烏丸麗子の御遣い㊽
卜部の左手がパキパキと音を立てた。
「餌の時間だ……
みるみるうちに左手の五指が乾涸びていき、卜部の手からぽとり、ぽとりと落ちていく。
落ちた人差し指と薬指は音を立てて姿形を変えながら、巨大な腕になった。
親指と小指は巨大な脚になった。
残った中指は胴体とそれに連なる首になった。
それらを無数の甲虫達が繋ぎ合わせ、地下の神殿に蟲虫蠢神が姿を現す。
数多の生贄を喰らい脈々と受け継がれてきた蠱毒の王は、目の前に立ちはだかる蠅の女王に咆哮を上げた。
メル・ゼブブは
それを合図に身体を覆っていた無数の蝿が飛び立ち、腐った乳房が露わになる。
すると青白い腋から無数の白い指が生えてきた。
卜部はうねうね蠢く指に目を凝らす。
それが無数の蛆だと分かり、卜部は顔を顰めながら蠢神に命を下した。
「あの蛆虫共を喰い散らせ!!」
蠢神はパキパキと渇いた音を立てながらメル・ゼブブに突進していった。
メル・ゼブブは迫りくる蠢神に動じること無く、蛆で出来た無数の腕を伸ばした。
蠢神を形作る獰猛な甲虫達はその腕を片っ端から食い散らしたが、一本、また一本と蛆の腕は蠢神に纏わりつき、ぐじゅぐじゅと躰を
堪らず悲鳴を上げて退こうとする蠢神を、メル・ゼブブは許さない。
巻き付けた腕で抱き寄せるようにして蠢神を拘束すると、メル・ゼブブは蠢神に向けてゾッとするような笑みを浮かべた。
離れた場所で二の矢を仕込んでいた卜部も、メル・ゼブブが放ったおぞましい気配に身の毛がよだち思わず顔を上げる。
見るとメル・ゼブブが真っ赤な唇をずぼめて蠢神に朽ち漬けを施すのが見えた。
蠢神は恐怖に身を震わせながら、必死に逃れようと身を
遥か昔に風化し、摩耗し、失ったはずの恐怖の味を思い出し、蠢神は悲鳴をあげた。
しかしそんな蠢神を愛おしむように、メル・ゼブブは自身の白い手を蠢神の頬に添えた。
撫ぜるようにその細い指先が動き、蠢神の頬に三本の爪痕を刻み込む。
すぼめられた赫い唇は、性器のように、排泄器のようにぬらぬらと湿り気を帯びて蠢神の額に迫った。
ちゅ……く……
いつしか無音になった神殿に
同時に蠢神の身体が黒紫に明滅した。
烏賊が擬態するようにチカチカと、ぬらぬらと、明滅を繰り返した後に、蠢神はか細く長い悲鳴を上げて地に堕ちた。
ひゅぅぅぅぅ……
その声はまるで猟銃で撃たれた草食獣が末期の時に上げるひ弱な断末魔のようだった。
乾ききっていた蠢神から腐敗したどす黒い汁が溢れだし、床に出来た液溜まり中では数多の蛆達が頭を上下させて小躍りしていた。
メル・ゼブブは長い舌で自身の手をずるりと舐めあげると、その手を倒れた蠢神の額に差し込んだ。
その瞬間、卜部に激しい悪寒が走る。
卜部は急いで小刀を取り出し、左腕の肘から手首までを、躊躇いなく縦に引き裂いた。
「血と傷により汝との契約を絶つ……!!」
傷口から無数の蛆が飛び出し、卜部は苦痛に呻き声をあげた。
なおも左腕の皮膚を食い破って数匹の蛆がこぼれ落ちたが、卜部はそれを無視して地面に書いた経文に触れて叫んだ。
「オン ガルダヤ ソワカ……!!」
青白い焔が卜部とメル・ゼブブの間に高々と燃え上がった。
ぱちん……
メル・ゼブブは動じること無く指を鳴らす。
すると頭から無数の蛆を生やした蠢神が身を挺して女王を庇った。
青い火に焼き尽くされ、蠢神が塵に却っていく。
焔が消えると卜部の姿も神殿から消えて無くなっていた。
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