烏丸麗子の御遣い67


 かなめが振り返ると地面に倒れる卜部と、焼け落ちた蝿の足が目にとまった。

 

「先生……!! 大変……!! すぐに手当しないと……」

 

 慌てて駆け寄ったかなめを制して卜部が言う。

 

「今は後だ……それよりも大畑さんを止めろ……!! 彼が榎本を殺す前に……!!」

 

「でも……」

 

……!! じきにも戻ってくる……!!」



 卜部の視線の先を見るとメル・ゼブブが日本兵の大群を蹴散らし始めていた。

 

 

「大畑さんがこのまま榎本を殺せば、俺達は脱出の算段を失う……!! 急げ……!!」

 

 かなめは二度ほど振り向きながらも大畑の元へと走った。

 

「大畑さん……!! その人を殺しちゃ駄目です……!!」

 

だと……!? こいつは人なんかじゃない……!! 見ろよ……!?」

 

 見ると榎本の破れた皮膚の下から榎本の顔をした小さな蛆が無数に溢れ出て来ていた。

 

「見た目の話だけじゃねぇ……娘を……喜美子を……こいつは……」


 声を詰まらせながら大畑が絞り出す。


が……!! 人として扱われて良い訳がねぇ……!! 俺はこいつを赦さねぇ……!!」

 

 

「大畑さん……」

 

 かなめが言葉に詰まっていると背後から卜部の声がした。

 

 

「大畑さん……あんたは嘘を吐いてたのか……?」

 

 

「なんだって……!?」

 

 大畑は血に塗れた卜部を睨んで言った。

 

 

「あんたは言った。こいつに詰問するよりも、娘が気掛かりでここに来たと……その言葉は嘘だったのかと聞いている……」

 

「お、俺は……」

 

「あんたがここでずっと正気を保ってられたのは、そいつへの復讐心のおかげではないはずだ……!! あんたの目的を忘れたのか……?」

 

 大畑の目から憎しみの色が薄らぎ、代わりに深い悲しみが宿った。

 

 大畑は握りしめた拳を解き、両手を垂れる。

 

「俺は……俺は……娘を探しに……娘に会って……謝りたくて……謝りたくてここに来た……」

 

「ならあんたの目的はまだ達成されてない……娘は外にいる……ここから出るためにも手を汚すな……娘に触れる手を……!!」

 

 

 その言葉で大畑は唇を噛み締めながら目を閉じ、そのままの姿で何度も頷いた。

 


「この人はどうしますか……?」

 

「放っておけ……それだけ損傷していれば何も出来やしない……」



 その時神殿の天井付近でメル・ゼブブの叫び声が響いた。


 怒りと呪怨に満ち満ちた声で彼女が大声を上げる。


「 ל:קלל:ךレ・カルレッ・カ


 

 その声と共に無数の肉蠅にくばえが彼女の口から吐き出された。


 肉蠅達は日本兵に襲いかかり、皮膚を食い破って体内に侵入する。


 日本兵の隊列は襲い来る蝿によって散り散りになってしまった。





 日本兵を振り払ったメル・ゼブブは地に降り立つと、卜部を睨みつけて歯ぎしりした。


 

 憎しみと怒りと屈辱が膨れ上がり、蝿の女王たる真の姿を露わにする。



 と音を立てながら、傷と膿だらけの白い皮膚が破けていった。


 肩から上を残し、メル・ゼブブは真っ黒な蝿の姿に変貌を遂げる。


 太く丸みを帯びた身体には無数の毛針が生えており、その短い棘には破れた白い皮膚が纏わりついていた。


 その蝿の頭には、まるで王冠のように真っ白なメル・ゼブブの胸から上が載っている。



ב:יビ・ィーנשבעתיニシュバティー(私は自分にかけて誓う…)」



 

תמותタムート(貴様を殺すと…!!)」

 


「ふん……!! 封印され損ないの黒蝿の化物め……!! この国のを舐めるな……!! ……!! 来い……!! ……!!」

 

 

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