袴田教授の依頼⑯
ヒグラシが鳴き始めた。
揺らめきながら沈む陽の球が山を橙に染めていく。
東の彼方は藍色に飲み込まれ、見上げた空は桃色と紫の美しくも妖しいグラデーションに姿を変える。
三人はいつの間にか早足になっていた。
いつまで続くかもわからない獣道。
背後には迫りくる闇の気配が在る。
かなめはちらちらと卜部の方を振り返った。
その度に卜部が背後を気にしているのが目に留まる。
その時だった。
「おい青木!! ペースを上げろ!!」
卜部が叫んだ。
青木も何かを感じていたのか何も言わずに頷くと小走りになった。
「先生……!! 後ろに何があるんですか……?」
かなめは我慢できずに卜部に叫んだ。
「わからん……!! だが……とても良くないものだ……!!」
「先生でも祓えないんですか……!?」
「……数が多過ぎる……」
かなめは思わず卜部の背後に視線を移した。
薄暗い夕闇の獣道を覆う草木の先が、さわさわと音を立てながら不自然に揺れているように見える。
ぞくりと震えが足元から上がってきた。
「青木さん!! もっと急いでください!!」
かなめは青木に向かって叫んだ。
西の山の輪郭に太陽が今にも沈んでしまいそうだった。
そうなれば彼等の時間がやってくる……
卜部は舌打ちしてその場にしゃがみこんだ。
「先生……!?」
「時間を稼ぐ……そのまま走れ!! 俺の足ならすぐに追い付く」
卜部はそう言って木の枝を拾うと、獣道を横切るように一本の溝を掘り始めた。
溝を掘り終えるとタバコの箱を取り出し中身を引っ張り出しては火を点けていく。
一本ずつ咥えて火を点け、祈る。
聖別したタバコを溝に立てる。
迫りくる彼等の気配を感じながらも緩慢な所作を疎かにすることは出来ない。
卜部の顔にも焦燥の色が滲み始めた。
ふいに視線を上げるとさらに濃くなった闇の中に、卜部は異形の影の姿を
最後の一本を咥えてライターを擦る。
しかし風が火をかき消しうまくタバコに火がつかない。
「くそっ……こんな時に……!! いや……こんな時だからか……」
ガサガサと草木を掻き分ける音が迫ってくる。
ズルり、ズルり……と足を地面に擦る音まで聞こえ始めた。
ジュッ……
その時ライターの明かりが灯った。
卜部は大きく息を吸い込みタバコに火を点け祈る。
「そうすれば、あなたの光が暁のようにあらわれ出て、あなたは、すみやかに癒やされ、あなたの義はあなたの前を行き、主の栄光はあなたのしんがりとなる」
「飢えた者にあなたのパンを施し、苦しむものの願いを満ち足らせるならば、あなたの光は暗きに輝き、あなたの闇は真昼のようになる」
卜部は祈り終えると最後のタバコを溝に刺した。
そこには赤々と燃えて整列する十二本のタバコが、煙の柵を作り出していた。
「ここが昼と夜との境界線だ。貴様たちはここを越えられない」
卜部は柵の向こうに蠢く闇に目を細めた。
「貴様たちは何者だ……?」
しかし答える者は無かった。
卜部は大きく息を吐き出すと、かなめ達の後を追って駆け出した。
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