袴田教授の依頼⑨


 奥行きのある細長い店内にはカウンターと三つの座敷席が備わっていた。

 

 女将は二人を一番奥のカウンター席へと案内する。

 

 白髪混じりの板前が卜部を見るなりニヤリと笑って言った。

 

 

「大将今日はべっぴんさん連れてどうしたんだい?」

 

 

「勘違いするな。仕事の助手だしべっぴんというよりは珍品の類だ」

 

「な……!? 誰が珍品ですか!?」

 

「すまない。亀は珍獣だったか……」 

 

「亀でも珍獣でもありません!! か・な・めです!! それより先生……さてはここ……初めてじゃないですね……?」

 

 

 かなめは目を細めて卜部をじっとり見据えた。

 

 卜部はそんなかなめからフイと目を背ける。

 

 

「さあな」

 

「怪しすぎます!!」 

 

 二人のやり取りを見て板前はくくくと喉を鳴らしを差し出した。

 

「へい。今日はいいスズキが入ってますんで、まずはこちらからどうぞ」

 

 

 シャリにぴったりと纏わりついたスズキの断面はオーロラのような光沢を帯びていた。

 

「綺麗……」

 

 思わずかなめの口からため息が漏れる。

 

 

「ほう……腕は健在だなまささん」

 

 卜部も思わず顔を綻ばせて板前の政を見やった。

 

 

「あ!! やっぱり初対面じゃない!!」

 

 卜部はそんなかなめを無視して寿司をつまむとネタ側の先端に少しだけ醤油をつけて一息に口に放り込んだ。

 

 目を瞑ってスズキの握りを堪能する卜部にかなめはごくりと唾を飲み、卜部に倣ってスズキを口にした。

 

 

「んんんんんんーーーーー!!?」

 

 

「気に入って頂けましたか? お嬢さん」

 

 政は見事な手付きで次のネタに柳刃を入れながらかなめに目配せした。

 

 

「さいっこうですぅ……!!」

 

 

「嬉しいねぇ……こちらはつぶ貝になります」

 

 

 そう言って出てきたつぶ貝は肉厚で見た目からも判るような弾力を秘めている。

 

 

「いただきます!!」

 

 つぶ貝を頬張ったかなめは思わず叫んだ。

 

「な、なんですかこれは……!?」

 

 肉厚で弾力のありそうな見た目とは裏腹に、つぶ貝は弾けるように噛み切られて濃厚な貝の旨味を口いっぱいに広げる。

 

 

「ふん!! そこらの貝とはモノが違うんだ、モノが!!」

 

 卜部が横目でかなめを見ながら自慢気に口角を上げる。

 

 かなめは目を細めてコクコクと二度頷いた。

 

 

「おいおい大将!! そこはあっしの腕も褒めてくれねぇと!!」

 

 

 かなめは政の手元に目をやった。

 

 使い込まれた手は繊細で美しく、幾度となく繰り返されてきた技は淀みなく次の動作にバトンを渡していく。

 

 包丁には曇がひとつもなく、檜のまな板は光沢を放っていた。

 

 

「これが匠の技なんですねぇ……」

 

 感心するかなめの前に透明感に満ちた赤身が差し出された。

 

 シャリと一体化した赤身の奥に薄っすらと見えるワサビまでもが輝きを放って見える。

 

 

 かなめは卜部の鼻歌を聞きながらマグロを頬張った。

 

 幸福な気持ちに満たされて、今朝の事務所での出来事が嘘のように霞んでいく。

 

 そんなかなめをちらりと見た卜部がフッと笑うのに気がついたのは、イクラの軍艦を握る政だけだった。

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