袴田教授の依頼㊵


 

 怨嗟の声と悲鳴、金切り声と絶叫。


 それらが混じり合った混沌の闇が、惨憺たる夜が、朝焼けに照らされて溶けていく。

 

 しかし溶け出したその闇が消えることはなく、盆地に溜まり、地下深くに染み込んでいく。

 

 足下深くでずるり……ずるりと胎動を続ける闇を踏みつけながら、卜部はかなめと青木が待つ小屋へと走った。

 

「かめ!! 無事か!?」

 

 引き戸を開いた卜部の目に床に伏したかなめの姿が飛び込んできた。

 

 それと同時に卜部の鼻腔は禍々しい呪詛の痕跡を嗅ぎ取った。

 

……!! しっかりしろ!! 何があった!?」

 

 卜部はかなめに駆け寄ると、その体を抱き起こして呼吸を確認する。

 

 冷たい汗が背筋を伝い、自身の動悸が激しくなっていることに困惑しながらも、卜部の頭は努めて冷静にかなめの状態を確認していた。

 

 大丈夫だ……息はある……!!

 

 かなめの左肩に残った邪悪な気配の正体を見極めようと卜部がを凝らしたその時だった。

 

「せ……先生っ!! え!? 近っ!!? えええええええ!?」


 かなめは目を覚ますなり、顔を真赤にして大声を上げた。

 

「ななななな……何で私は抱かれてるんですか!?」

 

 耳まで赤く染めて騒ぐかなめを見て、卜部の全身からがっくりと力が抜けた。

 

「帰ってきたらお前が倒れていた……凶悪な呪詛の痕跡もある……」

 

 それを聞いてかなめは昨夜の出来事をつぶさに思い出した。

 

 思い出しておそるおそる左の肩に目をやる。

 

 しかしそこに別段変わった様子はなく、何も違和感は感じない。

 

「俺の責任だ……すまなかった……危うくお前を死なせるところだった……すまない……」

 

 卜部は床に手をついて深々と頭を下げた。

 

 そんな卜部を見て、かなめは慌てて両手を突き出し言う。

 

「ちょ!! やめてください!! 先生のせいじゃありません!! 委任状も一度目はちゃんと効いてたし……あんなの誰にも予想できません!! それに……」



 かなめは卜部と同じ高さに頭を持っていくと、卜部を真っ直ぐに見つめた。

 

 卜部もそれに応えるように顔を上げ、かなめの目を見かえした。



「わたしは先生のです!! 先生に守ってもらう対象じゃありません!!」


 

 強い光を宿すまっすぐな瞳。

 

 怪異から己の身を守ることもろくに出来ないこの助手は、心の底からそう思っている。


 それを改めて思い知り、卜部は思わずふっと息を漏らした。



「そうか……そうだったな……すまん」


「そうですよ!! それにこうして無事に生きてます!! 呪詛も先生が治してくれれば問題ありません!! それより……何があったか詳しく説明します……」


「ああ。詳しく聞かせろ」


 かなめは昨夜の出来事を事細かに伝えた。


 卜部は掻き上げた髪を後頭部でかき混ぜながらその話を黙って聞いていた。

 

 かなめが話し終えると卜部は長い溜息をつき言う。

 

「敵はこの地に縛られた霊ではないらしい……どうやら……罠にはまっていたのは俺たちだったようだな……」

 

「……青木さんもそう言ってました……」

 

「いや……そいつは青木じゃない……誰かまでは解らんが、青木の中に別の誰かがいる……」

 

「憑依されてるってことですか……?」

 

「そのさらに上……だ……!!」


 卜部が苦い表情を浮かべてつぶやいた。 


「成り代わり……?」

 

「ああ。相当高次の霊体にしか出来ん芸当だ……何かしらの条件を満たした相手の全てを自分の手中に収めて、相手の人生に成り代わる……」

 

「それって……なんだか……」

 



 別の身体で生き返るみたい……



 

 かなめは思った言葉を口にすることが出来なかった。

 

 口にすると恐ろしいことが起こるような気がした。

 

 そんなかなめに気が付いた卜部は、何も言わずに静かに頷く。


 

「それより……まずはお前にかけられた呪詛を何とかする……」

 

 そう言って卜部は目を瞑ると精神を集中するように細く長い息を吐き出した。


 そして何かを覚悟したように小声で短く言う。

 



「脱げ……」



 

「はい……脱ぎ……はいぃぃぃぃぃぃぃぃぃい!?」

 


 盆地全体にかなめの声が響き渡った。

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