烏丸麗子の御遣い70


 喉を鳴らして嗤う卜部にメンゲレの顔が不愉快そうに歪んだ。

 

「どうした? とうとう気でも触れたかな? 腹痛先生……」

 

「くくく……なあ……? こんな話を知ってるか?」

 

 卜部は笑いを堪えて言葉を発した。

 

「日本の地下鉄は旧帝国陸軍の造った秘密の坑道の再利用らしい……中には秘密の研究施設もあったそうだ……」



「何の話をしている……?」



「最後くらい聞けよ……その中には化学兵器の開発や残酷な人体実験を行う部隊もあったそうだ……捕らえた捕虜や国内の反乱分子を使ってな……」



「ふん……!! そんなものは珍しくもなんともない……戦時下なら当然のことだ……」



「面白いのはここからだ……」

 

 そう言って卜部は上半身を起き上がらせて妖しい笑みを浮かべた。

 

 その目に宿る妖艶な光に居合わせた全員が息を呑む。

 

 

「戦争が終わっても彼らの強烈な体験はこの世を去ることを許さない……身体を失ってもなお、穴を掘り続け、演習を繰り返し、今なお行進を続けている……そんな霊を見たという目撃情報は後を絶たない……」

 

「中でも変わった話がある……地下鉄で行方不明者が出る時に、決まって現れる不気味な男の話だ……」

 

「男は尖った嘴の付いた、奇妙なマスクを被っている。ペストマスクだ……」

 

「その男には人体実験に対する強烈な偏執があったという。死んでもなお地下鉄で被検体を攫っては、薄暗い地下室で人体実験に明け暮れているらしい……」

 

「男がペストマスクを被るのには理由があった。化学兵器の防護のため……病原体の感染を防ぐため……そして何より……」


「男はカレーの臭いが嫌いだった……カレーの臭いを嗅ぐと頭が割れるように痛み、頭の中から何かが飛び出してくるという妄想を抱えていたからだ……」


「だからもし……地下鉄でペストマスクに出会った時は大きな声で三度、カレー粉、カレー粉、カレー粉と唱えればペストマスクは逃げて行くという……」





「それで? その話が私に一体何の関係がある?」

 

 メンゲレは呆れたように鼻で笑い卜部に尋ねた。



「関係大アリだ…………!! ヨーゼフ・メンゲレ……!!」



 卜部は口角を上げてそう言うと、真顔に戻って声高に叫んだ。



「今を持って新たな都市伝説の誕生を宣言する……!! 貴様はこれを聞き届け……!! 貴様の魂は人々が忘れ去るその日まで、永劫この都市伝説に封印される……!! これをもって都市伝説創りを……!!」


 

 

 卜部はそう言ってポケットから取り出した半紙に自身の血を染ませた。

 

 血は半紙に吸い込まれると赤い文字となって浮かび上がっていく。

 


「な……何だこれは……? ……!?」


 身体に異変を感じたメンゲレが卜部に向かって大声で叫んだ。

 

 

「お前が来てくれてよかった……これでの依頼にも言い訳が立つ……お前の魂はもうその肉体にはいられない……このせいぜい元気にやってくれ……」

 

 卜部はそう言って半紙をひらひらと揺らしてみせた。

 

 

「い、嫌だ……!! そんな馬鹿なことがあってたまるか……!! 私は使……あのヨーゼフ・メンゲレだぞ……!? 低俗な怪談話になど断じてならん……!! ならんぞ……!?」

 


 

「諦めろ……散々低俗なことをしてきた貴様には、都市伝説がお似合いだ……」

 

「私は……!! 私は……!!」

 

 そう言い残して榎本の身体が顔面から地面に突っ伏した。

 

 卜部は半紙を折り畳み、再びポケットに仕舞う。

 

 

「残すはだ……悪いがあいつの所に連れて行ってくれ…………」

 

 卜部は倒れた榎本の遺体を顎で指してそう言った。

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