烏丸麗子の御遣い㉗ 榎本敏彦
【夕刻の壱】
卜部とかなめが部屋を去ってからも、榎本は席を立つことが出来ずにいた。
腹立たしさやら恥ずかしさやらが入り混じり、気が付くと膝の上に置いた拳を強く握りしめている。
その時だった。
コトン……
河本が消えたロッカーの中から音がした。
先程まで胸の中に渦巻いていた感情が一瞬で引き潮に攫われていく。
コトン……
再びロッカーから音が聞こえた。
ゴクリ……
自分が唾を飲み込む音が静かな部屋に滴り落ちる。
「榎本ぉ……俺だぁ……河本だ……」
「こ……河本さん!?」
咄嗟に立ち上がった榎本だったが、卜部の言葉を思い出して立ち止まった。
『せいぜい扉を開けないように気をつけるんだな……』
「開けてくれぇ……暗くて何も見えない……開けてくれぇ……」
榎本は黙ったまま立ちすくんだ。
いつの間にか嫌な汗が全身から吹き出している。
「聞こえてるんだろ……? 榎本ぉ……? 開けてくれよ……」
「開けろって言ってんだろぉが!?」
怒鳴り声が響き、ロッカーを内側から激しく叩く音が部屋に木霊した。
「い、嫌だぁあぁぁ……!! あっち行け!! 来るなぁ……!!」
榎本は耳を塞いで床にうずくまった。
その間もガン……ガン……とロッカーを叩く音は鳴り続けている。
「ナンマンダブナンマンダブナンマンダブナンマンダブ……」
知りもしない念仏を一心不乱に繰り返していると、ロッカーを叩く音がやんだ。
「助かった……?」
顔をあげた時だった。
ガチャ……
どきりとして音の方に振り返ると、駅長が冷めた目でこちらを見ている。
「榎本さん。そろそろ時間です。交代行ってきてください」
それだけ言うと駅長は部屋から出て行った。
慌てて榎本も駅長を追いかけ、逃げるように部屋を後にする。
「おい? 榎本さん大丈夫? 顔が真っ青だよ……?」
交代の車掌が心配そうに榎本に尋ねた。
「は……はい。大丈夫です……ちょっと腹の調子が……」
咄嗟に口にした言い訳に、榎本は内心ひやりとする。
馬鹿な……腹が痛いって……これじゃ大畑さんと同じみたいじゃないか……
不吉な妄想を打ち消すように榎本は頭を振って顔を上げた。
夕刻を迎えた駅のホームは人でごった返している。
その中に見覚えのある人影が立っていた。
その顔は人の濁流の中で微動だにせず、じっとこちらを見つめている。
しかし榎本はそれが誰だか思い出せない。
気味が悪くなって列車に乗り込むと、視界の端でその人影も列車に乗り込むのが見えた。
嫌な予感がした。
榎本は交代した車掌に、慌てて声をかける。
「おい!! すまない……!! やっぱり腹が痛くて駄目だ……悪いが変わってくれないか? 埋め合わせはちゃんとする……」
そう言って榎本は財布から一萬円札を取り出した。
男はちらりとそれに目をやってから渋々と言った表情で運転席に戻ってきた。
「こういうのバレたらまずいから、ちゃんとしてくださいね……?」
そう言って男は札を掴むとそそくさと懐に仕舞った。
「ああ……恩に着るよ……」
榎本は列車を見送るとがっくりと項垂れた。
今日はもう帰ろう……
これ以上
そう思い振り向いた時、電車に乗ったはずの例の人影が連絡通路の死角にスッ……と消えるのが見えた。
そんな馬鹿な……
嫌な予感がした。
「榎本さん……次はあんたの番だよ……」
「わあああああああああああああ……!!」
耳元で聞こえたその声に榎本は半狂乱になって駆け出した。
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