袴田教授の依頼62

 

 スピーカーから流れる声に兵隊達は空を見上げたまま聞き入っていた。

 

 先程まで怒声を上げていた口は開かれたままだ。

 


 放送の声に呼応するかのよに、干からびた骨のように白い陽光と、どす黒い青空を背景に、霊蝿れいよう達はと唸りを上げて渦を巻き始める。

 

 虫の息になった倉本は辛うじて開く右目で太陽を見つめてつぶやいた。

 

「天皇陛下……」

 

 

 世界の大勢また我に利あらず……しかのみならず……敵は新たに残虐なる爆弾を使用して……しきりに無辜むこを殺傷し……惨害の及ぶところ真に測るべからざるに至る……



「おい……これってどういうことだ……?」


「大勢我に利あらずってことは……」


「日本が負けたのか……?」


 兵隊達は二言三言つぶやいては再び空を仰いだ。




 しかもなお交戦を継続せんか……遂に我が民族の滅亡を招来するのみならず……ひいて人類の文明をも破却すべし……


 かくの如くは……朕何をもってか……億兆の赤子をし……皇祖皇宗の神霊に謝せんや……


 是れ……朕が帝国政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり……



 

 放送が進むにつれて、兵隊達の目は一人、また一人と白く変わり、皮膚はもぞもぞと顫動せんどうを始める。

 

 天を仰ぎ大きく開いた口からは無数の霊蝿が吐き出され、空を渦まく大群へと加わった。




 然れども朕は時運の赴く所………………もって万世の為に太平を開かんと欲す……



 

「い、嫌だ……!! 死にたくない……!! 俺はまだ死にたくない……!!」

 

「嘘だ……!! 日本が負けるわけねぇ……!! 日本が……負けるわけがねぇ……!!」


 そう叫んで散り散りに逃げ出す兵達の皮下や口からも、蝿達は無情に顔を出しては空の大群へと昇っていく。



 矢倉の上から見下ろす盆地は無数の霊蝿に覆われて黒く霞んでいた。


 あちらこちらで黒い蝿の柱が天へと立ち昇り、大きな黒い渦に合流していく。


 戦時下の姿を保っていた建物も風に攫われみるみるうちに風化すると、黒い粒子となって渦に呑まれていった。




「凄い……長かった戦争が終わっていく……」


「ああ。やっと終戦を迎えたんだ……」



 パァァアアアアン……!!


 真下で銃声が響き、卜部とかなめは下を見やった。


 そこには霊蝿を掴んでは口に運び、何とか姿形を保とうと足掻く佐々木の姿があった。


 まるでモザイクのように霧散しては実体を取り戻す佐々木の身体は、歪に崩れてもはや原型を失っていた。 

 


「終わらせんぞ……!! 断じて終わらせん……!! 日本が負けるはずは無いのだ……!! 帝国陸軍は不滅だ……!!」



 ギラつく目を血走らせて、佐々木は高笑いする。


 そんな佐々木に目を細めて、卜部は静かに口を開いた。



「そうやって貴様は、戦争が終結したことを知りながら、部下たちに自決を命じたのか……」

 

「秘密作戦の存在を知る者を生かしてはおけん……!! 第一我ら軍人は國に命を捧げた身だ……!! 國のために自決させて何が悪い!?」

 

 佐々木は再び矢倉を登り引き金を引いた。

 

 弾丸がすれすれをかすめていく。

 

「ふん……どれだけ理屈をこね回したところで、真実は揺るがない……!! 軍人ではない女子供に至るまで、自分たちに不都合な者達を非国民に仕立て上げ、無意味な実験で殺すことにどんな大義がある!?」

 

「貴様は守るべき国民に手をかけ、いたずらに未来を摘み取った戦犯に過ぎん!!」



 卜部とかなめはとうとう矢倉の天辺に追い詰められていた。 


 周囲の建物は全て廃墟に戻り、残すは矢倉だけになっていた。


 霊蝿の黒い渦が矢倉を取り巻き、吹きすさぶ風が矢倉から黒い粒子を剥ぎ取っていく。




 佐々木は崩れかけの手で卜部の足を掴むと、ぶるぶると震えながら白く濁った目で卜部を睨みつけ、大声で叫んだ。

 

 言葉にならない奇声を上げながら、大量の霊蝿を吐き出しながらも、佐々木の構えた銃口はぴたりと卜部をとらえている。

 

 

「お……ま……え……だけは……!! 殺……す……!!」

 

 

「いや……死ぬのは貴様だ」

 



 卜部の声と同時に黒い渦から霊蝿の大群が飛び出し、佐々木の身体を攫った。

 

 霊蝿達は佐々木の身体をバラバラに分解して渦の中に呑み込んでいく。

 

 霊蝿の大群は一瞬だけ人の顔を形取ってかなめに微笑んだ。


 その中には倉本の顔も見て取れた。


 

「あれは……倉本さん……それに地下牢の……」

 

「ああ……お前が見捨てなかった丸太達だ……」

 

「終わったんですね……痛っ……!?」



 突如激しい痛みがかなめの下腹部を襲った。


 サイレンのような耳鳴りが聞こえ、かなめは大きく仰け反り卜部を掴む両手が解けた。



……!!」


 卜部はすんでのところで、ずり落ちそうになるかなめの腕を掴んで引き寄せた。


「しっかりしろ……!! おい……!!」


 卜部が猊下を見下ろすと矢倉が渦に飲まれて黒い塵に帰り始めていた。


「くそ……!!」


 矢倉が崩壊を始めたその時、けたたましいプロペラ音が霊蝿の唸りをかき消して盆地全体に響き渡った。

 

 卜部が視線を上げると、ヘリに乗った李偉リーウェイと目があった。

 

「乗れ……!!」

 

 放られた縄梯子を掴んだ瞬間矢倉は崩れ去り、盆地は打ち捨てられた廃墟の姿に戻っていった。

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