袴田教授の依頼⑪

 

 雑踏を抜けて薄暗い路地に入るなり卜部はどこかに電話をかけた。

 

「ああ。俺だ。頼みたいことがある。そうだ……ああ……わかった」

 

 携帯をポケットに仕舞い卜部はかなめに目をやった。

 

「少し行くところができた。亀、お前はとりあえず今から書く一式を揃えておけ」


 卜部はブツブツと独り言を言いながら長いメモを書き終えるとそれをかなめに手渡した。

 

 卜部のメモ書きを見てかなめは顔をしかめる。

 

「なんですかこれ!? ヒマラヤでも登るんですか!?」

 

「バカタレ!! 一体どうやったらそんな発想になるんだ? これから行くのは誰が敵で何が出てくるかもわからんサバイバルだぞ!? これでも必要最低限だ……だいたいヒマラヤに登るなら装備からして……」

 

「もういいです!! ごめんなさい!! わかりました!!」


 かなめは慌てて卜部の説明を遮った。


「ところで先生の分はいいんですか?」

 

「ああ。俺はもう持ってる……」

 

 一体この人はどういう危機意識で生きているのだろうとかなめは訝しむ。

 

 しかし怪異と常日頃から命がけの日々を過ごす先生なら当然かと、かなめはすぐさま納得するのだった。

 


「じゃあな……ちゃんと揃えておけよ」

 


 そう言って再び雑踏に歩き出す卜部の背中にかなめが叫んだ。

 

「これ経費で落ちますよね!?」

 

 卜部は何も答えず片手を上げて人混みに消えてしまった。

 

「領収書ちゃんと貰わないと……」

 

 かなめは独り言ちてから卜部とは反対の方へと向かって歩き出した。

 

 


 ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 研究室の扉の前で気の弱そうな青年が何度目かのため息をついていた。

 

 ただでさえ近頃機嫌の悪かった袴田は、昼頃帰ってきてから輪をかけて機嫌が悪かった。

 

「嫌だなぁ……」


 青年は再びため息交じりに漏らした。


 袴田はもともと近付き難い雰囲気を醸している上に、レポートが多くテストの内容がすこぶる難しいことから、学生たちからの評判ははっきり言って酷いものだった。

 

 おまけに研究の事となると常軌を逸した熱が入り、気に入った学生は半ば無理やりに自分のゼミに加入させた。

 

 そんなわけで自然と学内で孤立した研究室は、いつの間にか袴田城と揶揄されている。


 そんな袴田城に所属する数少ない家臣の一人が、今まさに袴田城の門に手をかけている青木だった。


「失礼します……」


 消え入りそうな声で青木が言った。


「さっさと入れ!!」


 中から城主である袴田の怒声が響いた。


 青木は体をびくりと震わせてからコソコソと城内に入っていった。

 

「あの……どういったご要件でしょう……?」

 

 青木はびくつきながら尋ねた。

 

「お前にドクターになるチャンスをやる……」

 

 予想外の言葉に青木は目を見開いて机に駆け寄った。

 

「え……!? でも……つい先日僕のドクター論文はまるっきり駄目だって仰ってたんじゃ……!?」

 

「もちろんそうだ!! あんなものは便所紙みたいなもんだ!! 貴様……まだあんなもので博士号が取れると思ってるのか!?」

 

「申し訳ありません……」

 

 青木はがっくりと肩を落として俯いた。

 

「だが……特別にチャンスをやる。俺の代わりに新井の捜索に行ってこい……そこで見事に仕事をこなしてきたらお前に博士号をくれてやる……」

 

「え……」

 

 戸惑う青木に袴田は卜部の契約書を見せながら続けた。

 

「条件はこれだ……お前に拒否権はない。拒否すれば破門だ。自慢じゃないが、ここの出身で他に身寄りがあると思うなよ?」


 ギラギラとした光をたたえた両目を見開いて、袴田は骸骨のような顔で青木の目を覗き込む。



 青木は目を逸らすように俯いて言った。


「ぼ……僕は何をすればいいんでしょうか……?」

 

「そんなことも解らんのか!? 簡単なことだ!! その卜部という霊媒師の指示に従って新井を見つけ出すんだ!!」

 

「はぁ……」

 

「いいな? 出発は三日後だ。これが現地の地図だ……装備は研究室の備品を貸してやる」

 

 青木はとんでもないことになったと思いつつも、頭の片隅では博士号のことを考えていた。



「わかったらすぐに準備にかかれ!!」

 

 これ以上怒鳴られないように青木は頭を下げてと部屋を出ようとした。


 そんな青木に向かって座ったままの袴田がもう一度叫んだ。

 

「いいか? くれぐれも霊媒師達に歴史的遺産を荒らさせるんじゃないぞ!? お前は監視役でもあるんだからな!?」

 


 青木はもう一度頭を下げると、今度こそ研究室を後にした。

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