袴田教授の依頼⑩


 

 寿し政からの帰り道、かなめはお腹に両手を添えて大満足でつぶやいた。

 

「満腹です!! もう食べられません!! 先生!! ご馳走様でした!!」

 

 

「まったく……女将も政さんも最後は呆れてただろうが……」

 

 

「そんなことないですよ!! こんなに気持ちいい食べっぷりの子はそういないって喜んでくれてました!!」

 

 

「いいや……!! あれはだ。だいたいトロとウニだけで何貫食ったと思ってる!?」

 

 

「先生だってアワビとかノドグロみたいな高級魚ばっかり食べてたじゃないですか!? それにしてもあのウニは最高だったなぁ……」

 

 

「また連れて行ってください!! せっかく近くだし!!」

 

 

「何を図々しいことを……!?」

 

 

 夢見心地で空を見つめるかなめを見て卜部はため息を吐いた。

 

「まったく……」

 

 

 

 そこからしばらく歩いて口を開いた卜部の顔つきは、いつもの真剣な表情に戻っていた。

 

 

「亀。今回の依頼の件だが……」

 

 卜部の放つ重苦しい声で非現実的な現実が一気に帰ってきた。

 

 かなめも真顔に戻って卜部を見る。

 

「はっきり言って得体が知れん。しかも師匠が絡んでるとなるとお先真っ暗と言っていい……」

 

 

「わたしも行きますよ!? 待ってろは無しです!!」


「それに……」


「それに何だ?」


「怒らないでくださいね……?」


 かなめは片目を軽く閉じながら窺うように言った。


「言ってみろ……」



「先生……お師匠さんが怖いんですよね……?」


 かなめはゲンコツを覚悟したが、予想と裏腹に卜部は黙って俯いていた。


 やがて卜部は何かを覚悟したように顔を上げると絞り出すように口にした。



「ああ。正直言って恐ろしい……」



 見たことのない卜部の姿にかなめは驚いた。


 しかしすぐに両手で拳を作って言う。


「大丈夫です!! 何があったか知りませんけど、きっとトラウマ的な問題です!! 今の先生なら問題ないです!! それに……」


「先生の師匠が意地悪してきたら、わたしがガツンと言ってやります!!」

 

 かなめはそう言って片方の拳を卜部に向かって突き出した。

 

 

 卜部は目を見開いて二三度まばたきをしてから大声で笑った。


「ははははは!! お前が師匠にガツンと!? ははは!!」

 

 卜部は片方の手で眉間をつまみながら、もう片方の手で拳を作ってかなめに突き出した。

 

 かなめはその拳に自分の拳をぶつけようと一歩踏み出す。

 


 するり……

 

 卜部の拳はかなめの拳をすり抜けて強烈なデコピンに姿を変える。



 バッチん……!!


「ぐはっ……!?」


 かなめは額を押さえて悶絶した。


「亀のくせに生意気言うな!! 俺は師匠なぞ微塵も怖くない!! 行くぞ!! 準備がいる!!」



「ええ……!? さっき恐ろしいって!?」



「言ってない」


「言いましたよ!!」


「言ってない」


「大体今の場面でデコピンとか信じられないんですけど!? なんですか!? この強烈なデコピンは!?」

 

「コツがある。教えてやるからデコを出せ……」

 

「嫌ですよ!!」

 

 二人はそんなやり取りをしながら雑踏に飲まれていった。


 しかしこの時二人はまだ知らない。


 この先に待ち受ける、卜部の予想もかなめの覚悟も超えるような、危険と恐怖、陰謀と後悔を、二人はまだ知らない。

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