烏丸麗子の御遣い③

 

 かなめは卜部の残していった服をまじまじと見つめながら立ち尽くしていた。

 

 美しい縹色はなだいろの生地に、金の糸で小華の刺繍が入った美しいアオザイ。

 

 かなめのシュシュによく似合うその服についついニヤけそうになるのを我慢して、かなめは身支度のために備え付けられたシャワールームへと向かった。

 

 どろどろだったはずの身体が綺麗に洗われていることにふと気づく。

 

 一体誰が洗ってくれたのか……

 

 一瞬よぎった考えをかなめは頭の隅に押しのけ、もう一度シャワーを浴びることにした。



 服を脱いだ時、かなめは不意に夢の事を思い出す。


 恐る恐る鏡に目をやると、件の左肩には小さな赤い斑点が残っているのみだった。



「ふぅ……」


 思わず肩の力が抜けてため息をついた瞬間、肩を何かが這う感触にぞわりと身をよじる。


 咄嗟に肩を手で払うと、小さな蜘蛛が床に落ちカサカサと物陰に逃げていった。

 

 かなめは何となく不安になり、急いでシャワーをすませると、卜部の選んだアオザイの袖に手を通した。

 

 

「おい……!! 準備できたか!?」

 

 扉の外から卜部の声がした。

 

 かなめは姿見の前で最後の確認をする。

 

 着慣れぬ可愛らしい衣装に気恥ずかしさで一杯だったが、覚悟を決めて声を出した。

 

「ど……どうぞ!!」


 卜部が扉を開くと、光沢のある深い青に身を包み、純白の下服クワンを履いたかなめが立っていた。

 

 もじもじと手を擦り合わせながら、かなめは卜部を見上げて言う。

 

「どうでしょうか……?」

 

 卜部はケチを付けてやろうと言葉を探したが上手く言葉が見つからずに口を開けたまま固まった。

 

「先生……?」

 

「あ……ああ。いいんじゃないか……」

 

 バツ悪そうに横を向く卜部は黒のタキシードを着て蝶ネクタイをしめていた。

 

「わぁ……!! 先生タキシード似合いますね!!」


「こんなのは誰でも似合うように出来てるもんだ……!! それより、行くぞ。あまり遅くなるとが機嫌を損ねかねん……」


 卜部は扉を開けて外に出て行った。


 慌ててかなめも卜部の後に従う。



「先生の先生って……あの手紙にあったって人ですよね……?」

 

「そうだ……」


「いつから師事してるんですか?」


「俺がまだ十代のガキだった頃から世話になってる……」 


 卜部は振り返らずに答えた。



「そんな昔から!?」


「ああそうだ……」


 卜部は迷うこと無く迷路のように入り組んだ廊下を進んでいった。


 そんな卜部を見て、ここに来たことがあることをかなめは直感する。


 もしかしたら住んでいたことさえあるのかも知れない……


 そう考えると、まるで十代の卜部少年の影があちこちに見え隠れするような気がした。



 そんなことを思いながらかなめがあちこちよそ見しながら歩いていると、突然卜部が立ち止まった。

 

 ぶつかる寸前で踏みとどまったかなめを一瞥して卜部が口を開く。

 

「ここだ……何を聞かれても答えるな。何かを持ちかけられても絶対に応じるんじゃない……いいな?」

 

 そう言って卜部はステンドグラスの嵌め込まれた焦げ茶色のドアに手をかけた。

 

「烏丸先生……卜部です……」


 低い声で静かにそう言った卜部の声にしばらくしてから返事があった。



「どうぞ」


 真鍮のドアノブがカチャリと音を立てて回る。

 

 するりと開いた重たい扉の向こうは、色とりどりの花や観葉植物で一杯だった。

 

 壁一面の窓と、八角錐を半分に切ったような天窓からはたっぷりの陽光が差し込み、部屋の中を光の粒子で満たしている。

 

 その部屋の中央付近で、花と緑に囲まれてロッキングチェアが揺れていた。

 


 そのロッキングチェアに座る老婦の姿を見てかなめは驚愕すると同時に、やはりそうかと得心がいった。

 

 そこに座るのは見紛うことのない、夢で見た白髪の女性だった。

 


「やっと来たわね。……それに先生はやめてちょうだい……? いつも言ってるでしょ?」

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