烏丸麗子の御遣い㉚


 

 卜部とかなめはの前に降り立った。


 剥き出しの電線に等間隔に設けられたトンネル用の明かりが、坑道に通ずる扉を不気味に照らし出している。


 


 アーチ状に組まれた古いレンガの枠組みの中に、重たい鉄の扉が嵌め込まれていた。

 

 レンガは薄汚れた黄土色で、大部分が煤けて黒ずんでいる。


 よくよく見ると、アーチの天辺には鋳造されたプレートが掲げられていた。

 

 浮き彫りになった文字に目を凝らすと『大日本帝国陸軍第拾捌号坑道だいにほんていこくりくぐんだいじゅうはちごうこうどう』と書かれているのが見て取れる。

 

 


「やれやれ……また帝国陸軍か……まったく……胃が痛くなりそうだ……」

 

 卜部は吐き捨てるようにつぶやいた。

 

「お腹が痛いのはいつものことじゃないですか」


 それを聞いてじろりと睨む卜部を無視して、かなめは静かに深呼吸をする。

 

 

「おいかめ……さっきの小瓶を寄越せ……」


 不機嫌そうな卜部の声が暗闇に響いた。


「かなめです!」

 

 そう言ってかなめは小瓶を手渡す。

 


「さあ……これで開くといいが……」


 卜部は蛆の入った赤い液体を地面に垂らした。



「やっぱり中身は血ですよね……?」



「ああ。だがただの血じゃない……大畑喜美子の蛆を混ぜただ……。俺の前で事故を起こしたことを後悔させてやる……」


 低い声で唸った卜部の眼の中に鈍い光が揺らめいた。


 それを見たかなめの肩にぎゅっ……と力が入る。



「擬似的に事故現場を再現できれば中から出てくるはずだ……そのうえ幽霊列車の呪いの力で、ここが事故現場なのは間違いない……条件は揃ってるはずだ……」





「出てくるって……坑道の主ですよね……?」

 

 卜部はかなめの方を振り向いて口角を吊り上げた。


「それ以外に誰がいる……?」



 かちっ……

 

 小さな音がトンネルに響いた。

 

 二人が同時に目をやると、南京錠が独りでに開いたところだった。

 

 

「来るぞ……」

 


 ぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ……がらん……

 

 鉄の閂が酷い音を立てながら地面に落ちた。

 

 息を潜めて様子を窺っていると、扉の隙間から白い手がするすると伸びてくる。

 

 その手は折れ曲がりながら、血溜まりの中で藻掻く蛆に向かって進んでいった。

 

 やがて白い手は血溜まりの蛆にたどり着く。

 


 くちゅ……

 

 血まみれの蛆を摘み上げた手は、考え込むように蛆の感触を確かめていた。


 するとその手は何かに気付いた様で、ふるふると震え始める。


 辺りに息が苦しくなるような重たい空気が広がった。


 それが主の放つ怒りのせいだと気が付いてかなめは思わず退きそうになる。




 刹那、卜部は一本の矢を握りしめてその手に襲いかかった。



「うおおおおおおおおおおおおおお!!」


 怒号とともに、卜部はその手にやじりを突きたて、そのまま地面に磔にした。



 その瞬間、扉の奥からこの世のものとは思えないような恐ろしい叫び声が轟きわたった。



「行くぞ!! 破魔矢で貫いたが長くは保たん!!」



「中に入ってからはどうするんですか!?」

 


「とにかく逃げるしか無い……!! は人間の手には負えない……!!」


「さっき後悔させてやるって…!?」


「言葉の綾だ…!! 急げ!!」



 のたうつ白い腕を尻目に卜部とかなめは扉の隙間に潜り込んだ。

 


 扉の中にはレンガやモルタルで補強された狭い通路が伸びていた。

 

 天井から等間隔に下げられた裸電球が、通路に光と影とを映し出している。

 

 

 通路の奥から伸びる白い腕に触れないように、卜部とかなめが走っていると背後でと扉が閉じる音がした。

 

「破魔矢が破られた……!! 急げ……!!」

 

 卜部はそう言ってかなめを前に押し出した。


「先生は……!?」 


「時間を稼ぐ……!!」

 

 卜部はそう言って鞄から縄を取り出すと、鉄の杭で壁に打ち付け始めた。

 

 そこに鳥を思わせる御幣を下げて卜部は静かに手を合わせて言う。

 

「神の在座ます鳥居に伊禮いれば此の身より日月の宮と安らげくす。と……かしこみかしこみ白す……」



 その瞬間、鳥の御幣が鋭く一声鳴いた。 


 その光景に目を奪われ、思わずかなめの足が止まる。




「バカタレ……!! 呆けて見てる場合か!? 走れ……!!」



 卜部の声で我に返りかなめは再び前を向いた。


 そこでかなめの目に飛び込んできたのは、前方から迫りくる無数の白い腕だった。

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