烏丸麗子の御遣い59
「大畑さん戻ったぞ……作戦とあんたの娘の件だが……」
卜部がそう言って扉を開くとそこには誰もいなかった。
宙に浮いた言葉が煉瓦の隙間に染み込んで消えていく。
「どうしたんですか? また立ち止まって……」
卜部の背中越しに部屋を覗き込んだかなめも言葉を失った。
「まさか……メル・ゼブブに……?」
こわごわ口に出したかなめの言葉に卜部は首を横に振る。
「いや……抵抗した形跡も、
「でも……ここを出て、行くところなんてどこにも……」
「いや……ひとつだけある……」
卜部は髪を掻き上げ虚空の一点を睨んで言った。
「娘のところだ……!!」
その言葉にかなめは困惑した。
困惑しながら卜部に問いかける。
「でも喜美子さんはここにはいないって……先生が言ってたんじゃ……?」
「そうだ。確かにいなかった……だがどういう訳か入ってきたんだ……」
「それってさっきの音と何か関係があるんですか……?」
卜部はかなめを見つめて目を細めた。
「ほう……かめにしては勘がいいな。そういうことだ。どうやら風向きはあまり良くないらしい……」
「かなめです……!! 手はあるんですよね……?」
「まあな」
そう言って卜部はわざと指の無い手をひらひらさせた。
「もう……!! 真面目にやってください……!!」
膨れたかなめを見て卜部は満足そうに口角を歪めた。
「安心しろ。指は無いが手ならある……それに……」
「それに……?」
「奥の手もある……!!」
卜部は不敵に笑うと鞄から畳まれた半紙を取り出しかなめに投げて寄越した。
「何ですか? これ」
「今からもう一度神殿に行く。着くまでに死ぬ気で覚えろ……」
「はい!? こ、これ全部ですか!?」
「そうだ……」
心なしかバツ悪そうにつぶやく卜部にかなめが噛み付いた。
「な、何でもっと早くに言ってくれないんですか!! こんな土壇場になっていきなり……!!」
「……」
半紙を睨んで震えるかなめから目を逸らして卜部はぼそりとつぶやいた。
「さっき思い付いたからだ……いくぞ。頼りにしてる……」
「だ、騙されませんよ……!? そんな取って付けたような言葉に……!!」
すでに歩き始めた卜部を追いかけながらかなめが言う。
そう言いながらもすでにかなめの視線は半紙にびっしり書かれた文字の羅列に移っていた。
「先生……」
「なんだ……?」
「頼りにしてるんですか……?」
「……」
ちらりと見上げるかなめと目が合い、卜部はさっと目を逸らす。
「先生……?」
「今度はなんだ……?」
「これ……何て読むんですか……?」
「……」
「……貸せ……読み仮名を振る……」
「お願いします……」
「先生……?」
「ええい……!! 今度は何だ!?」
壁を下敷きに読み仮名を振っていた卜部が振り向き様に叫ぶと、そこには俯くかなめが立っていた。
「無茶しないでくださいね……? 隠してますけど……左の腕……酷い怪我ですよね……?」
卜部はため息をついて目頭を摘む。
「気付いてたのか……心配するな。生きてさえいれば何とでもなる……奴を封印できればこの呪いも解けるだろう……」
卜部は袖を捲り、どす黒い血の滲んだ左腕を露わにした。
その包帯の下が微かに蠢いたような気がしてかなめの血の気が引く。
それでもかなめは目を瞑るのをぐっと堪えて卜部の呪われた腕を真っ直ぐに見つめるのだった。
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