烏丸麗子の御遣い⑯

 

「な、なんだこれ……!?」

 

 私は潰れた蝿を見て後退り、河本さんの方に向き直りました。


 河本さんは驚愕している私のことなど気にも留めていない様子でした。



 その時やっと、私は彼の異変に気が付きました。 


 天井を見上げる河本さんの目がに動いていたんです……


 


 そこまで話して榎本えもとは隣で俯く河本に視線を落とした。

 

 河本は依然として俯いたまま小刻みに震えている。

 

 

「河本さん……」

 

 そう言って榎本は河本の肩を揺すった。

 

 びくりと肩を震わせてから、顔を上げた河本の目を見て、かなめは思わず手で口を覆った。

 

 首を傾けた河本の目は左右であらぬ方向に向いている。

 

 別々に動き回っていた目が突然と揃い、かなめの両目を捉えた。 


「ひっ……」

 

 思わず声を上げたかなめを見て、河本は口を半開きにしてにやりと気味の悪い笑みを浮かると、すぐに真顔に戻り、再び目線を泳がせ始めた。



「続きを話せ。きっかけをまだ話していないだろう……?」

 

「はい……」

 

 

 河本さんの状態もじゅうぶん気がかりでしたが、私がもっと気になったのは? という事でした。


 恐る恐る視線の先を見上げると天井の様子が何やらおかしいんです……


 最初は何がおかしいのか理解りませんでした。


 しかしよくよく目を凝らすと、天井にびっしりと……

 


 ……

 

 

「うわああああぁぁぁぁああ……!?」

 

 私は思わず悲鳴をあげました。

 

 ばちん……ベチン……

  

  バチン……!

 

 べちっ……

 

   ばち……ばちん……!!



 ばちばちばちばちばちばち

 ばちばちばちばちばちばち

 ばちばちばちばちばちばち



 無数の窓を叩く音がしました。

 


 震えながら目をやるとフロントガラスいっぱいに蝿の死骸が張り付いています。

 

 私ははっと我に返り、慌ててブレーキをかけました。

 

 視界が蝿で埋まり、このまま運転するのは危険だと思ったからです。

 


 ブレーキ音が響く中、減速する電車にと嫌な感触がありました。

 

 それはの感触に似ています。

 

 ありえない……こんな時間にこんな場所で……地下鉄の線路に人がいるわけがない……

 

 頭ではそう思いながらも、私の心臓は狂ったように高鳴っていました。



 減速する中、河本さんは窓の外を指差しています。

 

 私は、自分の意志とは反対に、気がつくと指差す先を見ていました。

 

 そこには線路の脇にぼーと白く発光する人の群れが並んで立っているのが見えました。

 

「ぎゃああああああああああああああ……!!」

 

 私が叫んで尻もちをついていると、窓の外を指差したまま河本さんが話し始めます。

 

「俺さ……昔人身事故やってるんだよ……ちょうど……」

 


「やってない……やってない……私はやってない……」

 

 私はガタガタ震えながら夢中で口走りました。


 

「この沿線でさ……女の人だった……飛び込んできたんだよ……」

 

「ホームを通過するところに突然飛び込んできたんだ……その時……女の人と目が遭ったんだ……」

 

「飛び込む女の人じゃない……女の人と目が遭ったんだ……」

 

「車両にぶつかってさ……その衝撃で……目がさ……別々の方を向いてた……」

 

 

「ちょうど……

 

 そう言って河本さんはぐるぐる目を回しながら、自分の顔を指差して嗤いました。

 

 それから一言こう言ったんです……

 

 

「次は俺の番だ……その次は……」

 

 



「榎本さん……あんただよ……」

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