袴田教授の依頼㉟
「うっ……ええぇえええ」
頭がくらくらする。
眼の前に広がるのは、どこか現実感の喪失した光景。
まるで悪い夢でも見ているかのような……
平衡感覚が麻痺した頭は、かなめの意に反して、身体を床に引きずり下ろそうとする。
かなめは壁に手をつきながら、なんとか姿勢を保っていた。
「ああ……生まれ変わったような気持ちだよ。左手は残念だったが……致し方ない」
そう言って青木は左腕を付け根できつく縛りあげた。
傷口にシャツを巻いて止血すると、引き戸を開いて振り返る。
「腹痛先生によろしく……!!」
そう言って笑った青木に向かって、かなめはもう一度委任状を掲げて叫んだ。
「待ちなさい!!」
しかし青木は平気な顔で微笑むと、踵を返してかなめの眼前に立ちはだかった。
腕に巻いた血染めのシャツをかなめの顎に突きつけるようにして青木は眼をギラつかせながら言う。
「罠を仕掛ける者ほど、自分が罠に嵌められるとは思ってもみない……!!」
「どういう意味ですか……!?」
絞り出した声はか細く、傍目からも分かるほど震えていた。
それでも恐怖に抗い、震える身体を無理やり抑えながら、かなめは青木の目を睨んだ。
「深淵を覗く者よ……気をつけるがいい……!! 深淵もまたこちらを覗いている!!」
そう言って青木はかなめの目を覗き込んだ。
「お前も今、見られているぞ……? ははっはははははっははははっははっははっはは!!」
両目を大きく見開き嗤う青木の声を聞くうちに、かなめの視界がぐにゃぐにゃと歪んできた。
立っているのか、座っているのかも解らない。
床は
はーはっははっははっはあっっははっはあははは!!
狂気に満ちた笑い声が部屋中に響いた。
孕む。孕む。呪いを孕む。
膨らむ呪怨がズルリと動く。
血濡れた赤子は胎を蹴る。
気が狂うほど怒れやイカれ。
やがて涙も枯れ果てて
渇いた
かなめはフラフラと壁伝いに逃げようとしたが、うまく歩くことが出来なかった。
叫び声をあげようとしたが、舌がもつれて声も出ない。
再び委任状を開こうとした手を、青木の手ががっちりと掴んだ。
青木はそのままかなめを押し倒すと、ポケットから見慣れない遮光瓶を取り出した。
古めかしいガラス製の注射器を瓶に刺し、紫色の中身を吸い上げて嗤う。
「何も心配いらない。目が覚めたら気分も落ち着いてる」
そう言って血まみれの左手でかなめを押さえつけると、右手に持った注射器をかなめの肩に突き刺した。
急激に意識が遠のいていく。
「あなたは……誰……!?」
薄れゆく意識の中、かなめはなんとか声を絞り出した。
「それは言えない。魔術師に真の名を教えるのは自殺行為だよ?」
かなめのぼやけた視界の中には、青木ではない見知らぬ男が立っていた。
「ではまた……経過を観察に来るとしよう。
その声を最後にかなめの意識はぷつりと途切れた。
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