袴田教授の依頼⑭


 卜部はおもむろにドアを開けて車外に降り立った。

 

 かなめもすぐに卜部の後を追う。


 青木はクルクルと手動の窓を開けて卜部とかなめに声をかけた。

 


「ど、どうするんですか!?」

 

 

「轢いて行くつもりか? 退けないわけには先に進めないだろ」

 

 それを聞いた青木は慌てて手伝いに降りてきた。

 

 鹿の遺体を無言で見下ろす卜部とかなめの背後から、青木は覗き込むように首を伸ばした。

 

 

「え……? ひぃぃぃぃっ……‼‼」

 


 青木は悲鳴を上げると尻もちをついてズリズリと後退りする。


 その音に驚いた蝿の大群がブンブンと音を立てて舞い上がった。


 

「先生……何なんですかこれ……?」

 

 かなめは右腕の袖で口元を覆いながら卜部を見た。

 

 卜部は黙ったまま右手で前髪を掻き上げると、その手を後頭部でぴたりと止めて考えを巡らしている。

 


「こ、こんなの……!! 絶対普通じゃないですよ……!!」

 

 青木が背後で叫んだ。

 

「うるさい。少し静かにしていろ」

 

「で、でも……だって!! 鹿なんて異常じゃないですかっ……!?」

 

 かなめは再び鹿の遺体に視線を移した。

 

 立派な角を生やした雄鹿の腹は、胸の辺りから肛門付近まで一直線に裂けていた。

 

 そこから凸凹とした腸と巨大な胃袋が溢れ出してアスファルトの上に広がっている。

 

 しかしはどうでも良かった。

 

 雄鹿の裂けた腹から血に塗れた鹿の胎児が顔を出しているのだ。

 

 それも一匹や二匹ではなく空いた腹腔を埋め尽くすようにたくさんの……

 

 雄鹿のは舌をだらりと突き出しており、眼はどんよりと濁っていた。


 まるで苦痛に喘ぐようなその表情にかなめの背中にも寒気が走る。

 

「雄鹿が妊娠するわけはない……誰かが殺した雄鹿の腹に鹿の胎児こいつらを詰めたんだ……」

 

 そう言って卜部は胎児の中の一頭を両手で掴んで引っ張り出した。

 

 ぐちゅり……

 

「うっ……」


 その音に思わずかなめも目を瞑る。


 青木は道端に駆け出していきそこで嘔吐した。 


 卜部は顔を顰めながらもさらに強く胎児を引いた。

 


「何だと……?」

 

 山道に卜部の声が静かに響く。

 

 かなめが薄く目を開くと、子鹿から伸びた臍の緒が目にとまった。

 

 臍の緒は他の胎児に絡みあいながら、雄鹿の内臓にしっかりと繋がっている。

 

 卜部は子鹿を元に戻すとすっと顔を上げた。

 

 卜部の視線の先には藪に飲まれかけた獣道が奥へ奥へと伸びているのだった。

 

 

「どうやらこの鹿の来た場所と、俺たちの目的地は同じ方角らしいな……」

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