烏丸麗子の御遣い㊳

 

「ここから先は声を出さないでくれ……」


 曲がり角の手前で大畑はそっと囁いた。


「一体何があるんですか……?」


「日本兵達がいるんだよ……今もずっと掘ってるのさ……」

 

 大畑は引き攣った表情でにぃと笑って見せた。

 

 大畑の不気味な振る舞いと先に待ち受ける日本兵の存在に、かなめもぶるりと身体を震わせる。

 

「先生……の時と同じですか……?」

 

「そうだ……奴らに声を聞かれたら、こちらの存在がバレる。そういうことだな?」

 

 卜部はそう言って大畑に視線を送った。

 

「へへ……流石は先生……その通りです……俺は一度ここで死にかけた……出来れば二度と通りたかねぇが……」

 

 そう言って大畑は曲がり角の奥をそっと覗き込んだ。

 

 卜部とかなめも大畑の後ろから顔を出すと大勢の兵隊達が作業しているのが目にとまった。

 

 

「急げ!! ここは天皇陛下の御道だ……!! 骨身を惜しむな!! 散って行った英霊達に恥じぬよう一心不乱に掘るのだ……!!」


 隊長と思しき男が軍刀に両手を添えて叫んでいる。


 作業する兵隊達は上着を纏っていなかった。


 汗と砂埃にまみれて真っ黒になった顔には白目がくっきりと浮かび上がっている。 

 

 痩せて剥き出しになったあばら骨が痛々しい。

 

 彼等は背中を丸めて暗いトンネルの奥から一輪車で土砂を運び出しているようだった。


 

 

「あっちの坑道が何処に繋がってるかは俺も知らねぇ……俺たちが行くのはあれだ……」

 

 そう言って大畑は軍刀を構えた隊長の方を指差した。

 

 隊長の後ろの岩壁には縦に長い亀裂が走っていて、人一人が通れるくらいの隙間ができている。

 

 

「先に言っておきたいんだが……途中で地下水が湧いてる場所がある……そこが最後の難所だ……」

 

「そこには何がある……?」

 

「わからない……」

 

「何……!?」

 

 大畑の答えに卜部の眉がぴくりと動いた。

 

「あれが何なのか……俺にはわからない……ただ……おぞましいものがいた……それも沢山……」

 

 大畑はうつむき加減でそう言った。

 

 その目がせわしなく泳いでいるのに気が付いてかなめの胸に得も言えぬ不安が渦巻く。

 


「いいだろう……まずはここを突破する」

 

 卜部は鞄から線香の束を取り出してライターで火を付けた。


 煙が勢いよく立ち昇り、白檀の清浄な香りが辺りに漂い始める。

 


 大畑は煙に顔をしかめると、顔の前を手で扇ぎながら言った。

 

「すみません……煙が目に沁みて……こんなので一体どうするって言うんです……?」

 


「煙に紛れて行く。かめタバコ!!」

 

「かなめです! どうぞ」

 

「タバコが燃え尽きるまでは奴らにこっちの姿は見えないが香の煙は弱い。制限時間はおよそタバコ一本分だ。それと……わかってると思うが声は出すなよ?」

 

 二人は卜部の言葉に頷くと壁の割れ目に向かって息を殺してあるき始めた。




「なぁ……!! おい……!!」


「なんだよ……?」


「なんかいい匂いがしないか?」


「するわけねぇだろ……こんな場所で……」


「ほら!! 線香の匂いだ……!!」



 兵隊がそう言って話す横を三人は黙って通り過ぎた。

 

 兵隊達は線香の匂いに気が付き始めたようで目を瞑って匂いを噛み締めている。

 

 中には涙を流している者までいた。




 兵隊達の意識が線香に向いている隙に、三人は誰からともなく急ぎ足で割れ目に向かう。


 その時だった。



「貴様ら……待てい……!!」

 


 軍刀男の怒声が響き、三人に緊張が走った。

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