袴田教授の依頼㉑
なんだこの緊張感は……
かなめはドキドキとうるさい心臓の音が気取られないように息を殺してテントの隅で正座していた。
テントに入ってから卜部は一言も言葉を発していない。
何事かを考え込んでいるようで、かなめは声をかけるタイミングを逃してしまった。
テント特有のビニール臭さと沈黙が
ふと目をやると寝袋がごろんと床に転がっていた。
赤と紺の二つの寝袋が肩を寄せ合うようにして並ぶさまを見てかなめはゴクリと唾を飲んだ。
しばらく黙ってそれを見つめているとおもむろに卜部が口を開く。
「お前は……寝ろ。俺は……そばで寝る」
「はいっ!?」
かなめは突然の言葉に飛び上がった。
そ、そばで寝る……!?
「聞いてなかったのか? お前は奥、俺は出入り口のそばで寝る。俺の勘だが……間違いなく今夜何かが来る……すぐに動けるようにしておきたい」
それを聞いたかなめは安堵と同時に寒気を覚えた。
「了解です!! 出入り口のそばですね……!! でも……あれだけ念入りに魔除けを施したのに……来るんですか……?」
上目遣いに卜部の顔を窺うと卜部は苦い表情を浮かべて頷いた。
「ああ。嫌な予感がする」
そう言って卜部は赤い寝袋をかなめに投げて寄越した。
「わとと……」
かなめは慌ててそれをキャッチする。
「眠れる時に眠っておけ。袴田の話からするに、何かが来るのは夜中の三時あたりだろう……」
山の夜は初夏とは思えないほど涼しかった。
疲れ切っているうえに、決して寝苦しいわけではないにも関わらず、かなめはなかなか寝付けずにいた。
鼻腔をくすぐる慣れない寝袋やテントの臭いが引き金となって、遠い記憶が呼び覚まされる。
それは記憶の底に眠っていた、幼い頃に家族で行ったキャンプの風景だった。
声は聞こえない。
笑う両親と、はしゃぎまわる幼い自分の姿が目に浮かぶ。
かと思えば親の警告を無視してランタンに触れ、指先を火傷し大泣きしている自分がそこにいた。
かなめは自分の指先をそっと確認したが火傷の痕は見つからなかった。
再び目を瞑って記憶の糸をたどる。
母が絆創膏を貼ってくれて、やっと泣き止んだ幼いわたしは、両親に挟まれて眠る。
その時嗅いだ寝袋とテントの臭い。
それは幸せと痛みと興奮の綯い交ぜになった臭い。
ちょうど今のように。
かなめは寝返りをうって卜部の方に目をやった。
一瞬で全身に鳥肌が立ち、気がつくと悲鳴を上げていた。
「きゃああああああああああああああああ」
外の焚き火に照らされてテントに浮かび上がる黒い人影。
それはまるでテントの中を覗き込もうとするかのようにべったりとテントに張り付いていた。
すっ……と手が伸びかなめの口を塞ぐ。
咄嗟にひゅっっと息が止まった。
しかし見ると、それは寝たままの姿勢で伸ばされた卜部の手だった。
「静かに」
卜部は影を睨んでこちらに背を向けたまま小さな声で言った。
かなめはこくこくと頷いてそれに応える。
それを確認した卜部の手が静かに口元から離れていった。
卜部が立ち上がろうとしたその時、テントの外で蹄の音と怒声が響き渡った。
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