烏丸麗子の御遣い58
裸電球の並ぶ狭い通路の壁を探りながら卜部が口を開いた。
「ここに書かれているのは全て人の名前だ……」
確かに壁に書かれた漢字に混じってアルファベットのようなものが書かれている。
しかし流暢な筆記体で書かれたそれはかなめにとっては解読不可能な暗号のように見えた。
「名前ですか……?」
いまいちピンとこないかなめは
「そうだ……そしてある共通点がある……アヴィダン……ガドット……スタインバーグ……タル……ヨナス……オッペンハイマー……アドラー……アインシュタイン……」
真剣な表情で読み上げる卜部を尻目にかなめは首をかしげた。
「てんでばらばらに思いますけど……」
「分かる者にはすぐ分かる……これはある人種の特徴的な名だ……」
「ある人種って誰なんですか……?」
おずおずと尋ねるかなめに卜部は視線を移した。
その目に揺れる悲しみにも似た鈍い光にかなめは思わず息を呑む。
「ユダヤ人だ……」
卜部は唸るようにつぶやいた。
重苦しい声だった。
その声色とユダヤ人のキーワードが、かなめに一つの答えを想起させる。
「まさか……」
「ああ……これは恐らく
そこはかとなく不吉な響きを孕むその言葉が、地下の空気を一気に張り詰めさせていく。
「でも……なんでそんなものが……? それと結界に何の関係があるんですか……?」
「この文字には強烈な無念と悲劇が籠もってる……恐らくこのインクには被害者の血が混ぜられているんだ……」
「それが結界を穢した……ってことですか……?」
「そうだ。国守はメル・ゼブブを封じるために内向きに螺旋を描く浄化の火を張り巡らせたらしい」
「青木はその清浄さの中に、恨み辛みを混ぜ込んで、メル・ゼブブにも耐えうるレベルまで清さを低下させたんだ……流石に不浄の化身たる本体は外に出られないようだがな……」
「じゃあ……!! この文字を消せば……!!」
血文字をじっと見つめるかなめに卜部が言う。
「無理だ……元々の結界を破壊して上書きしている。血文字を消したところで、結界が持つ本来の力は戻らない……」
「じゃあ……また振り出しですね……」
かなめは静かに肩を落とした。
「いや。浄化の火が
かなめはゴクリと唾を呑む。
聞けば恐ろしい名前が卜部の口から飛び出すような気がして、言葉が出てこない。
卜部はそんなかなめをちらりと見やってから踵を返して歩きだした。
「かめ……!! 一旦戻るぞ。大畑さんが気掛かりだ」
「亀じゃありません!! かなめです……!! 先生……!! さっき言ってた仕込みはいいんですか!?」
慌てて卜部の後を追いながらかなめが叫んだ。
「むぐっ……!?」
突然立ち止まった卜部の背中に顔から激突したかなめはうずくまり鼻を押さえて悶絶する。
「いきなり止まらないでください……」
涙目になりながらつぶやくかなめの左手を卜部が乱暴に掴んだ。
「え!? え!? え!? な……!? 何ですか!?」
卜部は何も言わずに無事な右手でかなめの手をまさぐっていた。
真剣な表情でかなめの手をひとしきり観察すると卜部はパッっと手を離し再びかなめの前を歩き出す。
バクバクと鳴り止まぬ心臓の音を聞きながらかなめはうずくまったまま固まっていた。
そんなかなめに卜部の怒声が飛んでくる。
「おいかめ……!! モタモタするな!! 置いていくぞ!?」
「は……はい……!? かなめです……!?」
上ずった声で反射的に返事を済ますと、かなめはパタパタと顔を扇ぎながら卜部の背中を追いかけた。
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