烏丸麗子の御遣い㉑

 

「大畑さんが消えた理由はわかりません……ですが私は怖くて……ずっとこの事をひた隠しにしてきました……」

 

 卜部は何も言わずに話し終えた榎本の目を見据えていた。


 その目の奥には憐れみとも怒りとも断じがたい、鈍色の刃が潜んでいる。


 かなめには、それが悲しみに由来する色だということが何となく理解っていた。


 それでも悲しみの正体まではわからない。


 ただその悲しみは、優しさから生まれているのではないかと、最近は思う。



 相変わらず卜部は何も言わずに、優しさから生まれたであろう、悲しみのような光を宿した刃の切っ先を、榎本に向け続けていた。


 しかし榎本はその目に耐えかねて、居心地悪そうに目を逸らす。



「それだけか……?」

 

 

 重たい沈黙を破って卜部が口を開いた。

 

 

「はい……」

 

 

「そうか……それなら俺から話すことは何も無い。せいぜい扉を開けないように気をつけろ」


 卜部はそう言って椅子から立ち上がった。


「ま、待ってください……!! 話が違う!! 助けてくれるんじゃ!?」



「この期に及んで自分の身を庇う奴の、一体何を助けるんだ……? かめいくぞ……。今夜の準備がいる……」

 

 卜部はそれだけ言い残すと、扉を開けて部屋から出て行った。

 

 かなえは榎本に小さく頭を下げて卜部の後を追う。

 

 

「先生……」

 

「なんだ?」

 

「榎本さんが轢いた女性って……」

 

「ああ。生身の人間だ」

 

 それを聞いたかなめの背に、何かがと負ぶさるような感覚があった。

 

「奴にとってその事実は、いまだ白昼夢の中に眠ったままだ。いくらそれが不可抗力だったとしても、起こった事故も背負った咎も消えはしない。やつが向き合わない限りな……」

 

 その時ちょうど、二人は駅の掲示板の横を通りかかった。

 

 その中の一枚が、地下鉄の風に吹かれてたなびいている。

 

 立ち止まって二人が見たその紙にはの文字と写真が印刷されていた。 


 〈特徴〉

 色白

 切れ長の目 

 背中に届く長い髪

 失踪時の服装は黒のワンピースに

 

 それを読んでかなめは思わず息を呑む。

 

 慌てて卜部に目をやったが、卜部は掲示板から視線を逸らし、何も言わずにその場を立ち去った。

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

主様ぬしさま。駅長から連絡がありました。事故を未然に防げなかったようです……」


 は紅茶を注ぎながら言った。


「まぁそうでしょうね。それくらい強いわ。あそこにいるモノは……そんなことより、ふふふ……!! 落ち込んでるかしらね?」

 

 

 烏丸は上機嫌で紅茶を啜りながら言った。

 

「主様は、あの男が失敗するとお思いで……?」


 烏は眉をひそめてそう言った。 


「いいえー? まことちゃんの事だもの。なんとしてでもちゃんを守るでしょうね」

 

「ならば、失敗を望んでおられるのですか……?」


 烏丸は意地悪な笑みを浮かべて烏を見つめた。


「珍しいわね? あなたが他人に興味を持つなんて……そんなに彼の事が気になるのかしら?」

 

「ご冗談を……ただ……」


「ただ?」


「あの男に主様が固執するほどの価値があるとは信じられないだけです……」


 それを聞いた烏丸は大声で笑った。

 

「あはははは……!! ね……? だけど彼はこれからさらに苦悩を重ねていく。そうすればもっと素晴らしくなるわ……」

 


 烏丸はスプーンに乗せた血のように赤いジャムを舐めてそう言った。


 

「私が望んでるものだったわね……? あえて言うなら……」



「とってもキュートな彼の顔が苦悩に塗れて歪むのを見ること……かしらね?」


 邪悪に口元を歪めて烏丸は言う。その頬には赤いジャムが付いていた。



「それに相応しい舞台があそこの地下にはあるってわけ……」

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