袴田教授の依頼㊾

 

 滲み出た地下水で濡れた壁が、裸電球の明かりを反射してぬらぬらと光を放つ。

 

 剥き出しの配線が壁を伝って地下へ地下へと伸びる様には如何とも形容し難い不気味さがあった。

 

 おまけに穴の奥からは微かな血の臭いと共にアンモニアの鼻を突く酷い臭いが上がってくる。

 

 思わずかなめは鼻と口を手で覆った。

 

 尋常ならざる吐き気がむかむかと腹の底からせり上がってくる。

 

 しまいには立っていることさえ辛くなり、かなめは壁に手を付き塞ぎ込んだ。

 

「おい!! 大丈夫か……!?」

 

 卜部は正木の首にナイフを当てたまま、かなめの方を見て言った。

 

「すみません……気分が悪くて……」

 

 その様子を見た正木はにやにやと嗤いながらつぶやいた。

 

「ほほう? どうやらそちらのお嬢さんはすでにを済ませておいでのようだね……?」


「黙れ……!! 貴様の思っているような結果にはならん……」 


 卜部は正木を壁に叩きつけて叫んだ。

 

 正木は額から血を流しながら、なおも不気味な笑みを絶やさない。


「なら急いだ方がいい……すでにの症状が出ている……が訪れる前になんとかせねば、……ということも十分にありえるのだから……」



 卜部はもう一度正木を壁に叩きつけるとかなめに手を差し出した。

 

「辛いだろうが立て。先を急ぐぞ……」

 

 かなめは血の気の引いた顔で頷くと、卜部の手を取って立ち上がった。

 

 

 地下に降りると長い通路が待っていた。

 

 通路の両脇には牢が備えてあり中には老若男女が裸で幽閉されていた。

 

「彼等は丸太。皆非国民だ。軍に反抗し天皇陛下の命令に背く売国奴達だよ……」

 

 正木は喉を鳴らしてつぶやく。

 

 かなめが見ると皆怯えた目をして壁に張り付くようにして座っていた。

 

 それが牢の出入り口から出来るだけ離れた場所にいるためだと気づいてかなめは怖気立つ。

 

「この人達に何をしたんですか……?」

 

 かなめは正木を見て言った。

 

「まだ何も。しかしこれから新薬の実験台になったり、どれだけ苦痛を与えれば人間が正直に自白するかを研究したりする」

 

「無視しろ。皆もう死んでる……」

 

 卜部が短く言った。

 

「でも……こんな……!! 死んでからも苦しめられ続けてるなんて……!!」

 

「一体何の話だね? 見ていたまえ!! 彼等もやがて新しい大日本帝国の歴史に名を残す!! 非国民でありながら偉大な実験に貢献した功労者として!!」

 

 いつしか吐き気は怒りに変わり、ぐるぐるとかなめの中に渦巻いていた。

 

 ずくん……ずくん……と何かが下腹で疼くことも忘れて、かなめは正木に向かって吠えた。

 

「あなたは……!! 人の命を何だと思ってるんですか……!? こんなの命を馬鹿にしてる!!」


 

「何を馬鹿げたことを!! 非国民千人の命で一億の国民が救われるのだ……!! 君の浅はかなヒューマニズムは結局一億の人間の命を危険に晒すのだよ!!」


「ふざけないでください……!! こんなの……こんなの間違ってます!!」


 今にも掴みかかる勢いのかなめを卜部が制した。


「やめろ……今はこいつにかまってる時間がない!! 先に進むんだ!!」



「いったい……いったい先生はどっちの味方なんですか!? こんな……こんな奴の肩を持つなんて……!!」


 かなめは目に涙を溜めて卜部を睨んだ。


 その様子を見て正木は邪悪な嗤いを噛み殺している。


……俺にとって重要なのは、すでに死んだ者たちではなく今生きてるお前だ……呪いを解くために先に進むんだ……」


 かなめは嘘のように怒りが消えていくのを感じた。


 冷静になった頭が警鐘を鳴らす。


「すみません……わたし変です……突然感情が抑えられなくなって……」


 震える声でかなめがつぶやく。



「今はいい。行くぞ」

 

 卜部はそう言って突き当りにある重たい鉄の扉を開いた。

 

 中には鉄の椅子に拘束された二人の男との姿があった。

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