烏丸麗子の御遣い㊲

 

「すげぇ……あの蛆を跡形もなく倒しちまった……」

 

 呆然と蛆の残した液溜まりを見つめてつぶやく大畑にかなめが胸を張る。


「当然です!! 先生は怪異には負けないんです!!」

 

「これなら……も……」

 

「おい」

 

 その声で二人は同時に卜部の方に目をやった。

 

「浮かれるのは早い。こいつは親玉のみたいなもんだ。ペットの喧嘩には勝ったが、坑道の入口で感じたの力からして、……それに……」



「それに……?」


 二人は卜部の顔を覗き込むように見つめて続きを待ったが、卜部は何も言わずに首を横に振った。


「いや……なんでもない。それより、急ぐぞ……!! ここはもう安全じゃない……」


 木箱をよけた裏には未舗装の暗い坑道が伸びていた。

 

 剥き出しの土壁を木の板と丸太で支えたようなその坑道は、今までの通路と違ってひどく頼り無く見える。

 

 

「本当にここを行くんですか……?」

 

 思わず尋ねたかなめに卜部が目を細める。

 

「行くしかないだろう……おい!! 案内は任せるぞ?」

 

 大畑はこくりと頷いて、ランプを片手に通路の奥へと歩き出した。

 

「ほれ」

 

 卜部はヘッドライトのついたヘルメットをかなめに投げて寄越した。

 

「しっかり被ってろ。それと……」

 

 卜部はそっとかなめに耳打ちした。


「なっ……!?」

 

 叫びそうになるかなめの口を卜部が押さえる。

 

「大声を出すな……まだそうと決まったわけじゃない……だが用心しておけ」


「でも……そんな」

 

 卜部の鋭い視線に射抜かれて、かなめは口をつぐんだ。

 


「おおい!! どうしたんだ!?」

 

 暗い坑道の奥から大畑の呼ぶ声がした。

 


「なんでもない……!! すぐ行く!! 行くぞかめ……!!」


 かなめは静かに頷くと、暗い坑道に足を踏み入れた。





 中には邪悪な気配が充満していた。

 

 ドロドロとどす黒い怨念が都心の地下には渦巻いている。

 

 それが人の流した血や涙に依るのか、或いは怪異に依るのかは分からない。

 

 ただはっきりと言えることは、ここには相当大勢の人間の血が染み込んでいるということだった。

 

 

 足下に転がる日本兵の遺骨を避けながら、かなめはそんなことを考えていた。

 


「こんなところにずっと置き去りにされてるなんて……ご遺族の所に帰してあげたいですね……」

 

「やめろ……本物の骨かかも分からん骨に同情するな……そういう気持ちは、いつか良くない何かの付け入る隙になりかねん……」


 卜部にたしなめられても、かなめは彼等への哀れみを簡単に割り切ることが出来なかった。


 かなめは何やら閃いた様子で卜部の隣に駆けていき手を出した。


「タバコを一本下さい」


 卜部はため息をついてタバコを差し出す。


 かなめはそれを咥えて火をつけると、むくろの前に立てて手を合わせた。


「どうか成仏してください……もう戦争は終わりました……」



 そんなかなめにちらりと目をやって大畑が口を開く。


「ここでは昔大きな落盤事故があったんですよ……それで作業していた日本兵が大勢死んだらしいです……」


「そうなんですか……」


 頷きながらそう言うかなめを尻目に卜部が静かに問いかけた。



「どうしてあんたがそんな事知ってる……?」



 卜部の声に含まれる声以外の成分を察して、静かにかなめの心拍数が上がった。




「地下鉄には日本兵の霊が出るって……駅員仲間では有名な怪談でしたから……たしかそこで聞いたのかな……」

 

 嫌な沈黙を破って大畑は何食わぬ様子で振り向き笑った。

 

 ランプの黄色い明かりが、大畑の抜け落ちて不規則な歯を強調する。

 

 照らされた側と反対の表情は、深い影に覆われて読み取ることが出来なかった。

 

 かなめはなぜか、その影の奥にじっとりとこちらを睨む大畑の顔を見た気がした。

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