烏丸麗子の御遣い71


 

 先程からかなめは卜部の手に握られたズタ袋を何度もと盗み見ている。

 

 袋の底部は赤黒く変色しており、形容し難いが袋の外からでも見て取れた。

 

 中身の事は考えないように努めたが、担架に乗せられた卜部の手に握られたは、歩調に合わせてぷらぷらと揺れて、自己の存在を主張していた。

 

 かなめはいつの間にかまたズタ袋を見ている自分に気付き、おもむろに顔を上げる。

 

 するとそこには自分たちが入ってきた開かずの扉の立ち塞がっていた。

 

 

「先生……!! 出口です……!!」

 

 かなめは卜部に視線を移して言う。

 

 卜部は黙って頷くと大畑に声をかけた。

 

「ここからは……あんたと娘の繋がりだけが頼りだ……ボストンバッグの中身を出してくれ……」

 

 大畑は一瞬躊躇ったが、覚悟を決めたようにボストンバッグのジッパーに手をかけた。

 

 

 じぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ……

 

 ゆっくりとジッパーが開き、中に収められた大畑喜美子の頭部が顔を出す。

 

 誰もが悲惨な状態の頭部を覚悟していたが、そこに現れたのはまるで生きた人間そのものの生首だった。

 

 血の気を失った真っ白な肌と黒い髪。

 

「き……き……喜美子おぉぉ……!?」


 眠るように目を瞑った娘の頭部と再会した大畑は、地に両膝を付いて咽び泣いた。

 

 触れようと手を伸ばしたはずが、娘に触れる直前になって震えたまま動けずにいる手を見てかなめの胸が締め付けられる。

 


「う……うわぁぁぁぁあ……!?」


 かなめが大畑に声をかけようとすると、突然大畑は悲鳴を上げて尻もちをついた。

 

「どうしたんですか……ひっ……」

 

 見るとボストンバッグの中の生首が目を見開いている。

 

 カッと開いた目は焦点が定まっておらず、せわしなく動く口に反して言葉は聞こえない。

 


「顔の前まで持ち上げろ……あんたが父親だと認識させるんだ……」

 

 青木に支えられながら起き上がった卜部が静かに言った。

 

 大畑は青い顔で数回頷いてからこめかみ辺りに手を添えて、おそるおそる首を持ち上げた。



 自身の顔の前まで来ると娘と目が合ったような気がした。



「喜美子……? わかるか……? 父さんだぞ……」


 喜美子は目をキョロキョロさせながら口を動かし続けている。


「ずっと謝りたかったんだ……ごべんな……本当にごめん゙な……お前の辛さに何にも気付けなかった馬鹿な父さんをゆるじてぐれ……ゆるじてくれ゙……」



 向き合った娘の生首に大畑は頭を下げ震えて泣いた。

 

 何度も何度も謝罪を繰り返す大畑を、喜美子は見下ろすようにして見ていた。

 

 やがて狂気に満ちた眼に理性の色が戻ってくる。


 喜美子は自分の体を見ようとさらに視線を下げた。


 しかしそこに身体は無く、あるのは虚空の向こうに透けて見える石畳の地面だけだった。

 


 せわしなく動き続けていた口が静かに止まる。


 やがてその唇は口角を下げて激しく震え始めた。


 

「お父さん……ごべんなさい……私……私死んじゃった……お父さんが必死で育ててぐれたの゙に……私…………!!」

 

 正気に戻った喜美子は両手で顔を覆おうとする。

 

 しかしあるはずの手はどこにもなく、泣き顔を庇うものは何もない。

 

「い……嫌……嫌ぁァァっぁぁあぁァァァっァァァあ……!!」

 

 叫ぶ喜美子の顔に生傷が浮かび上がる。

 

 無惨な事故当時の姿が戻ってくる。

 

「い、嫌……!! 嫌われちゃう……!! こんな顔じゃ……あの人に嫌われちゃう……!! 嫌われ……」

 

 叫ぶ喜美子を大畑が抱きしめた。

 

「もういいんだ……もういい……あの男は死んだ……もうお前は……!!」

 

 それを聞いた喜美子の傷が引いていく。

 

 血の代わりにその両目からは涙が流れた。

 

「帰ろう喜美子……家に帰ろう……陽の当たる場所に帰ろう……」

 

 

「繋がった……」

 

 卜部はそうつぶやくと見えない糸をたぐるような手振りを見せた。

 

 その瞬間辺りの景色が闇に溶けていく。

 

「先生……!? これは……!?」

 

 かなめは卜部に駆け寄って袖を掴んだ。

 

「心配するな……出口だ……」

 


 そう言った卜部の視線の先に小さな光が見えた。

 

 光は徐々に大きくなり目がくらむ。

 

 やがて光に呑み込まれるようにしてかなめは何も見えなくなった。

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