烏丸麗子の御遣い⑳


「実は……私も人を轢いてるんです……」


 そう言って榎本はぽつりぽつりと話し始めた。

 


 もう随分昔の事です……

 

 新米だった私は、先輩車掌の大畑さんという方の隣で操縦の方法を見ていました。

 

 その日、大畑さんは体調が悪く腹を下していました。

 

 とうとう我慢できなくなった大畑さんは私に運転を託して途中下車してしまいました。

 

 始めての単独運行に緊張しながらも、操縦は上手く行っていました。

 

 次の駅に着けば事情を話して他のベテランに交代してもらえばいい……

 

 そう言われていた私は……それだけを考えていました。

 

 その時です。

 

 暗いトンネルの中にぼんやりと光る何かが見えました。

 

 何だろう……?

 

 そう思って目を凝らした私は息が止まりそうでした……

 

 日本兵が壁を掘っているのです……

 

 薄汚れたその男はツルハシで一心不乱に壁を打ち付けていました。

 

 その時私の脳裏に先輩の話した怪談が思い浮かんだんです。

 



 ここには昔、旧帝国陸軍の秘密の坑道があってな……

 

 送り込まれた兵隊が何人も何人も落盤や過労で死んでいったんだ。

 

 そいつらはとっくの昔に終戦したことも知らず、今なお暗いトンネルの中で穴を掘り続けてるらしいぜ……?

 

 この地下鉄にしたってな、そいつらの掘った穴を再利用してるって話だ……

 

 だから俺はよ……いつでもこいつを一本は必ず懐に入れてるのさ……

 


 そう言って大畑さんは胸ポケットから一本のタバコを取り出しました。


 

 言ってみりゃ線香の代わりだな。

 

 ご苦労さまです! おかげさんで今日も運行出来てます! って気持ちを忘れちゃなんねぇ!

 

 

 その話を聞いていた時、私は年寄の説教じみた教訓話程度に思っていました。

 

 しかし目の前に現れた日本兵を見た時、タバコを持っていないことを心底後悔しました。



 そうするうちに、どんどん日本兵の姿が近付いてきます。

 

 あと二秒もすればすれ違うという時になって、私は怖くて……

 


 目を瞑ってしまったんです……

 

 

 ぐしゃん……!!

 

 

 嫌な衝撃で私は目を開きました。

 

 フロントガラスが真っ赤に染まっています。

 

 窓に張り付いた肉片が、風圧で飛ばされた時、私はやっとブレーキを引いて列車を緊急停車させました。

 

 

 放心状態になった私は、何を思ったのか、ふらふらと列車を降りて事故現場に歩いていきました。

 

 血溜まりが事故の場所を教えています。

 

 そこには女物の靴を履いた

 

 

 ふと横を見ると鉄の扉がありました。大きな閂と錠前がついた、重たそうな扉です。

 

 その錠前がカチリと音を立てて開きました……

 

 するすると重たい閂が横に滑っていき、ガランと音を立てて地面に落ちました。


 私が呆然とその様子を眺めていると、鉄の扉が独りでにすぅーっと開いたのです。

 

 

 すると中から、一本の長い手が伸びてきました。

 

 いくつも関節のある白くて長い手です……

 

 その手は私に向かって手招きするように動きました。

 

 私はすぐに理解しました。

 

 その手が地面に落ちたを求めていることを……

 

 

 私は足を拾い上げると扉の方に向かって放りました。

 

 白い手は扉の前に落ちた足を掴むと、扉の隙間に吸い込まれていきました。

 


 私は何を血迷ったのか、大急ぎでをかき集めて扉の前に運びました。

 

 死体は次々と扉の中に引きずり込まれていきます。

 

 

 目につく範囲にある全ての破片を扉に呑み込ませた後で、私は急に恐ろしくなって列車の中に逃げ帰りました。

 

 不思議なことに騒ぎは起きていませんでした。

 


 私は慌てて列車を再発進させて次の駅に向かいました。

 

 駅に着くと不思議なことにダイヤが乱れていません。


 そうとう長いことトンネルの中にいたにも関わらずです…… 




 大畑さんがいないことに気付いたベテランが近付いてきたので、私は大畑さんが体調不良で途中下車したことを伝えました。


 事故の事は黙っていました。 


 そのベテランは私と運転を交代して列車に乗り込み、何事も無かったかのように颯爽と去っていきました。

 

 


 私は次の日から体調不良と嘘をついて数日の間会社を休みました。

 

 その間、事故について何の音沙汰もなく、連絡もありません。

 

 私はあの出来事は夢か幻だったんだと思うようになりました。


 極度の緊張が生んだ白昼夢だったんだと自分を納得させた私は、会社に復帰することにしました。

 


 そして会社に復帰した時、大畑さんがいなくなっていました……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る