袴田教授の依頼㊴

 

 憲兵隊に選ばれた十人の兵隊達は兵器工場の前で正木を待っていた。

 

 兵器工場と言っても、施設全てが工場なわけではなく、向かって右側が工場棟、左側は研究棟といった具合に内部には明確な区分があった。

 

 工場では作業員達が黙々と化学兵器を製造している。

 

 作業員達は灰色の作業着に身を包み、その目は虚ろでどんよりと濁っていた。

 

 分厚いマスクで顔を覆い、締め切った部屋で作業する作業員達の胸元には、大きな黒い汗染みが出来ている。

 

 兵隊達が鉄格子の嵌った窓越しに彼等を観察していると、中央の扉が勢いよく開き、正木が姿を現した。

 

「一体何事かね!? 私は研究で忙しいのだよ!?」


 正木は不機嫌そうに声を張り上げた。

 

「はっ!! 我々はスパイ捜索のため佐々木中将に憲兵隊に選ばれた十人であります!! 佐々木中将からで参ったと言えば分かると、言付けを受けております!!」

 

 それを聞いた正木は表情を一変させてにまにまと笑いながら猫撫で声を出した。

 

「おおぉ!! そうだったかぁ〜!! いやぁ〜!! それは失礼した!! !! ふむふむ十人ぴったりか!? ご苦労!! さあ!! こっちに来たまえ!! 中を案内しよう……」


 正木に連れられて、十人の兵隊達は建物の中に入った。

 

 正木は研究棟には向かわず中央階段の脇に設けられた小さな扉の前に兵隊達を導く。


「ここはね……の保管庫だよ。この施設で最も重要な部分だ」


 正木は屈み込んで何やらブツブツとつぶやいた。


 すると鉄の扉に設けられた文字盤がひとりでにくるくると動き始めた。

 

「す、凄い技術でありますね!? いったいこれはどうなって!?」

 

 若い兵隊が思わず口を開いた。

 

「驚いたろう? これこそこの研究所が誇るにほかならない……!! さぁ……中に入りなさい……君達はもっと驚くことになるだろう……」


 正木はニタニタと笑いながら手招きした。 


 妖しい笑みを浮かべる正木の前を横切って、一人、また一人と兵隊達が暗い穴の中に進んでいく。

 

 

 地下水が染み出した壁は、裸電球の光を反射してぬらぬらと光っていた。

 

 深緑の苔や石くらげの生えた階段はつるつると滑って気色が悪い。

 

 兵隊達は壁に手を付きながら慎重に階段を降りていった。

 

 階段を下りきるとそこは細長い通路で、その両脇は地下牢になっていた。

 

 鉄格子の向こうには怯えた目をしたが壁にへばり付くようにして座っている。

 

「正木大佐!! 丸太に尋問する許可を頂きたく!!」

 

 兵隊の一人が声を張り上げた。

 

「まぁまぁ……待ちたまえ。尋問はあとでゆっくりとするといい。今すべきことはこの先にある実験室でこれからの説明を聞くことではないかね?」

 

「わ、我々は実験のことは……科学はからっきしで……さっぱり解りかねます……」

 

「いやいやいや〜!! それではいかんよ!? これからの日本を背負って立つ若者が、ましてや!! この科学の最先端たる一三七三部隊に所属しながら、科学の《か》の字も知らんとは!!」


 兵隊達は互いに顔を見合わせてささやきあった。

 

「まだわからんか!? 佐々木中将が君達をここに送り込んだ真意が!!」


 正木は目を細めて最年長と思しき兵隊を見た。


「と……言いますと……?」


 最年長の兵隊は周囲の仲間をちらりと見てからおずおずと尋ねる。


「佐々木中将の目的は、君達を!! 私が研究する、このの専門家に育て上げることだ!!」


 正木は指を天に向けて力強く言い放った。


「いいかね!! いかに優秀な兵器があっても、それを取り扱える者がいなければ宝の持ち腐れというものだよ……!!」


「なるほど……ごもっともであります!!」


「よろしい!! わかったら行きたまえ!! 扉の奥が実験室だ……そこで説明しよう……」

 

「はっ!!」

 

 兵隊達は高揚した様子で奥へと進んでいった。

 

 しかし若い兵隊はどこか胸騒ぎがした。

 

 ふと丸太の入った檻を見ると、独房の奥で少女の口が動くのが見えた。

 

 

 逃げて

 

 

 そう言ったように思った。

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