?」

 

 泉谷は後ろで控える若い刑事に振り返って尋ねた。

 

「向こうの電波の状態もありますからね……向こうが地下とかじゃ繋がりませんよ……」

 

 泉谷はその答えに苛立ちながらもう一度リダイヤルボタンを押す。

 

「おい!! 卜部!! 返事しろ!!」

 

 そう叫んだときだった。

 

「ガガガっっさんか!?」

 

「おい!? 卜部か!? 聞こえるか!?」

 

「きジジジジジジ聞こえてる!!」

 

「卜部!! お前今何処にいる!?」

 

「神奈が……と、や……なしの県境にある……陸ぐ……施設だ……!!」

 


「おい!! 神奈川と山梨の県境にある陸軍施設を調べろ!!」

 

 泉谷は若い刑事に叫んだ。


 

「よく聞け卜部!! お前ん所に依頼に行った男が死体で見つかった!!」

 

「はか……だだな……?」

 

「いや!! そいつは袴田じゃない!! ああ……袴田だが、袴田じゃないんだ!!」

 

「な……ん……だと?」



「落ち着いてよく聞け!? お前の所に依頼に行った男は……袴田の顔面の皮を被ったという男だ……!!」

 

「……」

 

「どういう理屈かわからんが、新井は袴田の完全に袴田に可能性が高い!!」

 

「袴田の部屋から未知の薬剤に漬け込まれたが見つかった……!!」

 

「その皮膚のDNAと袴田の教授室で見つかった遺体肉片のDNAが見事一致した!!」

 

「聞き取り調査によって分かったことだが、ここ最近の袴田は突然人が変わったようだったと複数人が証言している……!! まるで別人の言葉遣いや態度になっていたらしい……!!」

 

「警察は今、失踪した袴田が事件に関わっているとみて捜索中だ!!」

 


 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 卜部は目を見開き驚愕の表情を浮かべた後、顔の無い男を見据えて電話越しにつぶやいた。

 

「ここにいる……」

 

「な……にぃ……!?」

 

 ノイズ混じりの泉谷の声が電話の向こうで叫んでいる。


 卜部は顔の無い男に向き直ると、静かに口を開いた。 


「あんたが袴田だな……?」

 

 顔のない男は卜部の目を見てゆっくりと頷いた。

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