烏丸麗子の御遣い㊻
かなめの目に飛び込んできたのは先程までの美しい女王の姿ではなく、腐敗と疫病を
黒と赫の外套だと思っていたものは無数の蝿達だった。
それが蠢き黒光りする度に、ビロード様な光沢を放っていたのだ。
赫の刺繍に見えたものは、真っ赤に裂けた膿んだ傷口だった。
腐ってとろけた無数の傷口から溢れる膿に蝿が集り、まるで外套のように彼女の身体を覆い尽くしていたのだ。
蠅の女王はかなめの目の前にかがみ込むと、そっと前髪をよけてみせた。
それを見たかなめは叫びそうになったが声を出すことは出来なかった。
代わりに大粒の涙が次から次へと溢れてくる。
垂れ下がった前髪で見えなかった目からは、手首ほどもある蛆が出入りしていた。
蛆は眼孔の奥でちゅくちゅくと女王の脳を喰らっていた。
蝿の女王は唇をすぼめて音を出す。
ちゅくちゅくちゅくちゅく
ちゅくちゅくちゅくちゅく
くちゅくちゅ
ちゅくちゅくじゅる
ちゅくちゅくちゅくちゅくちゅくちゅく……
かなめはいつしか一定の動作を続けるその唇に釘付けになっていた。
耳から骨を伝って脳に流れ込むその音は、まるでかなめの脳味噌を啜る蛆の咀嚼音のようで気が狂いそうになる。
気が狂いそうに、躁になる。
気が狂ったようで、苦しいような快楽に、気が狂い、躁に、なるのだ。
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱に釘付けになった。
躁鬱に、そううううう鬱になって気が狂いそうに。
ちゅくちゅくと脳髄を齧る蛆虫の合唱は終わることなき、終わりの見えぬ狂乱の乱交の淫行の性交の快楽に気が狂い躁、鬱になるるるる……
「かなめ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「嫌あああああああああああああああああああああああ」
卜部の声が聞こえ、かなめは自分が悲鳴を上げていることに気が付いた。
いつしか地に跪き、蝿の女王の足下に
おぞましい……
この世のおぞましさを煮詰めて固めたような、あるいは、おぞましさの源流とはここのことで、普段見知ったおぞましさは、ここから溢れた上澄みに過ぎないと思わせるほどに……
戦慄し身じろぎ一つ出来ぬまま、かなめの無意識下にある種の畏れが産まれる。
封じられた身体の動きを超えて骨が震え、奥歯がガチガチと音を立てた。
蝿の女王はそんなかなめを満足気に見下ろしている。
かなめは跪いた姿勢のまま這って後方に退いた。
「すまねぇ……ふたりとも……こうなっちゃしかたねぇ……」
そう言って大畑がその場で地に額をこすりつけた。
「女王陛下俺と娘を見逃してください……お付きの人との約束通り、二人をここまで連れてきました……!! どうか娘を……!!」
ちゅくちゅくちゅく……!!
女王は指を左右に振って音を出すと、そのまま跪く大畑の周りをぐるりと歩いた。
女王の尻のあたりからは太長い蛆の尾が垂れ下がっている。
蛆の尾は大畑の周囲を取り囲み退路を断ってしまった。
「ひっ……ひぃいいいいいいい……」
悲鳴を上げる大畑にゆっくりと青木が近づいて言う。
「嘘はいけませんね……大畑さん」
ペストマスク奥からこもった青木の声がした。
「あなたはここに来る直前になって、怖気づいて裏切ったじゃないですか? 逃げろ? でしたっけ?」
大畑は額を地面に擦り付けたままガタガタと震えている。
「それに……娘さんはあなたのことなんてどうでもいいみたいですよ?」
「え……?」
思わず顔を上げた大畑に女王は微笑みながら手の平に乗せた蛆を差し出した。
「なんと……メル・ゼブブ様は慈悲深く寛容だ……裏切り者のあなたを娘と一緒に眷属にして下さるとは……!!」
「あなたの娘は今もあの男にご執心だ……父娘仲良く眷属になれば糞を喰らう蛆にならずにすむぞ……? さあ……娘と自身を差し出せ……メル・ゼブブ様に永遠の忠誠を誓え……!!」
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