烏丸麗子の御遣い64


「先生だって同じです……どんな痛みや恐怖よりも恐ろしいものを知ってるから……力で捻じ伏せて従わせようとしても、絶対に屈しないなんです……!!」


 

「意思の強さの話をしているのかな? そういうのは科学の前では無意味だよ。例えばどれだけ抵抗しようとしても薬物の効果は変わらない。呪いや呪術も同じさ。どれだけ意思が強くても、の前では何の意味もなさないのだよ……」


 

 青木は不敵に嗤うとペストマスクを被った。

 

 失ったはずの左手からはが生えており、うねうねと動いて五本の指の代わりを果たしている。

 


「君の大好きな先生と僕には意外なほど共通点が多い。この手もそうだ。彼も左手を失っていたね? 運命的じゃないか……!!」

 


 右手に注射器を構えてじりじりとにじり寄る青木を睨みながらかなめはわざとらしく鼻で笑う。

 

 

「先生をあなたみたいな負け犬と一緒にしないでください。あなたは約束を破った挙げ句、烏丸先生に怯えて女王様の下僕に成り下がった弱虫です……!! 生きてた頃も逃げ回ってばかりだったんじゃないですか?」


「でも先生は違う。二度と会いたくないはずの烏丸先生にも、わたしの解呪のために会ってくれる……!! どんなに不利な状況でも、怖いことが待ってると理解ってても、絶対に逃げ出したりしない……!! あなたみたいに怯えてこそこそ逃げ回ったりしないんです……!!」



 

 その言葉で青木の纏う雰囲気が変わった。

 

「だ……れ……」



「なんですか……? 聞こえませんね。負け犬の遠吠えなら、せめて大きな声で言ったらどうですか?」




 異様な青木の雰囲気を察してもなお、かなめは引かなかった。


 卜部ならきっとここで引いたりしないという確信があるから。


 青木は怒りを露わにしてかなめに襲いかかった。


 

「だ・ま・れぇぇぇえぇええええええええ……!! 島国の猿がこの私に舐めた口を叩くなぁぁぁあああああ……!!」

 

 

「大畑さん……!! 今です……!!」

 

 その声と同時に、大畑は青木の足にしがみついていた。

 

 かなめに向かって踏み出した足を取られ、バランスを失った青木が地面に倒れ込む。

 

 かなめは急いで注射器を手から蹴り飛ばすと青木のペストマスクを剥ぎ取った。

 

 

……!!」

 

 そう言ってかなめは青木の顔面に古びたの缶を振りかけた。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 


「奴はなぜあんなマスクを被ってると思う……?」


 アジトで大畑の手術の準備をしながら、卜部がおもむろにつぶやいた。

 

「青木さんのマスクの話ですか? あれってペストマスクですよね……? ペストが流行った時代の霊なんじゃ……?」

 

「いや……違う……ペストと太平洋戦争では時代が合わない……奴が陸軍の研究に固執するのは、おそらくその時代の人間だからだ……」

 


「単純に吸い込みたくねぇものがあるんじゃねぇのかい?」

 

 大畑の言葉に卜部は目を丸くした。


 

「まさか……いやだが……」

 

 そう言って卜部は大畑の宝物のカレー粉の缶を手に取る。

 

「大畑さん……最後にこれを使ったのはいつだ?」


「一週間くらい前だよ……」


「ちょうど奴が地下に潜ったあたりか……奴がここに入ったことは?」


「それがねぇんだ……扉の前で急に立ち止まってな……」



 それを聞いた卜部の目の色が確信に変わっていく。



「かめ……青木のやつとカレーを食った時のことを覚えてるか……?」

 

「はい。なんだかとってもしみじみした顔で美味しそうに食べてましたよね……?」

 

「もしだ。もし仮に、青木にとってあの時のカレーが人生で一番幸福な瞬間だったとしたら……? あるいはそれに類似するような出来事だったとしたら……? カレーの匂いは青木にとって特別な匂いかもしれん……」


「それってつまり……?」

 

「青木に入ってる奴は、カレーの匂いで青木が呼び覚まされることに気付いたのかもしれん……それこそ街のカレー屋の前とかでな……」

 

「奴がマスクをしていない時にこいつを食らわせれば……青木の身体を取り戻せるかもしれん……」

 

 そう言って卜部はカレー粉の缶をかなめに手渡した。


「お前が持ってろ。奴が油断するとすれば、それはお前と対峙するときだ……」


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「これは……!? この臭いは……!! なぜお前たちがこの臭いを!? ぐああああああああああ……!?」

 

「青木さん……!! 戻ってきてください……!! こんな霊に負けないで……!!」

 


 明らかに苦しむ青木を見てメル・ゼブブが舌打ちした。

 

 メル・ゼブブは卜部を串刺しにしている蝿の手足を切断して地面に突き刺すと、かなめの方へと向き直った。

 

 

 その時ぐったりと項垂れていた卜部の片目が開き、小さく口元が動いた。

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