烏丸麗子の御遣い51 榎本敏彦


 【朝の弐】

 

 目が覚めると酷い頭痛がした。

 

 見ると辺りにはビールの空き缶が散乱している。

 

 昨夜の出来事を思い出して榎本は深くため息をついた。

 

 ふと見上げると写真立てが目について悪寒が走る。

 

「なんで……?」

 

 振り返ると窓は確かにひび割れて穴が空いている。

 

「俺は昨夜……窓の外に写真を捨てたはずだ……!! なんでそこにあるんだよ!? ああん!?」

 

 榎本は痛む頭を押さえながら写真立てに向かって怒鳴り散らした。

 

 薄い壁を通して隣の部屋のテレビの音が聞こえてくる。

 

 ふと頭を過った苦情を無視して、榎本はどすどすと音を立てながら写真に近づいていった。

 

 

 どん……どん……

 

 

 案の定階下から箒の柄か何かで天井を突く振動が伝わってくる。

 

「うるせええええええええええええええ……!!」

 

 榎本は床に向かって怒鳴り声をあげると、地面を何度も踏み鳴らした。

 

 尋常ではない反撃にあい、階下の住人は沈黙する。

 

 榎本は鼻息荒く写真立てを引っ掴んで窓の外に思い切り投げ飛ばした。

 

「俺に付き纏うんじゃねぇ!! バカ女が!!」

 

 そう吐き捨てて振り向くと、棚の上置かれた写真立ての中から、女がにっこりと微笑みかけていた。

 


「わああああああああああああああああああああああああああ」

 

 

 榎本は悲鳴を上げて腰を抜かした。


 落ちていた鞄を抱きしめ、這いずりながら玄関に向かいドアを開けようとした時だった。

 

 

 コン……コン……

 

 一気に冷や汗が吹き出した。

 

 コン……コン……


 ばくん……ばくん…… 


 心臓が止まりそうなほど跳ねている。

 

「敏彦さん……お願いよ……ここを開けて……」

 

 

「ぎゃあああああああああああああああああああ」

 

 

 榎本はずるずると後ろ向きに退きながらもドアから目が離せずにいた。

 

 今にも郵便受けの蓋が開いて女の目がこちらを覗き込むのではないかと思うと、このまま見ていてはいけない気がする。

 

 それでも恐ろしくてドアから目が離せなかった。

 

 どうすることも出来ずに震えながらドアを見つめていると、乱暴にドアを叩く音が聞こえ始めた。

 

 がんがんがんがんがんがんがんがんがん

 がんがんがんがんがんがんがんがんがん

 がんがんがんがんがんがんがんがんがん

 

「もうやめてくれ……もやめてくれ……俺が何したって言うんだ……消えてくれ消えてくれ消えてくれ消えてくれ」

 


 榎本はつぶやくと耳を押さえて丸くなった。

 

「ちょっと……!! 聞いてるの!?」

 

 がんがんがん……!!

 

「さっきからうるさいわよ!? 出てこないなら警察に通報するわよ!? ねぇ!!」

 

 がんがんがん……!!

 


 榎本はその声で再び目を開ける。


 おそるおそるドアスコープから覗くと、隣に住む中年の女がイライラとした様子で立っているのが見えた。

 

 榎本は安堵の息を漏らして、慌ててドアに駆け寄った。

 

「すみません……ちょっとストーカー被害にあっててノイローゼ気味で……」

 


「敏彦さん」

 

 その声を聞いた瞬間、榎本の身体が硬直する。

 

 恐ろしくて顔を上げることが出来ない。

 

 俯いたまま見つめる自分のつま先の前に、ボロボロになった裸足の足が見えた。

 



「私の赤い靴……返して……?」

 


 榎本は叫び声を上げながら家を飛び出した。

 


 無理だ無理だ無理だ無理だ無理だ無理だ無理だ無理だ無理だ無理だ

 無理だ無理だ無理だ無理だ無理だ無理だ無理だ無理だ無理だ無理だ

 

 赤い靴は燃やしちまった赤い靴は燃やしちまった赤い靴は燃やしちまった

 赤い靴は燃やしちまった赤い靴は燃やしちまった燃やしちまったんだよ……!!

 


 まとまらぬ思考で大通りに飛び出すと、榎本は大急ぎでタクシーを捕まえる。

 

「どちらまで?」

 

 運転手が榎本に声をかけた。

 


 駅には行きたくない……

 

 とにかく何処か無関係な場所……

 

 そうだ寺だ……!!


 寺に匿ってもらおう……!!

 

 そう思って口を開こうとした瞬間にがした。

 

 

「■■駅までお願いします」

 


「了解しました」

 

 榎本が声も出せずに固まり俯いていると、視界の端に汚れてボロボロになった素足が見えた。

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