邪祓師の腹痛さん【呪孕告知・都市伝説創り】

深川我無

呪孕告知

袴田教授の依頼①

 

 排気ガスで薄汚れたビル群のさらに奥。

 

 薄暗い路地裏に忘れ去られた雑居ビルの前に男が立っていた。 

 

 くたびれたグレーのスーツを身に纏った男はサングラスを外してビルを見上げると、おもむろにガラス戸を押し開けて中に入っていった。

 

 生意気にも一階には守衛室があり、中では恰幅のいい守衛と思しき男が椅子に座ったまま新聞を被って居眠りをしている。

 

 一瞬声を掛けるべきかとも思ったが、男は声をかけずにエレベーターに向かった。

 

『故障中』

 

 黄ばんだ紙がエレベーターの扉に貼り付けられている。

 

 いったい故障中なのかと男は訝しみため息をついたが、諦めて階段に向かった。

 

 赤レンガ調のタイルが貼られた階段は異常に大きい音を立てて男を不快な気持ちにさせた。しかし目的の人物に会うためならば致し方ない。

 

 

 男がやっとの思いで五階にたどり着くと、階段の正面にアルミ製の扉が待ち構えていた。

 

 扉に備え付けられた擦りガラスの真ん中には白いプラスチックのプレートが貼られ、そこに明朝体の黒字で「心霊解決センター」と書かれている。

 

 

 男はプレートを確認するとノックもせずにドアノブを掴み、事務所の中に入っていった。

 

 

 

 がらんとした事務所の真ん中にはローテーブルと革張りのソファが二つ安置されている。

 

 アンティークと見える木製のデスクとスチールの事務机があり、事務机に座った若い女が胡桃色の目を丸くしていた。

 

 肩ほどまで伸ばした髪を群青色のシュシュで一つにまとめた女は、いかにも人懐こそうな笑顔を浮かべて立ち上がった。

 

 

「こんにちわ!! 依頼人の方ですか?」

 

 女が尋ねた。

 

 

 

「そうだ。おたくの霊媒師に用があってきたんだ」

 

 依頼人は女を一通り観察してから、苛ついた口調で言った。

 

 

「少々お待ち下さい!!」

 

 女は依頼人の態度など意に介さない様子でにっこり微笑むと、事務所にはどこか似つかわしくない観葉植物の鉢植えの裏に駆けていった。

 

 

「先生!! 依頼人の方がお見えですよ!! またストレス性の胃腸炎ですか!? それとも……」

 

 

 女がそこまで言いかけると、水の流れる音が聞こえてきた。

 

 どうやら観葉植物の影に便所があるらしい。

 

 

 

 ガチャリと音がして扉が開いた。

 

 

「五月蝿いぞ亀!! ストレス性の胃腸炎じゃない……この前の事件の……!!」

 

 

「亀じゃありません! です!! それより依頼人の方がお待ちですよ」

 

 

 かなめに急かされて出てきた男はじろりと依頼人を睨みつけた。

 

 その目には有無を言わせない独特の凄みが宿っている。

 

 

 先程まで苛立ちを隠そうともしなかった依頼人の気配がぐっと縮むような感覚をかなめは覚えた。

 

 

「あ、あんたが霊媒師か……たしか腹痛さんとか言う名で通ってる……」

 

 

「俺は卜部だ。こいつは助手の亀」

 

 

万亀山まきやまかなめです!!」

 

 

 かなめが割って入った。卜部はそんなかなめをじろりと睨む。

 

 

に用があるなら人違いだ。帰ってくれ」

 

 

 卜部はあからさまに不機嫌な表情を浮かべると苦々しげに言った。

 

 

「いや……すまない。あんたに話を聞いてもらいたい。他はどこをあたっても駄目だった……私にはもうここしか残されてないんだ」

 

 

 卜部はふんと鼻を鳴らすと、ソファを顎で指した。

 

 

「亀。茶を淹れろ」

 

「か・な・めです。もう入ってます」

 

 

 そう言ってかなめは卜部と依頼人の前に湯呑をそっと置いた。

 

 

「それで? 俺に何の用だ?」

 

 

 卜部に促されて依頼人の男は静かに語り始めた。

 

 

「申し遅れたが私は袴田悟はかまださとるという者だ。旧帝国陸軍について研究している学者だ。自称ではなく大学で教鞭も振るってる」

 

 

「それで、学者先生が俺に何のようだ?」

 

 

「実は……K県の山奥に、帝国陸軍が所有していたとされる秘密の化学工場跡がある……そこで私の研究助手の新井が行方不明になった……」

 

 

「警察は遭難による失踪事件として片付けたが……あれは遭難なんかじゃない!! 新井は…………!!」

 

 

 袴田はやつれた顔に黄ばんだ白目をかっと見開かせて言った。

 

 その目に宿った得体の知れない狂気のようなものに、かなめはごくりと唾をのむ。

 

 

「詳しく聞かせろ」

 

 

 見るといつしか卜部も真剣な表情を浮かべていた。

 

 両肘をローテーブルにつき、手の甲で口元を隠した瞳の奥には、鈍色の鋭い光がユラユラと揺れていた。

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