烏丸麗子の御遣い㊾
卵の洞窟を走りながら、かなめは今にも泣き出しそうになるのを堪えて大畑を引っ張っていた。
神殿を出てすぐに、大畑は脇腹を抑えて苦しそうに呻きはじめたのだ。
シャツを捲ると、皮膚の下で何かが這い回っているのが見えた。
「大畑さん……これは……」
「蛆だ……裏切ると内臓を食い荒らすと脅された……それだけじゃない……娘を蛆に変えて……永遠に糞山を喰らわせ続けてやると……」
「すまねぇ……本当にすまねぇ……すまねぇ……」
泣きじゃくりながら大畑は謝罪した。
かなめはそんな大畑を肩に担いで来た道を引き返す。
「おい……俺なんか放っておいて……あんたは先生のところに……!?」
「わたしは先生の助手です……!! 先生は……先生は大丈夫って信じてます……!! それに……」
「先生と約束したんです……!! あなたを守るって……!! 先生が帰ってきた時、あなたが状況を打開する切り札です……!!」
涙でところどころ声を詰まらせながらも、かなめは前を向いて歩いた。
グロテスクな卵の下、水に浮かせた大畑を引き歩いた。
卜部が追いついて来ないかと、何度も何度も振り向きながら、その度に再び溢れそうになる涙を堪えて歩いた。
とうとう二人は日本兵達が占拠する広い空間にまで戻ってきた。
先程の出来事が嘘のように、彼らは再び作業に従事している。
「行きます……声を出さないように……」
かなめはそう言ってポケットに残っていた卜部のタバコに火を付けた。
卜部が焚いた香は、とうの昔に消えている。
効果があるかもわからないタバコの煙の中に卜部の匂いを嗅ぎ取って、かなめはきっと出口を睨んだ。
とにかくアジトまで帰れば……きっと先生もそこに……
かなめは意を決して広場の中に足を踏み入れた。
広場の中ほどまで来ただろうか?
瞬間、背筋にゾクリと冷たいものが走る。
目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目
眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼
瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳
無数の目が一斉にかなめと大畑をとらえた。
亡者たちはゆらゆらと二人の元に集まってくる。
慌てて来た道を振り返ったが、すでに退路は無数の日本兵によって絶たれていた。
「か、囲まれた……!!」
大畑が絶望の声を上げる。
「何か……!! 何か方法は……!? 先生なら……先生ならこんな時どうする……!?」
かなめは必死に記憶を辿るが、有効な解決策は何も浮かばない。
八紘一宇……
八紘一宇……
いつしかあの時の不気味な音頭が聞こえ始めた。
頭の中で木霊するその声を聞きながら、かなめの目に若い兵隊の光る瞳が飛び込んできた。
直感が告げる。
理由はわからない。
それでもかなめはその青年に向かって呼びかけた。
「助けて……!!」
黒く煤けた青年の顔にくっきりと浮かび上がった両の目がゆらりと瞬く。
「助けて……!! お願い……!!」
「耳を貸すな!! 敵の声に惑わされるぞ!!」
軍刀男が台の上から叫んだ。
「お願い!! 聞いて!! わたし達はあなたの敵じゃありません!! わたし達はあなたと同じ日本人です!!」
「惑わされるな!! 八紘一宇の家族でなければそれは非国民だ……!!」
「あなた達の礎の上に、平和な日本が出来たんです……!! それを忘れてごめんなさい……!! でも……でも……わたしは生きなきゃいけないんです……!! 大事な人が帰ってくるのを……待ってなきゃいけないんです……!! あなた達の帰りを待ってる人がいたはずです……!! その人の所に帰ってあげてください……!! 今も、今だって、ずっと待ってるはずなんです……!! わたしも待ってなきゃいけないんです……!!」
泣き叫ぶかなめの声が静まり返った広場に木霊した。
黒ずみ痩せこけた兵隊達は両手を垂らして膝を付き、むせび泣いていた。
「日本は平和なのか……?」
若い兵隊はかなめの前に歩み寄ると崩れるように膝を付いた。
「はい……今は平和です……問題は山積みですけど……それでも平和です……」
青年はこくこくと頷きかなめの肩に手を置いた。
「よかった……よかった……」
そうつぶやいて青年は顔を上げた。
「あとは君達がその問題を解決してくれ……約束だ……!!」
そう言ったかと思うと、青年は黒い煤になって崩れ去った。
周囲にいた兵隊達も次々と煤になって消えていく。
「貴様ああああああああああああああ……!!」
軍刀男の怒声が響いた。
鈍い光を放った抜き身の軍刀が高々と振り上げられる。
かなめがきつく目を閉じると、どさりと崩れ落ちる音がした。
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